ラーメンマンデー
2006年5月8日「大人っぽい」という評価が「おばちゃんっぽい」になってしまった月曜日。
やや馴染んだ感のある我が職場。美しい人が多くて困る。"峰不二子"と勝手に(心の中で)名付けた先輩・Mさんにおちょくられる午前中。先日のワインの飲み方が30代っぽいという話をされたり、今どきの子はコンポをラジカセとは言わないと指摘されたり、身振り手振りが大袈裟でウケると笑われたり、年齢詐称疑惑さらに深まる。
本日は外回り。
借りてきた猫のような男・Nくん(同期)と取引先へ。タクシー乗車後は私がナビ。「青山通りを渋谷方面へ。で、あそこで曲がってください。」「へい。」「で、その次を左折で…」「あ、りんさん!一方通行ですよ!」「ええッ!?」「どういたしやしょう?」「ううううううう…じゃ、じゃあ、六本木通りまで出ていただいて…外苑西を大きく回ってください!」「それじゃすごく大回りになりますよ!」「だって仕方ないじゃん!」と、たかだかワンメーターかそこらの距離だったはずなのに大騒ぎ。領収書ください。
帰社後、息つく間もなく次の取引先へ。
「絶対ムリ!!」と叫び出したくなるような量の商品を、両手、両足、背中を駆使して運ぶ。ひー。「私がここで荷物持ってるからタクシー呼んできてッ!」「一台に乗るか、コレ!?」「乗せてみせる!」とまたしても大騒ぎでタクシーをゲット。タクシーの運ちゃんもビックリの荷物をぎゅう詰めにしたら、人間(私&Nくん)の乗る場所がない。アクロバティックな格好で外堀通りをぶっ飛ばす新入社員×2。領収書ください。
やや青ざめて退社。
部署は違うが同じ職場に配属された同期チーム三人でラーメンを召す。「座ってばっかりでお尻痛い。」「Kちゃんはそうだよね。」「俺は会議で眠くなった。」「お疲れさま(Nくんはタクシーでも寝てたよなあ)。」と、性別も育った環境も違うのに湧いてくるこの感情はなんだろう。
中・高・大と、チームプレイを要求されるクラブに入り続けた。女子校ではなかったが、ほとんどが女の園だった。同じ地域で育った。コミュニティに属した瞬間に発生する諸々の問題に頭を悩ませたつもりだった。それすらも今思えば、(あくまで自分の中では)ややレベルの低い話だよな、と。いろーーーんな人がいる社会で、いろーーーんな人がいる職場で、そこには友情だの愛だのはほぼ存在しない、でもたしかに発生する何かがある。年齢や性別やらを飛び越えるその何かは、同じゴールを目指して同じ障害を乗り越えるときにこそ発生する。
友情や愛の類が生まれるときに用いられがちな「好み」が入り込まないニュートラルな"何か"を、私は、NくんとKちゃんに対して持つ。人間が持つことのできる公平さでは極限に近い感情だ。そう、きっと、この感情こそが原点。友情だの愛だのが生む「悲劇」があるゆえに人間が神から追放されたのなら、ほんの少しの希望のように残った人間のこの感情はきっと尊ぶべきもの。私にもこのような美しい感情を発生させる素地があったのか。
などと(一見)良さそうなことを考えながら、ラーメンをすする。領収書…は要りません(危ない、危ない)。
さて、明日も仕事。
やや馴染んだ感のある我が職場。美しい人が多くて困る。"峰不二子"と勝手に(心の中で)名付けた先輩・Mさんにおちょくられる午前中。先日のワインの飲み方が30代っぽいという話をされたり、今どきの子はコンポをラジカセとは言わないと指摘されたり、身振り手振りが大袈裟でウケると笑われたり、年齢詐称疑惑さらに深まる。
本日は外回り。
借りてきた猫のような男・Nくん(同期)と取引先へ。タクシー乗車後は私がナビ。「青山通りを渋谷方面へ。で、あそこで曲がってください。」「へい。」「で、その次を左折で…」「あ、りんさん!一方通行ですよ!」「ええッ!?」「どういたしやしょう?」「ううううううう…じゃ、じゃあ、六本木通りまで出ていただいて…外苑西を大きく回ってください!」「それじゃすごく大回りになりますよ!」「だって仕方ないじゃん!」と、たかだかワンメーターかそこらの距離だったはずなのに大騒ぎ。領収書ください。
帰社後、息つく間もなく次の取引先へ。
「絶対ムリ!!」と叫び出したくなるような量の商品を、両手、両足、背中を駆使して運ぶ。ひー。「私がここで荷物持ってるからタクシー呼んできてッ!」「一台に乗るか、コレ!?」「乗せてみせる!」とまたしても大騒ぎでタクシーをゲット。タクシーの運ちゃんもビックリの荷物をぎゅう詰めにしたら、人間(私&Nくん)の乗る場所がない。アクロバティックな格好で外堀通りをぶっ飛ばす新入社員×2。領収書ください。
やや青ざめて退社。
部署は違うが同じ職場に配属された同期チーム三人でラーメンを召す。「座ってばっかりでお尻痛い。」「Kちゃんはそうだよね。」「俺は会議で眠くなった。」「お疲れさま(Nくんはタクシーでも寝てたよなあ)。」と、性別も育った環境も違うのに湧いてくるこの感情はなんだろう。
中・高・大と、チームプレイを要求されるクラブに入り続けた。女子校ではなかったが、ほとんどが女の園だった。同じ地域で育った。コミュニティに属した瞬間に発生する諸々の問題に頭を悩ませたつもりだった。それすらも今思えば、(あくまで自分の中では)ややレベルの低い話だよな、と。いろーーーんな人がいる社会で、いろーーーんな人がいる職場で、そこには友情だの愛だのはほぼ存在しない、でもたしかに発生する何かがある。年齢や性別やらを飛び越えるその何かは、同じゴールを目指して同じ障害を乗り越えるときにこそ発生する。
友情や愛の類が生まれるときに用いられがちな「好み」が入り込まないニュートラルな"何か"を、私は、NくんとKちゃんに対して持つ。人間が持つことのできる公平さでは極限に近い感情だ。そう、きっと、この感情こそが原点。友情だの愛だのが生む「悲劇」があるゆえに人間が神から追放されたのなら、ほんの少しの希望のように残った人間のこの感情はきっと尊ぶべきもの。私にもこのような美しい感情を発生させる素地があったのか。
などと(一見)良さそうなことを考えながら、ラーメンをすする。領収書…は要りません(危ない、危ない)。
さて、明日も仕事。
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