逸らして

2006年5月5日
こどもの日。大人の私は休日出勤。

就業開始より早い時間に来てくれとおっしゃる取引先を呪詛しながら起床。日だまりの猫顔で眠り続けるマイ・ラヴァーを尻目に、しゃこしゃこと歯磨き。「働く」とは、自分の長所を生かして何かを創造すること? 否、「働く」とは、誰かが眠っていても朝の支度をする気合いを自分に入れることだ。

出会った頃、既に社会に出ていたマイ・ラヴァー。365日ほぼ休日といっても過言じゃなかった大学四年生の私は、たとえば彼の家に泊まることがあっても、自分の裁量で翌朝の予定をどうにでもできる日々を送っていた。そんな私の横で「起きなきゃ…」と呻いていた当時の彼に今の私が「ありがとう」と告げるのも変な話だが、たしかに彼は"働いていた"と思う。そして、ありがとう。

とはいっても、名残惜し(以後省略)。

出勤後、微妙に違うが似たような部署に配属された同期クンと、あーでもないこーでもないと言いつつ協力して仕事を片づける。彼(Nくん)は、こちらが日本語で話しかけているのに突然ドイツ語を喋り出したりする異端児ではあるが、こんな状況では誠に頼もしく思える。電話が鳴って「ひいィッ!」とおののく私の横で「お電話ありがとうございます。」と答えるNくんは、「電話くらいでビビるなんて、りんさんらしくないですよ。」と微笑みながら言う。その姿は、今や、立派な社会人。

昨晩一緒に飲んだばかりのJねーさんのかつての話を思い出す。

Jねーさんが読んだ森瑶子の小説に、「人に優しくすることは、愛しさえしていなければなんて簡単なことだろう」というような内容があったという。ねーさんが感銘を受けたのとは状況が違うが、私が突然こんなことを思い出したのにもきっと理由がある。

私は確実にNくんを愛していないけど、常にタッグを組むこととなった彼のことを認めている。上司に「なってない!」と怒られた内容を、私が繰り返すことのないように伝えてくれる。一緒に重い商品を運ぶとき、ヨタヨタしつつも我先にと重い方を持ってくれる。そして、「りんさんの分も押しておいたよ。」といつも微笑みながらタイムカードを切る。そんな彼には親切にしたい。そして、親切にできる。なぜなら、私はNくんを愛してないから。

人に優しくすることは、愛しさえしていなければなんて簡単なことだろう

私がどうしても優しくしてしまう相手はたしかに別にいる。奥からどんどん溢れ出す優しさの源は愛にある、と思っていた。それはたしかにその通り。が、きっと、人は人を愛した瞬間、どうしても向かい合う。向かい合い、視線を合わせる。その後、二人同時に視線を逸らして前方の進むべき道をともに見ようとするなら、問題は起こらない。同じ道を歩みながらいつも隣にいる前提がある。不安に駆られてひとりだけ隣を見ると、合わない視線に戸惑う羽目になる。そして、人はいがみ合う。隣をついつい見てしまう人は誰かをどうしようもなく愛している。

なんてことを考えている暇は、仕事中はもちろん無い。

ある部署に配属された私は、Nくんを除く同期とはちと違う業務を抱えることとなったが、ソレはソレ、らしい。取引先を飛び回りながら、余った時間は接客を(二刀流!?)。一オクターブどころか三オクターブくらい高いのでは、と思われるボイスで「こんにちは。」と言ってみたり、終始口角を上げなくては、と気負ったり。ふう。

ぐったり帰宅。明後日(休日出勤パート2)も頑張るぞ。

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