限界ライジング
2006年5月30日つい無口になる火曜日。
始業早々ペンを取り落としそうになる速報が。人生最良の日を迎えるはずだったある顧客に悲劇が起こる。人生最良になるはずだった日の一週間前に、ふたつでひとつになるはずだった片割れが事故で命を落とす。この速報以来、追っても追ってもなかなか頭に入らない目前の書類を持てあまし、業務に支障をきたす。
その流れのまま昼食を。
七時までにファイリングを終えないと、あれー新品のファイルがない、おーい○○さん、ってあら電話中だわ、じゃあこれはこのままここに置いておいてファックスを先に、あら大量ファックス受信中だわ、えーとえーと、あらあら今度は私に電話ですか、もしもしお電話代わりました、ええ…、ええ…、ああ…、ハイ…、うわー面倒な用件だぞこれは、わかる者に確認いたしますので折り返しご連絡差し上げます、ガチャン、えっとわかる人って誰だ、あれあれそういえば私はファイルを探してたんだった、おっとこっちのコピーが先ですか、ハイハイすぐやります、ありゃりゃ紙詰まり、うーうー紙が挟まって取れないよー、ふう直った、えっ今度は用紙切れ、用紙はどこ用紙はどこ、おーい○○さーん、って、まだ電話中かい!!(イライラ。)
なぜかいつもコンビにされる同期・Nと作業。
「今日中にこれをしなきゃいけないらしいわ。」「あっ、そうなんですか。」「私はこっちをやるからそっちお願い。」「りんさん、これはどうしますか?」「わ、私に聞かれてもね…。」「??」「こうしてこうしてこうすべきじゃない?常識で考えたらさ。」「あ、ハイ。じゃあこれはどうしますか?」「どうしますか、って別に私のプライベートな用事を頼んでるわけじゃないんだから、一緒に考えてよ。みんなの仕事じゃん。」「??」「聞いてる?」「あっ、これもやらなきゃ。りんさん、こういうときはどうしましょう?」「だからさあ…。」とイライラは頂点に達する。
"ストレス社会で闘うあなたに"というキャッチフレーズを眺めながらGABAを噛む。
ひとりっ子の私は「もし親がいなくなったら」という前提とともに生きる。親が死んだら私はひとり。最後に頼りになるのは自分だから、という信念のもとに私を育てたはずの父と、そんな父に依存しまくりの母。彼と彼女の極端な特性を併せ持ったのが、ふたつを比較しながら育った私。「もし親がいなくなったら」という前提とともに生きたとはいえ、「いつかはひとりになるからこそ繋がりを求めるし、それは幸福なこと」と信じる母寄りだった。それでも独立したかった。精神的な意味での独立を。アンバランスなひとりっ子。アンバランスな甘えっ子。
「えっ、こういうときはどうしたらいいの?」と思うときこそ、私は最後の切り札たる両親に安住を求めたような。だからこそ、本当に本当にどうしようもないときに自分の力でなんとかしようと思うハングリー精神がもしかしたら少し欠けていたのかも。四月以降、私の前に大きく広がったフィールドを前に、私を含む新入社員は戸惑い、考え、少しずつギリギリになっていく状態と闘う。少しずつギリギリになっていく中で、あと一歩、あと一歩、これ以上は無理と思える限界を僅か数ミリでも押しやって。そういう粘り強さを少しずつ。
四歳の頃、「おとうさんとおかあさんが死ぬ日がいつか来る」という事実に生まれて初めてぶち当たり、夜中に突然大声で泣いた。今でも覚えているのは、「りんちゃん、あなたの頭はひとつ。腕は二本しかないし、足も二本しかないの。だからね、それだけのものでなんとかしなきゃいけないの。」という台詞。私が物心ついて初めて教わった悲しいけど美しい(母の信じる)真理で、20年後の今も覚えている。ときどき忘れるけど。ときどき忘れるからこそ、私はたまに四歳児になる。
不思議なもので、「そうか。私の武器は、このひとつの頭と、二本の腕と、二本の足か。」と諦めた瞬間にこそ、本来は人に分けてもらうはずだった「甘え」と「限界」の癒着は消え、裸で放り出された「限界」は少しずつでも押し上げられる。そして私は二本しかない足で立ち、二本しかない腕で何かを抱え、ひとつしかない頭を使う。
これしかないと嘆くのではなく、これしかない、だからこそ、だからこそそれらを存分に使っていつかはひとりで生きて、と言いたげな(言わなかったけど。そして守ってくれたけど。)両親の信じる真理は、ふいに思い出した今日もやはり悲しい。でも美しい。
GABAが旨い。でも甘い。
始業早々ペンを取り落としそうになる速報が。人生最良の日を迎えるはずだったある顧客に悲劇が起こる。人生最良になるはずだった日の一週間前に、ふたつでひとつになるはずだった片割れが事故で命を落とす。この速報以来、追っても追ってもなかなか頭に入らない目前の書類を持てあまし、業務に支障をきたす。
その流れのまま昼食を。
七時までにファイリングを終えないと、あれー新品のファイルがない、おーい○○さん、ってあら電話中だわ、じゃあこれはこのままここに置いておいてファックスを先に、あら大量ファックス受信中だわ、えーとえーと、あらあら今度は私に電話ですか、もしもしお電話代わりました、ええ…、ええ…、ああ…、ハイ…、うわー面倒な用件だぞこれは、わかる者に確認いたしますので折り返しご連絡差し上げます、ガチャン、えっとわかる人って誰だ、あれあれそういえば私はファイルを探してたんだった、おっとこっちのコピーが先ですか、ハイハイすぐやります、ありゃりゃ紙詰まり、うーうー紙が挟まって取れないよー、ふう直った、えっ今度は用紙切れ、用紙はどこ用紙はどこ、おーい○○さーん、って、まだ電話中かい!!(イライラ。)
なぜかいつもコンビにされる同期・Nと作業。
「今日中にこれをしなきゃいけないらしいわ。」「あっ、そうなんですか。」「私はこっちをやるからそっちお願い。」「りんさん、これはどうしますか?」「わ、私に聞かれてもね…。」「??」「こうしてこうしてこうすべきじゃない?常識で考えたらさ。」「あ、ハイ。じゃあこれはどうしますか?」「どうしますか、って別に私のプライベートな用事を頼んでるわけじゃないんだから、一緒に考えてよ。みんなの仕事じゃん。」「??」「聞いてる?」「あっ、これもやらなきゃ。りんさん、こういうときはどうしましょう?」「だからさあ…。」とイライラは頂点に達する。
"ストレス社会で闘うあなたに"というキャッチフレーズを眺めながらGABAを噛む。
ひとりっ子の私は「もし親がいなくなったら」という前提とともに生きる。親が死んだら私はひとり。最後に頼りになるのは自分だから、という信念のもとに私を育てたはずの父と、そんな父に依存しまくりの母。彼と彼女の極端な特性を併せ持ったのが、ふたつを比較しながら育った私。「もし親がいなくなったら」という前提とともに生きたとはいえ、「いつかはひとりになるからこそ繋がりを求めるし、それは幸福なこと」と信じる母寄りだった。それでも独立したかった。精神的な意味での独立を。アンバランスなひとりっ子。アンバランスな甘えっ子。
「えっ、こういうときはどうしたらいいの?」と思うときこそ、私は最後の切り札たる両親に安住を求めたような。だからこそ、本当に本当にどうしようもないときに自分の力でなんとかしようと思うハングリー精神がもしかしたら少し欠けていたのかも。四月以降、私の前に大きく広がったフィールドを前に、私を含む新入社員は戸惑い、考え、少しずつギリギリになっていく状態と闘う。少しずつギリギリになっていく中で、あと一歩、あと一歩、これ以上は無理と思える限界を僅か数ミリでも押しやって。そういう粘り強さを少しずつ。
四歳の頃、「おとうさんとおかあさんが死ぬ日がいつか来る」という事実に生まれて初めてぶち当たり、夜中に突然大声で泣いた。今でも覚えているのは、「りんちゃん、あなたの頭はひとつ。腕は二本しかないし、足も二本しかないの。だからね、それだけのものでなんとかしなきゃいけないの。」という台詞。私が物心ついて初めて教わった悲しいけど美しい(母の信じる)真理で、20年後の今も覚えている。ときどき忘れるけど。ときどき忘れるからこそ、私はたまに四歳児になる。
不思議なもので、「そうか。私の武器は、このひとつの頭と、二本の腕と、二本の足か。」と諦めた瞬間にこそ、本来は人に分けてもらうはずだった「甘え」と「限界」の癒着は消え、裸で放り出された「限界」は少しずつでも押し上げられる。そして私は二本しかない足で立ち、二本しかない腕で何かを抱え、ひとつしかない頭を使う。
これしかないと嘆くのではなく、これしかない、だからこそ、だからこそそれらを存分に使っていつかはひとりで生きて、と言いたげな(言わなかったけど。そして守ってくれたけど。)両親の信じる真理は、ふいに思い出した今日もやはり悲しい。でも美しい。
GABAが旨い。でも甘い。
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