クリティカルヒット・マンデー
2006年6月12日またしても都内をひた走る月曜日。
(※詳しくは昨日の日記を参照のこと。)
「今日はCD持ってきましたよ。」「でかした。何持ってきた?」「BACK STREET BOYSです。」「へえ…(また王道なものを)。とにかく発進して。」「What can I〜♪」「歌うな!」「歌う男は嫌いですか?」「好きとか嫌いとかそういう問題じゃないよ!ま、どちらかといえば好きだけど…。」「What can I〜♪」「オマエは歌うな!」と本日もドライブ…じゃなかった、外回りに出発。
六本木通りを爆走。
「あ、全日空ホテルですよ!」「ほんとだ。」「僕、このホテルのラウンジにウィスキーのボトルキープしてるんですよ。」「そうなんだ。」「デートにピッタリですよね。」「そうか?」「りんさんの好みのタイプは少しわかってきましたけど、嫌いなタイプってどんなですか?」「そうねえ…全日空ホテルのラウンジにウィスキーのボトルキープしてるような奴かな。」「ええっ!?じゃあ好きなタイプは!?」「場末の鮨屋に芋焼酎キープしてるような人だね。」「ほかには?」「助平で寝坊助で女にモテないとなお良いね。」「変な趣味ですね。」「変とか言うな!失敬な!!」「わ、びっくりした!なんでそんなに怒るんですか!?」「べつに…。」と、まるで痴話喧嘩。
そうはいっても必死な二名。朝から晩まで外回り、外回り、外回り。雨に濡れる日もある(パンツの中までぐしょ濡れ)。足を擦りむくこともある(ストッキング血だらけ)。商品が重くて腰を痛める(ああ、ボキボキ)。明らかに容量オーバーの物品搬入に充てられた時間は僅か。それでもやるっきゃない。文句を言う前に走るっきゃない。
上司に「今日一日費やしてコレだけ?」と叱られた(←りんに痛恨の一撃!)後、退社。
帰りの地下鉄で大振りの広告を見る。昔流行ったあの映画の続編が出るらしい。そうかあれからそんなに経つのか、と。見てないのに大嫌いになった映画。昔好きだった人が私に嘘をついて別の女のコと観に行った映画。そういえばこれだけじゃない。あの人は私に嘘をついてクラブに出かけ、女のコをナンパして、バレて謝ったあとも何食わぬ顔で無邪気に過ごし、また別の女のコを好きになり私の元を去って行った。
それだけのことがあっても私は彼を信じていた。「ごめんね、別のコと遊んじゃった。でも、僕、モテないから大丈夫。」と、たしかにあまりモテなかった彼を私は信じてた。彼のベーシックな部分は無邪気かつ天真爛漫で、たまに顔を出す邪な部分があるにすぎない、と。今の私は首を(横に)振ろう。"結果"だけに目を向けよう。たまに邪な部分がある男? それは邪な男だ。私を悲しませたという結果は"結果"にすぎないし、普段は無邪気だったというプロセスは所詮"プロセス"。
私がどれだけ大変だったか(プロセス)を語っても限界がある。
そういえば、私は、随分前に似たようなこと(結果がすべてという)を書いた。そうか。人がある程度大きくなってから考えることはほとんど同じなのかもね。人として成熟していく過程とは、どんどん新しい真理をストックしていくというより、一度思いついた(自分なりの)真理を徐々に洗練させていくことかもね。結果がすべてだと鼻息荒く語っていた就活中の私と、ようやく就職して新しい現実にぶち当たった私と、思っていることは同じなのに。限りなく正しいと(現時点では)思われる真理も、「これが真理だ!」と大声で叫ぶより、「これが真理なんだね。」と聞こえるか聞こえないかの声でひっそりと語ろう。それが優しくなるということかもね。
…なーんちゃって(←きっとこういう台詞が大事)。
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W杯雑感、諸々。
●日本VSオーストラリア。
●四年ぶりに(←私に限らずだろうけど)W杯を観戦する。ニッポン、ニッポン、とものすごい歓声が聞こえるが、あそこに応援に行っている人たちは仕事どうしてるんだろう…ということが試合結果より気になる。
●普段は生活を異にする多くの人が同じ画面を眺めていると思うと、ナショナリズムの意味はともかく生まれた背景がわかる気がする。単に、何かを共有したい、という根源的な欲求かもね。
●グループリーグ突破すればベスト16ということですが…、「勝ち点」の意味をつい一昨日理解した私には覚えることが多すぎる。
(※詳しくは昨日の日記を参照のこと。)
「今日はCD持ってきましたよ。」「でかした。何持ってきた?」「BACK STREET BOYSです。」「へえ…(また王道なものを)。とにかく発進して。」「What can I〜♪」「歌うな!」「歌う男は嫌いですか?」「好きとか嫌いとかそういう問題じゃないよ!ま、どちらかといえば好きだけど…。」「What can I〜♪」「オマエは歌うな!」と本日もドライブ…じゃなかった、外回りに出発。
六本木通りを爆走。
「あ、全日空ホテルですよ!」「ほんとだ。」「僕、このホテルのラウンジにウィスキーのボトルキープしてるんですよ。」「そうなんだ。」「デートにピッタリですよね。」「そうか?」「りんさんの好みのタイプは少しわかってきましたけど、嫌いなタイプってどんなですか?」「そうねえ…全日空ホテルのラウンジにウィスキーのボトルキープしてるような奴かな。」「ええっ!?じゃあ好きなタイプは!?」「場末の鮨屋に芋焼酎キープしてるような人だね。」「ほかには?」「助平で寝坊助で女にモテないとなお良いね。」「変な趣味ですね。」「変とか言うな!失敬な!!」「わ、びっくりした!なんでそんなに怒るんですか!?」「べつに…。」と、まるで痴話喧嘩。
そうはいっても必死な二名。朝から晩まで外回り、外回り、外回り。雨に濡れる日もある(パンツの中までぐしょ濡れ)。足を擦りむくこともある(ストッキング血だらけ)。商品が重くて腰を痛める(ああ、ボキボキ)。明らかに容量オーバーの物品搬入に充てられた時間は僅か。それでもやるっきゃない。文句を言う前に走るっきゃない。
上司に「今日一日費やしてコレだけ?」と叱られた(←りんに痛恨の一撃!)後、退社。
帰りの地下鉄で大振りの広告を見る。昔流行ったあの映画の続編が出るらしい。そうかあれからそんなに経つのか、と。見てないのに大嫌いになった映画。昔好きだった人が私に嘘をついて別の女のコと観に行った映画。そういえばこれだけじゃない。あの人は私に嘘をついてクラブに出かけ、女のコをナンパして、バレて謝ったあとも何食わぬ顔で無邪気に過ごし、また別の女のコを好きになり私の元を去って行った。
それだけのことがあっても私は彼を信じていた。「ごめんね、別のコと遊んじゃった。でも、僕、モテないから大丈夫。」と、たしかにあまりモテなかった彼を私は信じてた。彼のベーシックな部分は無邪気かつ天真爛漫で、たまに顔を出す邪な部分があるにすぎない、と。今の私は首を(横に)振ろう。"結果"だけに目を向けよう。たまに邪な部分がある男? それは邪な男だ。私を悲しませたという結果は"結果"にすぎないし、普段は無邪気だったというプロセスは所詮"プロセス"。
私がどれだけ大変だったか(プロセス)を語っても限界がある。
そういえば、私は、随分前に似たようなこと(結果がすべてという)を書いた。そうか。人がある程度大きくなってから考えることはほとんど同じなのかもね。人として成熟していく過程とは、どんどん新しい真理をストックしていくというより、一度思いついた(自分なりの)真理を徐々に洗練させていくことかもね。結果がすべてだと鼻息荒く語っていた就活中の私と、ようやく就職して新しい現実にぶち当たった私と、思っていることは同じなのに。限りなく正しいと(現時点では)思われる真理も、「これが真理だ!」と大声で叫ぶより、「これが真理なんだね。」と聞こえるか聞こえないかの声でひっそりと語ろう。それが優しくなるということかもね。
…なーんちゃって(←きっとこういう台詞が大事)。
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W杯雑感、諸々。
●日本VSオーストラリア。
●四年ぶりに(←私に限らずだろうけど)W杯を観戦する。ニッポン、ニッポン、とものすごい歓声が聞こえるが、あそこに応援に行っている人たちは仕事どうしてるんだろう…ということが試合結果より気になる。
●普段は生活を異にする多くの人が同じ画面を眺めていると思うと、ナショナリズムの意味はともかく生まれた背景がわかる気がする。単に、何かを共有したい、という根源的な欲求かもね。
●グループリーグ突破すればベスト16ということですが…、「勝ち点」の意味をつい一昨日理解した私には覚えることが多すぎる。
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