がんばらナイト

2006年5月29日
大学時代の友人・TKとゴハン@新宿。

TKは同い年で百貨店勤務。同じ新入社員。同じ10月生まれ。うわー残業してなるものかーと五時くらいから早送りで業務遂行。タクシー乗っちゃいたい、いや金がない、あっ、でも間に合った、ってな感じで集合(ホッ)。生まれ変わった三越アルコットにほど近いTKオススメのレストラン(?)へ連行される、否、案内される。

サーカス小屋風の店内。

「若向けのお店ですねえ。」と若くない人みたいな発言を繰り出しつつ着席。ちょい悪だ…、この店はちょい悪だ…、とぶつぶつ(頭の中で)呟く私と、メニューを見るTK。でっかいTKと大食いの私にはこのテーブルは小さいんじゃないかと思うも、今日はこのテーブルに収まる程度に食べよう、と決意→たやすく崩れる。大好きな砂肝のソテーや、これまた大好きなユッケの入ったサラダをオーダー。ビールよりワインに傾きつつある私の意向を汲んでもらい、カラフェで白、赤を。ああイイ気分。

TKと腰を据えてじっくり話す機会はここ一・二年でぐっと増えた。まるで小学生が自動的にクラスを決められてしまうように、半ば自動的に集った私たち(TKを含む男女六人)は徐々に嗜好の違いを認め始めている。もともとの性質がどうであれ、二十歳を過ぎて、人はもう一度生まれ変わるのかもしれない。そして話をする相手を選ぶ。

色々と思い出した。

「男友達」という存在がかつて嬉しかった私は、まず友達になる前に相手の性別に注目した。いつからかはわからないけど、自分の「女」という性を一度でも認められて以降、私には「ある執着」がなくなったような。頭で考えるだけではダメで、実際に生々しい感触とともに五感で理解する儀礼。とても時間がかかっちゃった。不思議なもので、そういう「ある執着」が消えて以来、逆に私には男友達が増えた。

自分の書棚を見ても、過去の日記を読んでも、もしくはいつの間にか所属した自分の業界を見ても、私は、考えてみれば至極当然な「世の中には男と女がいる」という事実でさえ、"何も足さず何も引かず見る"という姿勢からかけ離れたところにいた。偏っていたと思う。それに気付くチャンスが「ある男を失う」という時期に訪れたはずなのに、人はぐるぐると同じところを回るもので、こうして螺旋のように繰り返しながら徐々に気付いて体得していくしかないのかな、と半ば絶望してたのかもしれない。

悲しいのは、自分が「女」であり目の前の相手が「男」であるという事実を"何も足さず何も引かず見る"というスタンスをうまく保てていると思った次の瞬間に、相手から"何かを足している"と思われる信号を受け取ること。「男」と「女」の間に千歳の岩のごとし友情が生まれるのは、「男」と「女」が愛し合う以上に難しいのかな。難しさを少しでもぼやかすために、私はかなり年上の男を友人に選びたい欲求があったし、そうして一度は育まれた友情も、相手に彼女がいて私にも彼氏がいるという期間限定の条件が必要だった。一度はわかり合えたはずの二人が恋に落ちて素晴らしい瞬間を重ねるなら、それと引き替えに、一度ならず何度もわかり合えたはずの何かを失うのかな。気持ちの振れ幅が大きすぎるその手続きもいいけど、こういう穏やかな関係(もしかしたら期間限定でも)が愛しい、と思うようになった私は少し老けたのだろう。

もちろんそんなややこしい話をしたわけじゃない。

「俺、新規四件とったんだよ。」「それはスゴイの?」「新入社員としてはたぶん異例。」「おお!」「それでもね、やっぱ上司は色々言うわけだ。」「ほう。」「じゃあオマエ自分が新人のとき四件も取れたのかよっ!ってな。」「わははは!!」と話しながらワインをくいっ。「私も色々あったよ。」「色々あるよなあ。」「ねえ。」「俺も心の中ではいつも"いやです!"って言ってるもん。」「わははは!言う、言う!心の中でね!!」と話しながらワインをくいっ。ああ、何かが解けていく。

仕事の後に飲むっていいね。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索