穏やかに溢れる泉のように
2006年6月5日いつの間にかダイエットに成功していた月曜日。
ジャストサイズ(某氏の家に泊まった翌日はいつもこう思う)のベッドでぐずぐず。起きたくない。行きたくない。熱あればいいのに、と小学生のようなことを思う。仏頂面で起きた後、某氏の家に基礎化粧品一式を忘れたことに気づき愕然。愕然としてたらコンタクト(←買ったばかり)を排水溝に流すし、嗚呼、踏んだり蹴ったり。今日も出勤。
組織変更が為されたばかりの本社にて。
袖をしつらえた専用デスクが与えられない下っ端の私とNくん。ちんまりとスペースを作って城とする。とはいっても猫の額どころか鼠の額ほどの机に大の大人がふたりとは。「Nくん、近いよ!」「仕方ないじゃないですか…。」「しかもNくん、汗かきすぎだよ!」「僕のことは気にしないでください。」「体温が伝わるんだよう!」「ひひひ。」「嬉しそうな顔をするな!」と、接触欲が強い私とはいえ相手は選びたい。
午後は他社にて会議。
上司に「今度入ったウチの子」と紹介された後は用無しラフランス。そうかー、そりゃ大変だ、ウンウン弊社もがんばります、と、とりあえずは顔に書いておいてまったく別のことを考える。それなりに聞いているフリをしながらあんなことやこんなことを考えてウッヒッヒと(こっそり)ほくそ笑むのは、そういえば小さい頃から得意だった。まじめにやれ? そのうちね。
タクシーを拾って本日は直帰ナリ。
疲れた。眠い。明日の服を選ぶ元気もない。メイクを落とすのも大儀だ。ケータイを見るのもしんどい。とか言いつつPCに向かう私は一体何を求めているのか。終わりなきレースのようなこの毎日、どうなったら周りと自分は満足するのだろう。視界が未だ開けない今、大事なのは、きっと、ラストスパートをかけるように全速力で走ることじゃない。それよりも、地味にコツコツゆっくりとペースを乱さずに。私の苦手とすることだ。
私は考え過ぎらしい。周りが感じるように私だって感じてる。仕事も恋も自己啓発も、と女性誌の謳い文句の如し人生を夢見た私には体力が必要だ。体力には自信アリ。"体"ならね。"心"はどう? と自分に問いかける。世の中には色々な役割の人がいてもいい。穏やかに溢れる泉のように懐の大きい人がいてもいいし、激しく流れる滝のような私がいてもいい。そんな気がしてた。私の中にはいつも激しく熱い血が流れる。そして身を焦がす。私はこれでいいのだろうか。
近々会う予定のJねーさんから一通のメールが。
りんさんのように
人一倍いろいろな想いを持っている人の人生は、
たぶん、何倍も美しい
想いが溢れて疲れるよ、Jねーさん。と、姉のいない私は泣きそうな気分でこれを読む。溢れる想いに言葉が追いついてないからこそ言葉を尽くして日記を書くのよね、とねーさんは言う。そうかもしれない。そうだと思う。暑苦しくないだろうか、と、ときに私は自らの姿勢に疑問を持つけど、かつては私のように勢いで色々やっちゃってた過去を匂わせるねーさんのように、私もいつか穏やかで落ち着いた30代になれるかな、と空想しながら8日(←ねーさんと会う日)は何を食べようかと思案する。
ジャストサイズ(某氏の家に泊まった翌日はいつもこう思う)のベッドでぐずぐず。起きたくない。行きたくない。熱あればいいのに、と小学生のようなことを思う。仏頂面で起きた後、某氏の家に基礎化粧品一式を忘れたことに気づき愕然。愕然としてたらコンタクト(←買ったばかり)を排水溝に流すし、嗚呼、踏んだり蹴ったり。今日も出勤。
組織変更が為されたばかりの本社にて。
袖をしつらえた専用デスクが与えられない下っ端の私とNくん。ちんまりとスペースを作って城とする。とはいっても猫の額どころか鼠の額ほどの机に大の大人がふたりとは。「Nくん、近いよ!」「仕方ないじゃないですか…。」「しかもNくん、汗かきすぎだよ!」「僕のことは気にしないでください。」「体温が伝わるんだよう!」「ひひひ。」「嬉しそうな顔をするな!」と、接触欲が強い私とはいえ相手は選びたい。
午後は他社にて会議。
上司に「今度入ったウチの子」と紹介された後は用無しラフランス。そうかー、そりゃ大変だ、ウンウン弊社もがんばります、と、とりあえずは顔に書いておいてまったく別のことを考える。それなりに聞いているフリをしながらあんなことやこんなことを考えてウッヒッヒと(こっそり)ほくそ笑むのは、そういえば小さい頃から得意だった。まじめにやれ? そのうちね。
タクシーを拾って本日は直帰ナリ。
疲れた。眠い。明日の服を選ぶ元気もない。メイクを落とすのも大儀だ。ケータイを見るのもしんどい。とか言いつつPCに向かう私は一体何を求めているのか。終わりなきレースのようなこの毎日、どうなったら周りと自分は満足するのだろう。視界が未だ開けない今、大事なのは、きっと、ラストスパートをかけるように全速力で走ることじゃない。それよりも、地味にコツコツゆっくりとペースを乱さずに。私の苦手とすることだ。
私は考え過ぎらしい。周りが感じるように私だって感じてる。仕事も恋も自己啓発も、と女性誌の謳い文句の如し人生を夢見た私には体力が必要だ。体力には自信アリ。"体"ならね。"心"はどう? と自分に問いかける。世の中には色々な役割の人がいてもいい。穏やかに溢れる泉のように懐の大きい人がいてもいいし、激しく流れる滝のような私がいてもいい。そんな気がしてた。私の中にはいつも激しく熱い血が流れる。そして身を焦がす。私はこれでいいのだろうか。
近々会う予定のJねーさんから一通のメールが。
りんさんのように
人一倍いろいろな想いを持っている人の人生は、
たぶん、何倍も美しい
想いが溢れて疲れるよ、Jねーさん。と、姉のいない私は泣きそうな気分でこれを読む。溢れる想いに言葉が追いついてないからこそ言葉を尽くして日記を書くのよね、とねーさんは言う。そうかもしれない。そうだと思う。暑苦しくないだろうか、と、ときに私は自らの姿勢に疑問を持つけど、かつては私のように勢いで色々やっちゃってた過去を匂わせるねーさんのように、私もいつか穏やかで落ち着いた30代になれるかな、と空想しながら8日(←ねーさんと会う日)は何を食べようかと思案する。
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