りん流フリーダム
2006年4月16日雨が降ったらどんよりday。
研修疲れが出たのか、起きたら正午。ワンちゃん柄のパジャマ(←誰にも見せられない)、林家ぺー状態の頭、寝相が悪いらしく半分落ちた掛け布団。23歳・OLの裏の姿は所詮こんなもの。
帰省中の父と、母と、三人で食卓を囲む。
チョコチップの入ったドーナツと、コーヒーと、(なぜか)マクドのポテト。素晴らしい取り合わせだね、マイ・マザー。親子三人、NHK喉自慢を聞くともなしに聞きながら、一週間のトピックを。「仕事は辛い?」「まだ研修中だからね。」「そうか。がんばれ。」「うん。ところで、健康保険の扶養を外してね。」「なんで?」「なんでじゃないよ、扶養家族じゃなくなるんでしょ?」「だって、今日とか、まだ扶養してるよ。」と、いちいち人の揚げ足ばかり取る我が両親。
ゴハンの後は、一週間分の洗濯物にアイロンをかけたり、メールチェックをしたり。気のせいかもしれないが、学生の頃(ほぼずっと家にいた頃)よりすべての作業がはかどるような。
綺麗になった部屋で足を伸ばして、ちょっぴりお仕事も。
電話帳ほどの厚さがある情報誌をくまなくチェック。ほうほう、最近のトレンドはそうなのね、と、ニ週間分の研修ノートと照らし合わせつつ。少子化・高齢化と叫ばれてはいるが、こんなに需要があるのかこの業界は。近々行う(らしい)「偵察」に向けて、下準備。
お仕事(?)しながら考えたこと。
「自分らしさ」という言葉がキーワードらしい。かつてパックだったプランはどんどん簡略化し、基本はそのままに、自分なりのカスタマイズが為される。それは、きっと、私の所属する業界に限ったことじゃない。
6歳年上のSねーさんは、かつて、言った。
あたしは不自由への決心がつかない、と。恋や愛もまた、いくつかの選択肢の一つ。彼女は恋だけに生きてない。恋愛以外に楽しみや幸せがたくさんあって精神的に安定している人。既成や常識に囚われない自由な人。そして、色々なことに欲張りな人。 自分のペースで生きたい人。その時やりたいことをやりたい人。Sねーさんを筆頭に、日本は、今、そのような方々で溢れている。少子化、晩婚化の原因はまさにここにある。
結局は自分の価値観でどうするか。他人が介入できることではないと思うから好きにすればいい、とねーさんは言う(こんなことを言ったら私に怒られそうだと補足しながら)。無責任なようだけど、皆があまりにも規範や常識に囚われて自分の想いを大切にしないから、日本は変になるのだと。全部、自分で決めていい。でも、他人に迷惑はかけない。これがすべての基本だと、制服の無い学校で育ったねーさんは言う。
制服のある学校で育った私はこう思う。
自分らしくなくていい。そして、限定された自由が愛しい。「これを着なさい。」と決められた制服(たしかにあまり可愛くなかったが)を嫌と思ったことはなく、むしろ、本当にfreeな状態が怖い。不自由な人こそ自由への欲求は高まると語るねーさんは、私を、「あなたはきっと不自由じゃないのね。」と分析する。
限定された自由を愛する私は、何も、すべてを誰かに委ねるわけじゃない。「自分らしくあれ!」と思って育ったわけじゃない。それでも、私がこうして書く文章も、日々の想いも、愛しい気持ちも、すべて、どうひっくり返っても私の「オリジナル」だ。流されながら生きたつもりが、我思う、故に我有り。思い続ける限り、私はここにいる。私は他人じゃない。それがわかれば十分だ。私の前にはねーさんほどの無数の選択肢が無いとしても、たとえば二つしか選べないなら、どちらを選んでも選んだなりの「何か」があるはずで、その中で楽しいこと、嬉しいこと、面白いことを探せばいい。
夜は、中学〜高校時代の友人宅へ。
卒業旅行のおみやげを(今さら)渡しながら、近況報告を。腹がよじれるほど笑ったり、笑われたり、そんなことをしているうちに一週間分の毒素がすっかり抜けたような清々しい気分になり、明日は、また月曜。
研修疲れが出たのか、起きたら正午。ワンちゃん柄のパジャマ(←誰にも見せられない)、林家ぺー状態の頭、寝相が悪いらしく半分落ちた掛け布団。23歳・OLの裏の姿は所詮こんなもの。
帰省中の父と、母と、三人で食卓を囲む。
チョコチップの入ったドーナツと、コーヒーと、(なぜか)マクドのポテト。素晴らしい取り合わせだね、マイ・マザー。親子三人、NHK喉自慢を聞くともなしに聞きながら、一週間のトピックを。「仕事は辛い?」「まだ研修中だからね。」「そうか。がんばれ。」「うん。ところで、健康保険の扶養を外してね。」「なんで?」「なんでじゃないよ、扶養家族じゃなくなるんでしょ?」「だって、今日とか、まだ扶養してるよ。」と、いちいち人の揚げ足ばかり取る我が両親。
ゴハンの後は、一週間分の洗濯物にアイロンをかけたり、メールチェックをしたり。気のせいかもしれないが、学生の頃(ほぼずっと家にいた頃)よりすべての作業がはかどるような。
綺麗になった部屋で足を伸ばして、ちょっぴりお仕事も。
電話帳ほどの厚さがある情報誌をくまなくチェック。ほうほう、最近のトレンドはそうなのね、と、ニ週間分の研修ノートと照らし合わせつつ。少子化・高齢化と叫ばれてはいるが、こんなに需要があるのかこの業界は。近々行う(らしい)「偵察」に向けて、下準備。
お仕事(?)しながら考えたこと。
「自分らしさ」という言葉がキーワードらしい。かつてパックだったプランはどんどん簡略化し、基本はそのままに、自分なりのカスタマイズが為される。それは、きっと、私の所属する業界に限ったことじゃない。
6歳年上のSねーさんは、かつて、言った。
あたしは不自由への決心がつかない、と。恋や愛もまた、いくつかの選択肢の一つ。彼女は恋だけに生きてない。恋愛以外に楽しみや幸せがたくさんあって精神的に安定している人。既成や常識に囚われない自由な人。そして、色々なことに欲張りな人。 自分のペースで生きたい人。その時やりたいことをやりたい人。Sねーさんを筆頭に、日本は、今、そのような方々で溢れている。少子化、晩婚化の原因はまさにここにある。
結局は自分の価値観でどうするか。他人が介入できることではないと思うから好きにすればいい、とねーさんは言う(こんなことを言ったら私に怒られそうだと補足しながら)。無責任なようだけど、皆があまりにも規範や常識に囚われて自分の想いを大切にしないから、日本は変になるのだと。全部、自分で決めていい。でも、他人に迷惑はかけない。これがすべての基本だと、制服の無い学校で育ったねーさんは言う。
制服のある学校で育った私はこう思う。
自分らしくなくていい。そして、限定された自由が愛しい。「これを着なさい。」と決められた制服(たしかにあまり可愛くなかったが)を嫌と思ったことはなく、むしろ、本当にfreeな状態が怖い。不自由な人こそ自由への欲求は高まると語るねーさんは、私を、「あなたはきっと不自由じゃないのね。」と分析する。
限定された自由を愛する私は、何も、すべてを誰かに委ねるわけじゃない。「自分らしくあれ!」と思って育ったわけじゃない。それでも、私がこうして書く文章も、日々の想いも、愛しい気持ちも、すべて、どうひっくり返っても私の「オリジナル」だ。流されながら生きたつもりが、我思う、故に我有り。思い続ける限り、私はここにいる。私は他人じゃない。それがわかれば十分だ。私の前にはねーさんほどの無数の選択肢が無いとしても、たとえば二つしか選べないなら、どちらを選んでも選んだなりの「何か」があるはずで、その中で楽しいこと、嬉しいこと、面白いことを探せばいい。
夜は、中学〜高校時代の友人宅へ。
卒業旅行のおみやげを(今さら)渡しながら、近況報告を。腹がよじれるほど笑ったり、笑われたり、そんなことをしているうちに一週間分の毒素がすっかり抜けたような清々しい気分になり、明日は、また月曜。
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