琴線クエイク

2006年4月11日
週末に蓄えたパワーを早くも使い切った火曜日。

これは毎朝のことだが、目覚めた瞬間、自分が会社に行くべきことを思い出すまでに少々時間がかかる。仕事をしていることが異常事態で、また来月からあの生活(学生時代)に戻るんじゃないか、と夢の中(潜在意識)で考えているような。

さてさて、本日も、お弁当を持って出発。お弁当くらいしか楽しみが無い。

先週は「社会人として知っておくべきこと」が中心だったけど、今週からはいよいよ専門的な領域に突入する。午前中から夜まで「あれも、これも」と知識を詰め込まれ、飽和状態に達す。もう食べられません。幸いなのは、扱う専門用語がほぼ100%自分の好きなもので占められているということか。それを差し引いても、自分の実現可能なことじゃないのにやたら知識ばかり増えていって、初彼氏とあんなことやこんなことをする以前の"耳年増"な自分を思い出すような気分で、なんとも居心地が悪い。

さてさて、本日のトピック。

昔、『のび太の結婚前夜』というドラえもんの映画を見た事があるが、のび太とドラえもんが結婚式前日のしずかちゃんの家を訪ねたシーンがあり、今でも覚えている。しずかちゃんのパパはとても人間のできた人で、マリッジブルーに悩むしずかちゃんにこう言う。「のび太君を選んだ、君の選択は正しかったと思うよ。あの青年は人の不幸を悲しみ、人の幸せを願える人だ。それが人間にとって一番大切なことなんだからね。」と。

自分のことを無感動な人間とはこれっぽっちも思っていない。が、大勢が一斉に感動している場面でひとり冷静だったり、というタイミングが、23年間しばしばあった。部活の皆が一斉に泣き出すシーンで、ひとり、泣けない自分を持て余していたような。誰でも多かれ少なかれそうだということは大きくなってから知ったが、私の胸の琴線が震えてどうしようもなくなるようなことは何だろう、そしてそれはあるのかな、と。人の幸せを素直に喜ぶことができるのび太のような人は漫画の中の聖人で、そのように純粋無垢にあるべきことは不可能じゃないかと悩んだりした。

ところで、私は嬉しいメールを受信すると、たとえ電車の中だろうが、歩いているときだろうが、PCの前だろうが(まったく無意識に)顔がニヤけてしまう。病気だと思っていた。が、それこそが私の「琴線ポイント」なのかな、と。

今日、知った。たまにひどく冷静で無感動な私が思わず(本当に思わず)微笑んでしまうシーンは、ここにある。100%自分には関係ない人の喜び事を前に、私は、自分に送られたメールを読むときのように口角が上がり、目が綻ぶ。

私がどうして恋をするかといえば、両親の作ったこの家が好きだったから。とても幸せで、満ち足りていて、人生において何が一番大切かを教わり過ぎてしまったかもしれない。情熱的で活発な(ように見えるらしい)私の中には、たまに人に「エッ!?」と驚かれるほどに温度の低い部分が存在し、「生きる上で必要なこと」と「そうでないこと」の間にはマリアナ海溝くらい深い溝があったような。「これが人生に必要なことよ。」と母も父も言ったことは無いが、50になるというのに父にキスしようとする母や、イイ歳して「○○ちゃん♪」と母を呼ぶ父は、ふたつの背中であまりに多くのことを私に教えた。目を瞑ると、物欲は消え去る。目を瞑っても聞こえたのは、父と母のお互いを愛情たっぷりに呼び合う声と、愛情が派生して生まれた私を慈しむ声だった。

私は、世間と自分の価値観を摺り合わせるようになり、自分にとって「必要でないこと」だからといって無下に非難しなくなった。私が「これこそが必要なことだ」と信じるあることさえ、瞬間的にMAXに達していつかは下降しかねないものということも、そろそろわかってきた。

が、私は、やはり、瞬間的にMAXに達して「人生に必要なこと」を貪欲に味わおうとする人を見るにつけ、心の琴線がプルプルプルと震えてたまらない気持ちになる。それが自分とは縁もゆかりも無い人であれ、だ。

嗚呼、ライフ・イズ・ビューティフル。

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その他雑感。

●自由時間があまりに少ない。その分、すべての作業(お風呂に入ったりetc…)が早くなった。

●今後、体型維持とお肌の手入れ等は「仕事」のひとつらしい。マジすか。

●如何に本を読む時間を作るかが当面の課題だ。あと、お弁当のバリエーション。

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