6月8日、不束夜

2006年6月8日
6月8日、不束夜
Jねーさんとゴハン@南青山。

私が仕事の関係で見つけたこのお店は、オープンダイニングが自慢(?)のカジュアルフレンチレストラン。ブルーノート・ジャズクラブがプロデュースしたそうで、先月初めて来たばかり。その日一番美味しいタパスを並べて見せてくれる(豚なら丸々一頭!)ので、待つそばから腹グーグー。ねーさん何にしますか、フォアグラですかさすがですね、このキノコが美味しいんですよ、と、久しぶりの再会が嬉しくて食べる前からテンション上がりっぱなし(←反省)。

シャンパンで乾杯後。

「あのドイツ人は元気にしてます?」「あ、Jさんに伝えてくれ、ってドイツ人の彼から伝言を預かってます。」「えーなになにー?」「"今度、僕とフレンチしてください!"って。しかもちょい悪っぽく伝えてくれ、って。」「あははは!」「あ、フレンチじゃ幅が狭くて困るから食事ならなんでもいい、って付け足してました。」「あははは!キモイ!」と、ねーさんがマイ・ラヴァーをたたっ斬る発言がスキ。調子に乗って私も斬る。斬って、斬って、斬りまくり、血まみれ(ねーさんと会うといつもこうなってしまう)…。

一通り斬り終わった後は(終始斬ってた気もするが)、ややディープな話。

ねーさんが私の日記を読むようになって早一年弱。恥ずかしいことを中心に色々書いてきたけど、"ここ"を離れて何かがしたい。次から次へと溢れる私の気持ちを言葉に収めることにやや限界を感じてはいたが、収めないよりはまだいい。かつてねーさんは言った。「りんさんは、おそらくその時の鮮やかな気持ちを、その歳でしか書けない鮮やかな文章で残せる人だと思ってます。」と。そうだろうか。私には勿体ないと思われるねーさんの美し過ぎる言の葉は、いつも私を奥の奥から揺り動かす。大阪育ち、血液型が同じ、共にひとりっ子、共学出身、と共通点はたしかに多いけど何かが違うはずのねーさんが私の心の中に居場所を作ったとき、私は、実の姉を想う妹より遙かに妹らしい気持ちでいたと思う。「おねえちゃん、読んで読んでー!」と習作を差し出す妹でありたくて、私はこうして日記を書いていたのかもしれない。

閑話休題。

ねーさんのご友人にビターな方がいらっしゃる。そのビターなお方は、かつてご自身の日記上で「"心の闇"を失ったとき、作家は作品を書かなくなる。」とおっしゃった。そうかもしれない。「書きたい!」という衝動から創作が為されるのは確か。が、一般的に素晴らしいことと捉えられがちな"創作活動"たる小説執筆は、たとえばアルコール依存症患者が酒を飲むように、麻薬中毒者が腕に針を刺すように、ただただトリップしたいという強烈な欲望から為されることもある。それはあまりみっともよくない。のたうち回るほどの感情の渦から逃れようとして、文章依存症患者は仕方なく作家になり、心の闇を見つめ、書き、見つめ、書き、見つめ、書き、落ちていく(だから彼らの多くは命を絶つのかも)。ヒロイズムの頂点に君臨するような文学は(なぜか)多くの読者に感動をもたらし、その一方で著者は心の闇を拡大するのだろう。

繊細な国・日本が輩出した多くの作家が"心の闇"と対峙しない限り作品を書けないなら、私は別の出発点が欲しい。闇からパッと開けた光の中で私は恋をし、新しい感情を知り、"心の光"に従って文章を書き、現実世界である人に恋い焦がれながら、概念世界に新たに誕生したある人(同一人物)にもう一度恋をした。私の場合は思慕がきっかけだったけど、人によって"心の光"に引きつけられるスイッチは色々あるだろう。"心の光"が眩しすぎる嫉妬を煽りそうな文章より、人の不幸は蜜の味、"心の闇"から派生した作品の方が好まれそうだ。が、私は、ニッチマーケットかもしれない"心の光"を見せられる場所をどこかに求めてこうしてネット上を彷徨う。人に受け入れられるべきもう一種類の文学の在り方を模索して。

…と、今日も私は自分の話ばかり。

あまりにも楽しいがゆえに逃した終電に気づき、土砂降りの中、ねーさんとタクシーに乗る。文章にするとやけに落ち着いて見える(らしい)りんとしての自分と、テーブル上でも行儀が悪く要らんことまでついつい口をついてしまう自分。誰かとお酒を飲んだ帰り道、そのギャップにいつも悩まされ、相手が失望もしくは辟易したのではないかと不安になる。今夜も大人の女の落ち着きを振りまいて去りゆくねーさんを降車後も見送りながら、次会うときはもう少し私も落ち着こう、と毎回考えているのに、一向に進歩がない。

ま、また飲みましょう(←ちょっと弱気)。

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