みぎかひだりか
2006年6月1日大学時代の友人・H之と飲み@高田馬場。
「高田馬場駅の早稲田側じゃない改札に集合ね♪」「早稲田口じゃない方ね、了解。」という打ち合わせの後、「着いたー?」「着いたけどりんが見あたらないぞ。」「間違えた!早稲田口の早稲田じゃない方ってこと!」と、私が待ち合わせ場所を指定するとろくなことがない。
知り合いが「東京一のコストパフォーマンスを誇る店」と語る地下のワインバーへ。
オイオイここ高いんじゃないの、と思わせるのは、薄暗いカウンターの奥に積まれた大量ワイン。子ども禁制。いいの、もう大人だから(たぶん)。10人も座るといっぱいになっちゃうカウンターにH之と並んで腰掛けて、まずはハートランドビールで乾杯を。8歳年上のOにーさんにここを教えてもらったのは8ヶ月前のこと。楽しい夜だった。あのとき食べた牛ホホ肉煮とムール貝のワイン蒸しが忘れられず、いつかまたここに来よう、と思った"いつか"が就職してからになるとはね。
サッカー好きのH之はかつてスポーツ誌編集に携わりたかったようで、途中で何かを諦めた私とは逆に、今は結果的にサッカーにまつわる仕事をしている。「大変そうね。」「メシ食う時間が無いから痩せちゃったよ。」「でも生き生きしてるね。」「あー仕事は楽しいかもね。」という仕事の話と、同じように出版社を受験した経歴から派生した「書くこと」に関する話も少々。
ともに文学部に所属した私とH之。ともに「書くこと」が好き。とはいっても、文系極北と自認する私と理系の領域にも精通するH之はちと違う。データ(たとえば試合の結果)をもとに正確な推敲を日々行うH之が使うのは左脳かもしれない。これは入社してすぐに思ったことだけど、「書くこと」をあまり要求されない私の仕事は何よりも正確さを求められる。取引先との約束は約束、金額は金額、履歴は履歴。主観を省いた事実をあくまで誠実に(←ここポイント)処理するときに使うのは左脳。理系か文系かは関係ない。誰にでも脳はふたつある。
それはそれとして、酷使した左脳を抱えて帰宅する私は(たぶん本能的に)右脳の活性化を求めて日記を書く。「日記」はデータ(その日起こったこと)を元にするけど、データから抽出した思い(主観的な部分)をどう膨らませるかは自由。それが楽しい。本文を書き終えた私は目を瞑り(本文を見ずに)右脳の声に耳を澄ませてタイトルをつける。こういうキーワードが出てきたからこう、という左脳的処理ではなく、語感と語呂に気を遣いつつあくまで漠然と湧いたイメージで。
このバーを教えてくれたOにーさんのメールより。「今日、村上春樹と柴田元幸の共著、『翻訳教室』(文春新書)を読んでいたら、冒頭で村上さんが、"小説をずっと書いていると頭の右側が使われていて、翻訳をすると頭の左側を使う感じで、バランスがとれる気がする"てなことを仰っていたのですね。」と。なるほど、よくわかる。仕事中に「あー今は左を使ってるなー。」といちいち考えているわけじゃないけど、アンバランスに偏った脳を放置したまま眠ると気分が悪い。だから私は小説を書く、というわけじゃないけど、日記を書き、音楽を聴き、PCもコンポも落とした後はワンダーランドへ飛ぶ。まったくの抽象世界。自分がヒロインになれる世界。身勝手なヒロイズムは、ひとり、ベッドの中で生み殺す。
しばらくは今の仕事を軌道に乗せていくことを考えると語るH之の求める世界はどっちだろう、と私は(勝手に)考える。データを扱う領域に注目して今後はプロフェッショナルの編集者になっていくのか、仏文科に自らを導いた才能に着目してさらには好きなサッカーそのものに目を向けていくのか。右か左か。
〆てサンゴー(やすい…)。
高田馬場から私は新宿へ。H之は池袋へ。新宿行の山手線内で発車を待つ私は開いたままのドアからホームで手を振る彼を見る。と思ったら携帯ブルブル。「もしもし…??」「ああ、今日はお疲れ!」と、2メートル向こうに立つ彼を見ながら耳元で響く声を聞くのは不思議だ。にっくいね、この色男!
本日一番笑った台詞:「"オフ会"って響きはサイテーだな!」 わはは同感(笑)。
「高田馬場駅の早稲田側じゃない改札に集合ね♪」「早稲田口じゃない方ね、了解。」という打ち合わせの後、「着いたー?」「着いたけどりんが見あたらないぞ。」「間違えた!早稲田口の早稲田じゃない方ってこと!」と、私が待ち合わせ場所を指定するとろくなことがない。
知り合いが「東京一のコストパフォーマンスを誇る店」と語る地下のワインバーへ。
オイオイここ高いんじゃないの、と思わせるのは、薄暗いカウンターの奥に積まれた大量ワイン。子ども禁制。いいの、もう大人だから(たぶん)。10人も座るといっぱいになっちゃうカウンターにH之と並んで腰掛けて、まずはハートランドビールで乾杯を。8歳年上のOにーさんにここを教えてもらったのは8ヶ月前のこと。楽しい夜だった。あのとき食べた牛ホホ肉煮とムール貝のワイン蒸しが忘れられず、いつかまたここに来よう、と思った"いつか"が就職してからになるとはね。
サッカー好きのH之はかつてスポーツ誌編集に携わりたかったようで、途中で何かを諦めた私とは逆に、今は結果的にサッカーにまつわる仕事をしている。「大変そうね。」「メシ食う時間が無いから痩せちゃったよ。」「でも生き生きしてるね。」「あー仕事は楽しいかもね。」という仕事の話と、同じように出版社を受験した経歴から派生した「書くこと」に関する話も少々。
ともに文学部に所属した私とH之。ともに「書くこと」が好き。とはいっても、文系極北と自認する私と理系の領域にも精通するH之はちと違う。データ(たとえば試合の結果)をもとに正確な推敲を日々行うH之が使うのは左脳かもしれない。これは入社してすぐに思ったことだけど、「書くこと」をあまり要求されない私の仕事は何よりも正確さを求められる。取引先との約束は約束、金額は金額、履歴は履歴。主観を省いた事実をあくまで誠実に(←ここポイント)処理するときに使うのは左脳。理系か文系かは関係ない。誰にでも脳はふたつある。
それはそれとして、酷使した左脳を抱えて帰宅する私は(たぶん本能的に)右脳の活性化を求めて日記を書く。「日記」はデータ(その日起こったこと)を元にするけど、データから抽出した思い(主観的な部分)をどう膨らませるかは自由。それが楽しい。本文を書き終えた私は目を瞑り(本文を見ずに)右脳の声に耳を澄ませてタイトルをつける。こういうキーワードが出てきたからこう、という左脳的処理ではなく、語感と語呂に気を遣いつつあくまで漠然と湧いたイメージで。
このバーを教えてくれたOにーさんのメールより。「今日、村上春樹と柴田元幸の共著、『翻訳教室』(文春新書)を読んでいたら、冒頭で村上さんが、"小説をずっと書いていると頭の右側が使われていて、翻訳をすると頭の左側を使う感じで、バランスがとれる気がする"てなことを仰っていたのですね。」と。なるほど、よくわかる。仕事中に「あー今は左を使ってるなー。」といちいち考えているわけじゃないけど、アンバランスに偏った脳を放置したまま眠ると気分が悪い。だから私は小説を書く、というわけじゃないけど、日記を書き、音楽を聴き、PCもコンポも落とした後はワンダーランドへ飛ぶ。まったくの抽象世界。自分がヒロインになれる世界。身勝手なヒロイズムは、ひとり、ベッドの中で生み殺す。
しばらくは今の仕事を軌道に乗せていくことを考えると語るH之の求める世界はどっちだろう、と私は(勝手に)考える。データを扱う領域に注目して今後はプロフェッショナルの編集者になっていくのか、仏文科に自らを導いた才能に着目してさらには好きなサッカーそのものに目を向けていくのか。右か左か。
〆てサンゴー(やすい…)。
高田馬場から私は新宿へ。H之は池袋へ。新宿行の山手線内で発車を待つ私は開いたままのドアからホームで手を振る彼を見る。と思ったら携帯ブルブル。「もしもし…??」「ああ、今日はお疲れ!」と、2メートル向こうに立つ彼を見ながら耳元で響く声を聞くのは不思議だ。にっくいね、この色男!
本日一番笑った台詞:「"オフ会"って響きはサイテーだな!」 わはは同感(笑)。
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