午前中起床、大成功。

過去最高MAX(←頭痛が痛い、みたいなもんか?)と語られる散らかり度の部屋にて、さわやかに「おはよう」と言われても。今だからわかるが、「ちょっと散らかってるけど、どうぞ。」と言われるがままに初めて通された当時の部屋が、ちょっと散らかっているどころか過去最高MAXに綺麗だったのだな、と。どんどん塗り替えられる新記録を、生温かい目で見守るつもり。

「今日は何を着よう?」と迷うマイ・ラヴァーのファッションチェック。

クローゼットを物色。原色が無い(着られても困るが)。黒、紺、茶、緑の基本四原色から抜け出せないらしい彼のセンスは、たぶん、そこまで悪くない。あら、コレ素敵。コレも素敵。コレも素敵ぢゃない! なんでこれらを着ないのよ、と問えば、「買っても、結局、気に入ったやつしか着ないんだよね。」とのお答え。秋に見た紺のシャツ(たぶん気に入ってたんだと思われる)の裾には穴が開いてたし、冬に見たこれまた紺のニットは身頃と身頃の繋ぎ目が派手にほつれてたし、もっと回してくれ、と切に願う。

サンボマスター(←テンション高過ぎ!)を聴きながら、お着替え。

半袖白Tシャツの上に、買ったばかりのロンTを。お兄さん、襟元から白が見えるよ。「変だよね?」「そうですね、変です。」「うーむ。」「タンクトップとか無いの?」「タンクトップは無い。」「Uネックも無いの?」「Uネックも無いし、Vネックも無い。」「なんで?」「ちょいワルじゃない?Vネックとかって。」「…(わけわからんなあ)。」「タトゥーとか入ってそうなイメージ。」たしかに、彼とタトゥーの相性は、納豆にクリームソーダを付け合わせるくらい悪そうだ。

カチャカチャとベルトを締める彼を眺めながら突然思い出したこと。

昨夜のディナー中、需要と消費についての話をした。たとえば、私はこう見えて、女のコが希望しがちな「かわゆいチャペルで牧師様に愛を!」というキリスト教式は自分で挙げるつもりがさらさらないのだが、日本はいつからこうなったのだろう、と。日本が無宗教国家だというなら、教会でのキリスト教式でもなく、神社で八百万の神に許しを乞うでもなく、人前挙式という日本らしいスタイル(と、私は思うのだけど)がもっと定着していても良いのでは? 何にせよ、今、日本の適齢期女性は教会での挙式に憧れる。需要がある。が、それは「需要→供給」という手順を踏んでここまで来たのかな。

文明開化の全盛期はもう100年以上前だけど、私たち女性がテーマパーク(たとえばディズニーシー)を好むのも、アッチの国の雰囲気をインポートして真似っこした様がたぶん好きだから。たとえば、ニューヨークスタイルと聞けば、なんとなく良さそうな気がしてしまう。「多分こうしたら皆食いつくぜ。」という強力な定番(往々にして欧米風)がバーンと供給されたら、もともと強烈に欲していなくても「ん?」と気になる。マイ・ラヴァー曰く、たとえば受験中、グラビアアイドルのことなんて一切考えていなくても、突然ギリギリの服装&お色気たっぷりの試験官が現れたら、「あ。」と鉛筆が止まると(笑)。かといって色気を欲していたわけではない。そこに需要は無かったはず。

それとちょっと似ているのは、私は「現実肯定主義」とでも言えば良いのか、あてがわれると大抵は気に入る。もともと好みじゃなくても、その人が自分を好きと言ってくれれば「振るのは勿体ない。」と思いがち(もちろん残念ながら例外はある笑)。そんなある種ノンポリの私も、「クリスチャンじゃないのに神に愛を誓っていいの?」と思うし、譲れないところはどうやらある。そして、「現実肯定主義」は誉められるべきことのようで実はそうでもないのでは? 私は自分の「心からの需要」に目を向けよう、向けた結果がここにある、と、ここでようやく現実の世界に帰る。私は流されたのでは決してなく、心から需要して着替える彼を見ることができる身分になった。


心の声をつなぐのが これ程怖いモノだとは
僕等なぜか声を合わす
今までの過去なんてなかったかのように歌い出すんだぜ

愛と平和!
悲しみで花が咲くものか!

新しい日々の僕達は 高なる予感がしてるのさ
君と僕が夢を叫ぶ 世界はそれを待っているんだぜ

あなたのために歌うのが これ程怖いモノだとは
だけど僕等確かめ合う
今までの過去なんてなかったかのように
悲しみの夜なんてなかったかのように歌いだすんだぜ

世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ
LOVE & PEACE!

(サンボマスター・「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」より。)

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