女神 is working
2006年6月17日
接客要員として稼働する土曜日。
先月末支給されたばかりの制服を纏って、化粧を直して、目薬IN、気合い十分で店頭へ。「この仕事は女優業よ。」と語る上司の指導を受けずとも、最初から人を喜ばせることを目的に作られた店内はあまりに眩しく、自然、私は切り替わる。OFF→ONへ。ただの女→アドバイザーへ。
「りんさん、しゃがむときに足を開かないの。」「声が大きいわね、アナタは。」「笑い方はエレガントに。」「汗で化粧が崩れてるわよ。」と、何をするにも叱られる。その度に「ハイッ!!」と体育会風に返事をするとまた叱られるので、「かしこまりましたぁ。」と女神のように(←当店ではよく使われる比喩)微笑みながら「こんなの私じゃない!」と心の中で葛藤…してる場合じゃない。いらっしゃいませぇ♪
緊張で脂汗をかく女神(←私のこと)。
来週に迫るプチデビューに備え、不二子先輩(5月8日の日記参照)にベタ付き。「ひとりでやってごらん。」と放置されてる間はお客様と二人きり。かじったばかりの商品知識をさも詳しいかのごとく披露したり、失敗しやしないかと想像して目眩を起こしたり、静かな場所で心臓の音が聞こえるのではないかと恐れたり、それでもパッと見は女神のごとく。
本日の接客を終えてから考えたこと。
私の日々の業務(接客以外)は売上アップのためにある。業務内容は細分化され、まるで砂を集める作業のよう。本来は砂のお城を完成させることが目的だったのに原料の砂を集める作業につい没頭するように、私はたまに目的を見失う。完成した砂のお城に感動して就職活動をしたはずの私は、そのお城の裏には美しいだけじゃ済まない諸々があることをきちんと理解して、あまりに理解し過ぎていたのかも。
ゴール地点を最終目標として飛び出せば、なんとか届く、もしくは届かずに手前で終わる。ゴールよりさらに先を見据えて飛び出せば、いつの間にか目的は達成してるものだろう。それと同じように、失敗を恐れて接客を行い「ああ、ミスしなくてよかった。」とホッとしている私は、おそらく到達できてない。私の感動した砂のお城は、たとえ資本主義社会でときに「無駄だ」と批判される脆い牙城だとしても、「これだけはどれだけ世の中が荒んでも存続してほしい。」と当時の私が心から願ったはずのもので、それだけの価値がある(と信じている)。価値ある商品を世界で一番幸せなはずの彼女(お客様)のために。いつかは私も世界で一番幸せになりたい、という幼い頃からの夢が募り行き場を変えてこの業界に私を導いたのも道理。「ああ、ミスしなくてよかった」に終始してはならない思いが私にはあったはずで、その思いは、販促活動、資材回収、という諸々の付随業務にまみれるべきじゃない。
自分の所属する業界と、商品を求める購買層、私たちと購買層の二者から発される雰囲気が、私は無条件に好きだ。
「人は聖人になどなれない」と語った私を二月に諫めたある人のように、今日は私も語ってみよう。企業理念が砂のお城だとしても、つまり体裁だけ良くしようと取り繕った部分が(どんな業界・企業にも)あるとしても、その悲しい事実がすべてじゃないし、美しい理念がすべてでもない。「人は聖人になれない」と諦めるのではなく、聖人(美しいもの)になれる可能性をもっともっと取り出してそれがすべてであるように見せること。そういう姿勢が大事なんじゃないかな。私の所属する会社が謳う理想はたしかに理想に過ぎないけど、舞台裏の醜い諸々がまるで無いかのごとく、集う接客員とお客様が共有する美しい幻想がすべてのように、そういう姿勢を私はこれからも持たねば、と思う。
舞台裏では「あー、だりー。」とか言ってお菓子モリモリ食べたり、事務所に逃げ帰ってPCで遊んだり、お尻掻いたり、あくびしたり、立て膝ついたりしてるわけだが。それでも私は女神。パッと見は女神。
先月末支給されたばかりの制服を纏って、化粧を直して、目薬IN、気合い十分で店頭へ。「この仕事は女優業よ。」と語る上司の指導を受けずとも、最初から人を喜ばせることを目的に作られた店内はあまりに眩しく、自然、私は切り替わる。OFF→ONへ。ただの女→アドバイザーへ。
「りんさん、しゃがむときに足を開かないの。」「声が大きいわね、アナタは。」「笑い方はエレガントに。」「汗で化粧が崩れてるわよ。」と、何をするにも叱られる。その度に「ハイッ!!」と体育会風に返事をするとまた叱られるので、「かしこまりましたぁ。」と女神のように(←当店ではよく使われる比喩)微笑みながら「こんなの私じゃない!」と心の中で葛藤…してる場合じゃない。いらっしゃいませぇ♪
緊張で脂汗をかく女神(←私のこと)。
来週に迫るプチデビューに備え、不二子先輩(5月8日の日記参照)にベタ付き。「ひとりでやってごらん。」と放置されてる間はお客様と二人きり。かじったばかりの商品知識をさも詳しいかのごとく披露したり、失敗しやしないかと想像して目眩を起こしたり、静かな場所で心臓の音が聞こえるのではないかと恐れたり、それでもパッと見は女神のごとく。
本日の接客を終えてから考えたこと。
私の日々の業務(接客以外)は売上アップのためにある。業務内容は細分化され、まるで砂を集める作業のよう。本来は砂のお城を完成させることが目的だったのに原料の砂を集める作業につい没頭するように、私はたまに目的を見失う。完成した砂のお城に感動して就職活動をしたはずの私は、そのお城の裏には美しいだけじゃ済まない諸々があることをきちんと理解して、あまりに理解し過ぎていたのかも。
ゴール地点を最終目標として飛び出せば、なんとか届く、もしくは届かずに手前で終わる。ゴールよりさらに先を見据えて飛び出せば、いつの間にか目的は達成してるものだろう。それと同じように、失敗を恐れて接客を行い「ああ、ミスしなくてよかった。」とホッとしている私は、おそらく到達できてない。私の感動した砂のお城は、たとえ資本主義社会でときに「無駄だ」と批判される脆い牙城だとしても、「これだけはどれだけ世の中が荒んでも存続してほしい。」と当時の私が心から願ったはずのもので、それだけの価値がある(と信じている)。価値ある商品を世界で一番幸せなはずの彼女(お客様)のために。いつかは私も世界で一番幸せになりたい、という幼い頃からの夢が募り行き場を変えてこの業界に私を導いたのも道理。「ああ、ミスしなくてよかった」に終始してはならない思いが私にはあったはずで、その思いは、販促活動、資材回収、という諸々の付随業務にまみれるべきじゃない。
自分の所属する業界と、商品を求める購買層、私たちと購買層の二者から発される雰囲気が、私は無条件に好きだ。
「人は聖人になどなれない」と語った私を二月に諫めたある人のように、今日は私も語ってみよう。企業理念が砂のお城だとしても、つまり体裁だけ良くしようと取り繕った部分が(どんな業界・企業にも)あるとしても、その悲しい事実がすべてじゃないし、美しい理念がすべてでもない。「人は聖人になれない」と諦めるのではなく、聖人(美しいもの)になれる可能性をもっともっと取り出してそれがすべてであるように見せること。そういう姿勢が大事なんじゃないかな。私の所属する会社が謳う理想はたしかに理想に過ぎないけど、舞台裏の醜い諸々がまるで無いかのごとく、集う接客員とお客様が共有する美しい幻想がすべてのように、そういう姿勢を私はこれからも持たねば、と思う。
舞台裏では「あー、だりー。」とか言ってお菓子モリモリ食べたり、事務所に逃げ帰ってPCで遊んだり、お尻掻いたり、あくびしたり、立て膝ついたりしてるわけだが。それでも私は女神。パッと見は女神。
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