なめりん
2006年6月13日ソイバニララテ(@スタバ)を吹きこぼしてスカートに染みを作った火曜日。
本社と支店を行ったり来たり。支店で作業中のN氏(同期・要注意人物)にtel。「お電話ありがとうございます。○○店のY本でございます。」「あ、Y本さん。お疲れさまです、本社のりんです。Nさんいらっしゃいますか?」「ああ、旦那ね、いますよー。Nくーん、奥さんから電話ー!」…という対応を受けた数十分後、またしても野暮用発生。「もしもし、度々すみません。Nさんお願いします。」「Nくんはさっき出られましたよ。」「あ、そうなんですね。じゃあ戻り次第折り返しください、とお伝えいただけますか?」「了解です。妻に電話するように言っておきまーす。ガチャ。」と電話を切られ、私、受話器を持ったまま呆然。
本日はクレーム対応。
ただでさえ最悪な状況なのにアポに遅れたら…想像するだに氷点下。ダッシュ、ダッシュ、とにかくダッシュ。平謝りしつつ、私は日本のビジネスについて思いを巡らす。日本? 否、世界中がそう? すべてのビジネスは"机上の空論"の上に成り立っている。私が売り上げを伸ばしたい支店には取引先がいて顧客がいる。彼らとの素敵な関係を維持するためにシステムを構築するが、それはいつだって「前提」の上にある。
どういうことかというと、たとえば一軒のおしるこ屋があれば、おしるこ一杯でいくら儲かるかを計算して来店客数を予想する。これが「前提」。その「前提」に合わせておしるこの素(餡とか白玉粉とか)を用意する。ただ、実際におしるこ屋をオープンさせてみると、アホな店員がおしるこの入った鍋をひっくり返すかもしれないし、雨が降って客足が遠のくかもしれない。万が一の事前策を考えて考えて考えて考えたとしても、おしるこ屋のたった一人の店長が開店直後に心臓発作で倒れないとは言い切れない。
それと同じ。私たちが厳密な(とそのときは思われる)マーケティングを行っても、取引先がこうきたらこういう対応をしようと思っても、お客がこれだけ来るだろうからこれとこれを用意しようと考えても、A→B→C、と頭の中のシミュレーション(前提)通りに事が運んだ例しがない。ターゲットが「この指とーまれ!」と子どものように集まることはないし、取引先は納品予定日に納品しないし、お客は椅子が足らないほどの人数で押し寄せる。そして、私は自分がすべてを「前提」で片付けていたことに気付き、驚き、慌て、疲れ、痩せ、鰹節のように眠る。いっそ削られてやろうか。
なんしか。
想像力が根本的に欠如した輩は、取引先でも身内でも始末が悪い。ああ、きっと、仕事ができない人(相手の状況を想像できない人)は恋人ともうまくいかないだろう。この商品をあそこに運んで搬入して、という流れしか目に入らない人は、商品を持ちながら混み合う切符売り場で切符を買うのがどれだけ大変かを考えないし、もしくは搬入先の最低の奥行きと商品の丈を事前に調べることさえしない。思いつきもしない。そして空虚な「前提」で人を動かし、自分はどんどん現場を離れ、想像力をますます枯渇させていく。
なめんなよ!
そういえば、私が生まれた頃、「なめんなよ猫」、略して「なめねこ」が流行ったらしい。学ランを着、鉢巻きをし、大声で叫びたい気分だ。あれをパロってみよう。私はりん。なめんなよりん。なめりん、なめりん…。そうか、なめりんか。
ああ、くだらない。寝よう。
本社と支店を行ったり来たり。支店で作業中のN氏(同期・要注意人物)にtel。「お電話ありがとうございます。○○店のY本でございます。」「あ、Y本さん。お疲れさまです、本社のりんです。Nさんいらっしゃいますか?」「ああ、旦那ね、いますよー。Nくーん、奥さんから電話ー!」…という対応を受けた数十分後、またしても野暮用発生。「もしもし、度々すみません。Nさんお願いします。」「Nくんはさっき出られましたよ。」「あ、そうなんですね。じゃあ戻り次第折り返しください、とお伝えいただけますか?」「了解です。妻に電話するように言っておきまーす。ガチャ。」と電話を切られ、私、受話器を持ったまま呆然。
本日はクレーム対応。
ただでさえ最悪な状況なのにアポに遅れたら…想像するだに氷点下。ダッシュ、ダッシュ、とにかくダッシュ。平謝りしつつ、私は日本のビジネスについて思いを巡らす。日本? 否、世界中がそう? すべてのビジネスは"机上の空論"の上に成り立っている。私が売り上げを伸ばしたい支店には取引先がいて顧客がいる。彼らとの素敵な関係を維持するためにシステムを構築するが、それはいつだって「前提」の上にある。
どういうことかというと、たとえば一軒のおしるこ屋があれば、おしるこ一杯でいくら儲かるかを計算して来店客数を予想する。これが「前提」。その「前提」に合わせておしるこの素(餡とか白玉粉とか)を用意する。ただ、実際におしるこ屋をオープンさせてみると、アホな店員がおしるこの入った鍋をひっくり返すかもしれないし、雨が降って客足が遠のくかもしれない。万が一の事前策を考えて考えて考えて考えたとしても、おしるこ屋のたった一人の店長が開店直後に心臓発作で倒れないとは言い切れない。
それと同じ。私たちが厳密な(とそのときは思われる)マーケティングを行っても、取引先がこうきたらこういう対応をしようと思っても、お客がこれだけ来るだろうからこれとこれを用意しようと考えても、A→B→C、と頭の中のシミュレーション(前提)通りに事が運んだ例しがない。ターゲットが「この指とーまれ!」と子どものように集まることはないし、取引先は納品予定日に納品しないし、お客は椅子が足らないほどの人数で押し寄せる。そして、私は自分がすべてを「前提」で片付けていたことに気付き、驚き、慌て、疲れ、痩せ、鰹節のように眠る。いっそ削られてやろうか。
なんしか。
想像力が根本的に欠如した輩は、取引先でも身内でも始末が悪い。ああ、きっと、仕事ができない人(相手の状況を想像できない人)は恋人ともうまくいかないだろう。この商品をあそこに運んで搬入して、という流れしか目に入らない人は、商品を持ちながら混み合う切符売り場で切符を買うのがどれだけ大変かを考えないし、もしくは搬入先の最低の奥行きと商品の丈を事前に調べることさえしない。思いつきもしない。そして空虚な「前提」で人を動かし、自分はどんどん現場を離れ、想像力をますます枯渇させていく。
なめんなよ!
そういえば、私が生まれた頃、「なめんなよ猫」、略して「なめねこ」が流行ったらしい。学ランを着、鉢巻きをし、大声で叫びたい気分だ。あれをパロってみよう。私はりん。なめんなよりん。なめりん、なめりん…。そうか、なめりんか。
ああ、くだらない。寝よう。
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