何度も同じことを注意される土曜日。
弊社が社運を懸けて(?)打ち出したプロジェクト。鼻息荒いその現場にヘルプに行ってと放り出されたところで、新人の私に何ができるというのか。何も知らないお客を相手に「先日担当したお客様がね〜(←嘘。担当なんて持ったことない)」「これ可愛いですよね〜(←嘘。自分だったらちょっとイヤ)」「やーん、素敵ですう(ヤレヤレ)。」と、意外になんとかなるもんだ。
今日に限って残業。
一ヶ月弱振りに会うマイ・ラヴァー。私が彼を待たせるなんて。今日もプチ出社したと語る彼はいつもスマイリー。キッチリ週休二日の私がやや不機嫌で、今日もそれなりに無理して来たはずの彼がスマイリー。葛藤。手の内を見せることこそ誠実だと思いこんでた時期はたしかに終わったけど、それでも私はここに書くしか謝罪の術がない。今は。
ワガママを言って宿泊
…を決めたものの、散らかった部屋に応急処置を施すという人のため、コンビニで待機。ピューピューと血が噴き出す頸動脈にバンドエイドを貼るような処置だと思われたが、「お待たせしました!」と迎えに来た彼とファミマでデザートを買う。コレ旨そうだなー、お、コレも旨そう、迷うなー、あ、ティラミスがいい、とニコニコ顔でおっしゃる人がいる。嬉しい(←何が?)。たかがコンビニなのに。ああコンビニなのに。
スポーツ新聞を読む彼の隣で『働きマン』(by安野モヨコ)を読む。
「仕事」と「それ以外」を分ける自分、そんな自分のアホらしさが恥ずかしくなかったわけじゃない。「仕事」と「それ以外」を分けて考えるから女は「どっちが大事なの!?」と男に詰め寄るし、"生活"の愚痴をこぼすし、「仕事」と「それ以外」を(たぶん)あまり分けない男は「女ってみっともないな。」と思うのだろう。これは推測。ただ、それなりに賢い女ならそもそも「仕事」と「それ以外」を分けて考えることが低俗だとわかった上で、数百万年の歴史を経て脈々と受け継がれた女脳に結局は導かれ、理想(「仕事」と「それ以外」も融合したひとつの生活だという)とそうならない現状(自分はどうしても分けてしまうという)の間の溝を発見する。これも推測。
恥ずかしい。仕事をする人から見る私のような女はみっともないとわかるから。『働きマン』の主人公・松方弘子がたとえ"働きマン"に変身しても、彼女だってスイッチが入らない限り、ふとした合間に仕事以外の自分を思い出す。男スイッチが入った彼女は普段の三倍のスピードで仕事をする。その間、寝食恋愛衣飾衛生の観念は消失する。スイッチが入れば、だけど。仮に彼女が優秀でも、それは男スイッチを入れたらの話? 女はそうかも。男はそもそもスイッチを入れるのか。
思うに、私はまだまだ「仕事」と「それ以外」でいえば「それ以外」しかなかった頃の記憶が多く、徐々に「仕事」の方がレギュラーになるのだろうと予想がつく。なんにせよ、徐々にそうなっていく過程で、私は「ザ・日本のOLにありがちな問題」に心揺さぶられ、子どもだった私がまんまと思い描いていたいわゆる状態になり、そこで(アホな女として)終わるか、その先で(働きマンとして)乗り越えるのか。
『働きマン』を置いた後。
「それ以外」で何かを見出しすぎちゃった私のことは私が一番よく知っている。漠然とした妄想の中でうねうねと考えて落ちていくのが普段の私なら、直接的な刺激を目から耳からあらゆるところから受けて私は今日も一皮剥ける。強烈な事実。私が「女」として何かを乗り越えても、素晴らしい働きマンになっても。どこかで方向性を誤った私が彼の望む方向に軌道修正して優秀な(OLじゃなくて)サラリーマンになるとも思えない。6歳年上で社会人というだけで手放しで尊敬していたのが学生時代の私。優秀なサラリーマンの彼(たぶん笑)と、優秀になる予定のOLの私は違う。彼のようになりたいと漠然と真似するのではなく、私は私のフィールドで最高に素敵なOLになろう、と。些細なディテールに至上の喜びを見出す今夜、私は「女」に生まれてよかったと思うし、「女」にしかわからないこの感覚を持ったままそれでも人への優しさは忘れないように。「女」も「男」も持つべき優しさを。
「素敵なOLへの道」は険しい。
弊社が社運を懸けて(?)打ち出したプロジェクト。鼻息荒いその現場にヘルプに行ってと放り出されたところで、新人の私に何ができるというのか。何も知らないお客を相手に「先日担当したお客様がね〜(←嘘。担当なんて持ったことない)」「これ可愛いですよね〜(←嘘。自分だったらちょっとイヤ)」「やーん、素敵ですう(ヤレヤレ)。」と、意外になんとかなるもんだ。
今日に限って残業。
一ヶ月弱振りに会うマイ・ラヴァー。私が彼を待たせるなんて。今日もプチ出社したと語る彼はいつもスマイリー。キッチリ週休二日の私がやや不機嫌で、今日もそれなりに無理して来たはずの彼がスマイリー。葛藤。手の内を見せることこそ誠実だと思いこんでた時期はたしかに終わったけど、それでも私はここに書くしか謝罪の術がない。今は。
ワガママを言って宿泊
…を決めたものの、散らかった部屋に応急処置を施すという人のため、コンビニで待機。ピューピューと血が噴き出す頸動脈にバンドエイドを貼るような処置だと思われたが、「お待たせしました!」と迎えに来た彼とファミマでデザートを買う。コレ旨そうだなー、お、コレも旨そう、迷うなー、あ、ティラミスがいい、とニコニコ顔でおっしゃる人がいる。嬉しい(←何が?)。たかがコンビニなのに。ああコンビニなのに。
スポーツ新聞を読む彼の隣で『働きマン』(by安野モヨコ)を読む。
「仕事」と「それ以外」を分ける自分、そんな自分のアホらしさが恥ずかしくなかったわけじゃない。「仕事」と「それ以外」を分けて考えるから女は「どっちが大事なの!?」と男に詰め寄るし、"生活"の愚痴をこぼすし、「仕事」と「それ以外」を(たぶん)あまり分けない男は「女ってみっともないな。」と思うのだろう。これは推測。ただ、それなりに賢い女ならそもそも「仕事」と「それ以外」を分けて考えることが低俗だとわかった上で、数百万年の歴史を経て脈々と受け継がれた女脳に結局は導かれ、理想(「仕事」と「それ以外」も融合したひとつの生活だという)とそうならない現状(自分はどうしても分けてしまうという)の間の溝を発見する。これも推測。
恥ずかしい。仕事をする人から見る私のような女はみっともないとわかるから。『働きマン』の主人公・松方弘子がたとえ"働きマン"に変身しても、彼女だってスイッチが入らない限り、ふとした合間に仕事以外の自分を思い出す。男スイッチが入った彼女は普段の三倍のスピードで仕事をする。その間、寝食恋愛衣飾衛生の観念は消失する。スイッチが入れば、だけど。仮に彼女が優秀でも、それは男スイッチを入れたらの話? 女はそうかも。男はそもそもスイッチを入れるのか。
思うに、私はまだまだ「仕事」と「それ以外」でいえば「それ以外」しかなかった頃の記憶が多く、徐々に「仕事」の方がレギュラーになるのだろうと予想がつく。なんにせよ、徐々にそうなっていく過程で、私は「ザ・日本のOLにありがちな問題」に心揺さぶられ、子どもだった私がまんまと思い描いていたいわゆる状態になり、そこで(アホな女として)終わるか、その先で(働きマンとして)乗り越えるのか。
『働きマン』を置いた後。
「それ以外」で何かを見出しすぎちゃった私のことは私が一番よく知っている。漠然とした妄想の中でうねうねと考えて落ちていくのが普段の私なら、直接的な刺激を目から耳からあらゆるところから受けて私は今日も一皮剥ける。強烈な事実。私が「女」として何かを乗り越えても、素晴らしい働きマンになっても。どこかで方向性を誤った私が彼の望む方向に軌道修正して優秀な(OLじゃなくて)サラリーマンになるとも思えない。6歳年上で社会人というだけで手放しで尊敬していたのが学生時代の私。優秀なサラリーマンの彼(たぶん笑)と、優秀になる予定のOLの私は違う。彼のようになりたいと漠然と真似するのではなく、私は私のフィールドで最高に素敵なOLになろう、と。些細なディテールに至上の喜びを見出す今夜、私は「女」に生まれてよかったと思うし、「女」にしかわからないこの感覚を持ったままそれでも人への優しさは忘れないように。「女」も「男」も持つべき優しさを。
「素敵なOLへの道」は険しい。
コメント
しかもその評価は自分でない他人がしてくれる。
険しいと思っているうちは、間違いなく「素敵なOL道」を間違えずに進んでいると思うよ(笑)
気が付けば、そうですね、気が付けば。
「ワタシってば素敵なOL!」と自認している女はその時点で素敵じゃないので、私はいつまでも今の姿勢を保ちたいです。でもそのままだと辛いので、私が素敵なOLになったと判断できたら、ぜひサイヤさんに褒めてほしい、です。