自分に自分で渇を入れまくる火曜日。

帰宅途中、我が町の夜景がとても美しかったので、ケータイで撮影。ベストのアングルを探そうと、膝をついてみたり歩道橋から身を乗り出してみたり、すっかり自分の世界へ入り込んでいたら、「ちょっと、ちょっと!何してるんですか!?」とお巡りさんから職務質問を受けそうになった。怪しい者ではございません。

今朝方、夢を見た。

私は夢を見やすい体質だ(起きてるときも夢見がちだという説があるが、それはまた別の話)。ほぼ毎晩、夢を見る。設定がおかしいときもあれば、真実味があったりもする。なんにせよ、私は、夢の中では「これは夢だ。」と気付かない。そして、架空の人物が登場することは滅多に無い。どれだけ幸せな夢でも、どれだけ悲しい夢でも、起きてしばらくすると忘れてしまう。

私は考えた。

私が「これは現実だ。」と思いこんでいるこの世界でさえ、現実だと証明する術が無い。夢を見ているときに「これは夢だ。」と気付かないように、現実を生きながら「夢じゃない。」と証明できない。そう考えると、夢の世界も、この世界も、本質的には何も変わらないような。

価値観を確かめ合ううちに「この人は他人と思えない。」と思う瞬間がある。そういう人とは、きっと、この世に生まれる以前に、一度(もしくは数回)出会ったことがあるのだろうと、そんな風に考えたことがある。最近になって思う。私とそういう人は同一人物じゃないか、と。生まれる前の自分の姿を、私は現世で見ている。同じように私を愛しいと思う人は、自分の来世の姿を私に見ている。どちらが現世でどちらが過去世か、それは大した問題じゃない。要は、自分がハッキリと線を引いている「前世/現世/来世」と「夢/現実」の境界は仮定でしかなく、実際は、もっと複雑に入り組んでるのではないか、と。

今朝方、幸せな夢を見た。

好きな人の写真を枕の下に入れるとその人が夢に出てくるというが、もっと21世紀らしいやり方はないか。そんなものはない。だから、私は、自分が「現実」と思いこんでいるこの世界と、愛しい人といつでも会える「夢」の境界を、なんとか意識的に無くそうと、目を瞑る。日常の雑多なすべては現実色を失い、夢にありがちな都合の良さは色を増す。そして、「過去」と「未来」の境界さえ無くなればいいのに、と。私が理解できる範囲よりさらに大きな宇宙の枠組みが、自分の計り知れないところで今日も世界を動かす。その動きを人間が感知できないとは言え、「愛しい」と思う瞬間、私は、境界に囚われない。愛しい気持ちはセンサーだ。

「現実」の出来事(主に嫌な事件)に注目しそうになると、私はハッとする。私が「現実」だと思いこんで(だからこそ、なんとかしなきゃと思う。現実はひとつしかないから)、あたふたと対処するそのひとつひとつが、本当は「夢」かもしれない。そして、私が幸せを感じられる「夢」でさえ、本当は「現実」かもしれない。そう信じることはとても楽しく、救われる気持ちがする。


思ひつつ 寝ればや人の みえつらん 夢と知りせば 覚めざらましを

コメント

初夏
初夏
2006年4月19日19:58

私も毎晩夢を見ます。
昨日は非現実的な夢だったけど、
今日見た夢はめちゃめちゃリアルで、
集団面接で答えられなくて、石になってました・・・

ところで。
日に日にりんワールドがパワーアップしてますネ。

りん
りん
2006年4月21日1:17

>初夏ちゃん
おおっ!初夏氏も夢見る夢子さんですか!同士ね♪
就活当時、私も似たような夢をよく見たものです…。終わった途端にパタッと見なくなるからご安心を!

>日に日にりんワールドがパワーアップしてますネ。

ええ、自分でもそう思います(泣)。
みんな、よく読めるなあ、と他人事ながら驚きます。いやいや、有り難いことです。

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