通勤中も仕事に追われる木曜日。

起きて早々、資料が山のように積み上がったマイ・ルームの状況が目に入り、そのまま現実逃避したくなる。「これをひとつひとつ分類して頭に叩き込むのか…無理だ…。」と思いながらも資料整理→鞄に詰め込んで出発。そうか、社会人になると部屋が散らかるのだな。

始業早々、待ってましたとばかりに勃発する緊急事態(オイオイ)。

青ざめてる暇はない。とにかく緊急事態につき、終始ゴリ押しで危機回避。急遽手配した軽トラックの前に運転手、荷台に荷物(と私とNくん)。「これ以上は無理!」というレベルで詰め込まれた商品と商品の間、小窓さえないトラックの荷台で体育座りしながら都会を走る。ああ神様、どうか間に合って。

「りんさん、やつれてません?」「そうかもね。」「最近、得意の"思い出し笑い"もしてないし。」「思い出すような楽しいことがないもん。」「たしかに。」「Nよ、聞け。私は森に住みたいよ。」「森、ですか?」「森で摘んだ花をカゴに詰めて街で売るの。」「ほう。」「花を売って稼いだお金で自分と家族の食べるものを買って帰るの。」「ほう。」「夕食後は物語を書くの。隣には木こりの夫がいてね。」「ほう。」「木こりの夫は切った木でギターを作って、筆をとる私のために歌うの。」「ほう…。」「そんな生活がしたい。」「花屋に就職したいんですか?」「オマエは何もわかっとらんな!!」と業務中もキレまくり(すっかりキレキャラだ)。

何もわかっとらんNを放置して退社。

地下鉄で中吊りを見る。なんて色鮮やかな車内。そうかもうすぐ夏がくる。徐々にボルテージが上がるこの季節、私はただの「消費者」じゃない。「消費者」であり「生産者」。「ホレホレ!」と何かを迫る中吊り(媒体)の裏に「生産者」の意図がある。一見楽しいだけのすべての娯楽には意図がある。人間が喜ぶように仕向けられたすべての娯楽、施設、商品は、「たのしー!」と喜ぶ人の裏であくせく働く「生産者」の上にある。いつだってそう。

過剰な「楽しさ」を生むためにこの世に商品が溢れるなら、誰もが必要十分だと感じる「楽しさ」のレベルを少し下げて。だから、その分、感度は上げて。あるだけのものに「楽しさ」を見いだせるように。何もないと思われる森の中で物言わぬ花を愛でるように。あるだけのもの(花)から生計を立てて。あるだけのもの(木)から「楽しさ」を抽出して。ないものは抽象世界に求めて。抽象世界から生まれるもの、物語や歌。そしていつだって仔猫がじゃれ合うように本能に従って月とともに眠り、陽とともに目覚めたい。

どこにも行くつもりはないし行けないけど、現代に生きるあまねく男女は幸福なようで不幸だ。だからこそ、まさに今、あるだけのもの(私の現実)にこそ感度を働かせ「楽しさ」を見いだせるように。そうでなければどこに行っても同じだから。たとえアルプスの山の上でも。

明日も仕事か。楽しもう(難儀だ)。

コメント

くー
2006年5月28日1:08

トラックの中で森の話…(笑)
映像にしたいですね。なんか綺麗そう。

私も森に住みたいよ〜!

りん
りん
2006年5月28日21:40

>くー
くーは森に住んでそうだよね。そんな癒しキャラだよ、キミは。

たしかにトラックの中でする話じゃなかった(笑)。さぞ困惑したでしょうね、相手も。ま、私は大抵唐突に話を始めて相手を困惑させるんですけど。

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