謹啓 兄さま姉さま
2006年4月20日昨夜の日記の内容が恥ずかしくて業務に支障をきたした木曜日。
「最近の若いモンはそんなことも知らないのか!?」と頭を掻きむしりたくなっているに違いない上司を気の毒に思い、休憩中も健闘。同期クンを捕まえてネクタイの結び方を習う。「まずはだな、こっちを長くして、こっちを短くするわけだ。」「どっちを長く?」「右だね。」「ほうほう。」「巻く回数は人それぞれだけど、ここでぐるぐると巻く。」「ほうほう。で?」「先っちょを下からくぐらせて…」「くぐらせて…?」「さっき巻いたところに差し込む。」「おおっ!(でも一人でできるかわからない!)」
個人情報保護法施行後、ビジネスの現場では何かと面倒が発生しているらしい。上司の説明をフムフムと聞く。
たとえば、顧客の勤務先を聞いたとして。そうか、こんなところにお勤めなのね、と。かつて私は、名のある大学がなんだ、学歴がなんだ、と偏差値に固められた教育に背を向けようとした。そんな私を後押しするように、「人間の価値は学歴なんかじゃ決まらない。」と、体裁だけは素晴らしいことを言う大人がいた。しかし、私たちは思う。ああ、こんなところにお勤めなのね、と。
まだ「働く」ということがリアルじゃなかった頃、友達の彼氏が某大手広告代理店に勤めていると聞き、おおー、と思ったものだ。合コンをやると聞けばすかさず「職種は?」と確認する女の知り合いを「みっともない」と思いつつ、医者のタマゴ、もしくは弁護士のタマゴと聞けば、「行きたい、かも…。」と一瞬でも思ったものだ。
(みっともないのは女だけじゃない。たとえばキャビンアテンダントとの合コンだったらどうか。たとえば看護師との合コンだったらどうか。花形的肩書きを持っていた大学時代、私の所属を言うだけで「会いたい。」と言い出す見知らぬ男性はよくいたものだ。)
いわゆる三高と呼ばれる男性獲得を目指して躍起になる女性を、私は「みっともない」と思う。今でも思う。ただ、「みっともない」と思うべく仕込まれた私は、結果的に自身の望む方向に(今のところ)落ち着いたものの、それはやはり結果論でしかなく。どういうことかというと、「人間の価値は学歴や収入じゃ決まらない。」と語る大人たちの教育は結果的に私にこういう結果をもたらしたものの、それは世を生き抜くために必要な知恵を生むに必要十分じゃなかった、ということ。
大人たちが、やれゆとり教育だ、やれ個性だ、と、何も知らない私たちの周りで声高に叫びつつ何かを必死に隠していたことを、今頃知る。彼らは、あくまで理想論にとどまる「机上の空論」を未来に仕込みながら、何を思っていただろう。
これこそ理想論と言われても構わないが、世を生き抜くに本当に必要な力を育むために、"何も足さない、何も引かない"ニュートラルな「事実」のみを教えてはいけないの? 「事実」を知らせた上で(プラスアルファとして)理想を語ることは否定しない。臭い物に蓋をし続けた世界で育ち、いざ臭い物を「さあ、見ろ!受け入れろ!」と顕わにされた私たち新卒は、今日も戸惑う。
素敵なステータスをお持ちの方々が鼻にかけるのは結構なこと。「みっともない」と否定するだけの学生が夢の世界で生きる甘ったれだとするなら、本当はみっともないと思っていることを内に秘め、むしろそれを逆手にとって結果的に出し抜くくらいの覚悟を得ていくのが勤め人? その過程は、きっと私たち(新卒)を蝕む。が、30歳を過ぎて、世間の荒波に揉まれ、それでも小娘の私にほんの少しの理想を分けてくれる年上の友人たちに私は何かを習おう。
敬白
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雑感等。
●体重増加。
なんと半月で3?も。可及的速やかに対策を練るべし→試行、じゃなくて、施行。わああああああああああああ!!!!!
(仕事と思えば美容関連にも力が入るらしい。)
●「あしあと機能」の便利さに今さら気付く。
●どんな職場にも尊敬できる人はいるものだ。
「最近の若いモンはそんなことも知らないのか!?」と頭を掻きむしりたくなっているに違いない上司を気の毒に思い、休憩中も健闘。同期クンを捕まえてネクタイの結び方を習う。「まずはだな、こっちを長くして、こっちを短くするわけだ。」「どっちを長く?」「右だね。」「ほうほう。」「巻く回数は人それぞれだけど、ここでぐるぐると巻く。」「ほうほう。で?」「先っちょを下からくぐらせて…」「くぐらせて…?」「さっき巻いたところに差し込む。」「おおっ!(でも一人でできるかわからない!)」
個人情報保護法施行後、ビジネスの現場では何かと面倒が発生しているらしい。上司の説明をフムフムと聞く。
たとえば、顧客の勤務先を聞いたとして。そうか、こんなところにお勤めなのね、と。かつて私は、名のある大学がなんだ、学歴がなんだ、と偏差値に固められた教育に背を向けようとした。そんな私を後押しするように、「人間の価値は学歴なんかじゃ決まらない。」と、体裁だけは素晴らしいことを言う大人がいた。しかし、私たちは思う。ああ、こんなところにお勤めなのね、と。
まだ「働く」ということがリアルじゃなかった頃、友達の彼氏が某大手広告代理店に勤めていると聞き、おおー、と思ったものだ。合コンをやると聞けばすかさず「職種は?」と確認する女の知り合いを「みっともない」と思いつつ、医者のタマゴ、もしくは弁護士のタマゴと聞けば、「行きたい、かも…。」と一瞬でも思ったものだ。
(みっともないのは女だけじゃない。たとえばキャビンアテンダントとの合コンだったらどうか。たとえば看護師との合コンだったらどうか。花形的肩書きを持っていた大学時代、私の所属を言うだけで「会いたい。」と言い出す見知らぬ男性はよくいたものだ。)
いわゆる三高と呼ばれる男性獲得を目指して躍起になる女性を、私は「みっともない」と思う。今でも思う。ただ、「みっともない」と思うべく仕込まれた私は、結果的に自身の望む方向に(今のところ)落ち着いたものの、それはやはり結果論でしかなく。どういうことかというと、「人間の価値は学歴や収入じゃ決まらない。」と語る大人たちの教育は結果的に私にこういう結果をもたらしたものの、それは世を生き抜くために必要な知恵を生むに必要十分じゃなかった、ということ。
大人たちが、やれゆとり教育だ、やれ個性だ、と、何も知らない私たちの周りで声高に叫びつつ何かを必死に隠していたことを、今頃知る。彼らは、あくまで理想論にとどまる「机上の空論」を未来に仕込みながら、何を思っていただろう。
これこそ理想論と言われても構わないが、世を生き抜くに本当に必要な力を育むために、"何も足さない、何も引かない"ニュートラルな「事実」のみを教えてはいけないの? 「事実」を知らせた上で(プラスアルファとして)理想を語ることは否定しない。臭い物に蓋をし続けた世界で育ち、いざ臭い物を「さあ、見ろ!受け入れろ!」と顕わにされた私たち新卒は、今日も戸惑う。
素敵なステータスをお持ちの方々が鼻にかけるのは結構なこと。「みっともない」と否定するだけの学生が夢の世界で生きる甘ったれだとするなら、本当はみっともないと思っていることを内に秘め、むしろそれを逆手にとって結果的に出し抜くくらいの覚悟を得ていくのが勤め人? その過程は、きっと私たち(新卒)を蝕む。が、30歳を過ぎて、世間の荒波に揉まれ、それでも小娘の私にほんの少しの理想を分けてくれる年上の友人たちに私は何かを習おう。
敬白
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雑感等。
●体重増加。
なんと半月で3?も。可及的速やかに対策を練るべし→試行、じゃなくて、施行。わああああああああああああ!!!!!
(仕事と思えば美容関連にも力が入るらしい。)
●「あしあと機能」の便利さに今さら気付く。
●どんな職場にも尊敬できる人はいるものだ。
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