思春期の中学生のような夢を見て寝覚めサイアクな火曜日。
最悪なのは夢見だけじゃない。出社して早々、虫の居所が悪かったらしい某上司の標的となる。明らかに自分が正しいと信じて疑わないその人は大声でまくしたて、今日も皆に明らかになるように私を叱る。
「お昼行ってきまーす。」と表面上はにこやかに取り繕いながら事務所を出る。
菓子パンを買ったものの涙の味しかしない。ふっ、うっ、とパンと感情を飲み込んだつもりが、堪えていたここ数ヶ月の諸々が爆発して、陽の当たるベンチで「わああああああああああああああああ!!!!!」と泣く。公私入り交じった感情は発散される場所を求めて見つからず、昇華せず、さらに淀み、終いにはNGワードとなって脳内で叫ばれる。聞かせたい、聞かせられない。見せてやりたい、でも見られたくない、こんな醜い自分。嫌いな人にも好きな人にも。
素敵な人になりたい。そう願って邁進するのは自分のためだと思ってた。年をとればとるほど汚れかねない私たちは、徐々に増える汚れを相殺する必要があろう。その努力を怠ったとき、女は「年増」と罵られ、本来年齢のせいじゃない部分まで年齢に起因するものだと受け取られる。
年をとりたくないわけじゃない。むしろ、年をとって今より成熟するかもしれない未来の自分に会ってみたい。が、不断の努力を伴わずにただ不毛に年を重ねることは、自分にとってというより、周囲にとって不利益だ。素敵になりたいと願うこと、一見エゴイストととられかねないその行為は、実はものすごく奉仕精神に満ちたものかもしれない。今日は機嫌が悪かったのねと片付けられる類じゃない要因ばかりで満ちた人、そういう人を陰で冷静に分析する私のような若い人に、いつか同じように蔑みを秘めた目で見られることを想像するとやりきれない。
涙を拭いてさらに考える。
いつだってベストな人なんていない。ここ(日記上)にこうして良さげなことばかり書く私だって、怒る日もあれば泣く日もある。それで仕事が左右されるのは精神が未熟な証拠かもしれないが、私がそうなるまいと耐えたところで仕事の相手が常に機嫌良いわけがない。その中で働くしかない。それはそう。それは理解できた。が、レギュラーもイレギュラーも込みの「全体像」がそもそも素敵じゃない、そんな人にはなりたくない。なってたまるか。泣いてたまるか。
帰宅後、卒業式の記念DVD(←親バカの父が注文したらしい)が届いているのを発見→再生。持ち帰った仕事(服の丈上げ)をチクチクと進めながら縫子は3月に帰る。
吹き荒れる風に騒ぐポールではなく、そよぐ柳のようにしなやかであれ!
そう語ったのは我が出身大学の総長。三ヶ月前に感銘を受けたこの台詞が、このタイミングで再び私に届けられる。吹き荒れる嵐のような社会に出ることはわかってた。自分の導き出した理論にしっかと掴まってポジティブであろうと努力していた私はポールだったのかもしれない。ときには醜い感情を排出する自分を(人には迷惑をかけずに)認めて「まいっか、ムカついたんだもーん。」とのほほんと生きる人は無責任ではなく、しなやかだ。
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余談ですが、DVDを見た後お風呂に入って頭にタオルを巻いたらカメムシに首を噛まれました。洗濯して干したタオルにくっついてた模様です。おかげでカメムシ臭くて大変です。何しろ自分の首が臭いので、逃げても逃げても臭さは追ってきます。
泣きっ面に蜂、とはよく言いますが、泣きっ面にカメムシって。
最悪なのは夢見だけじゃない。出社して早々、虫の居所が悪かったらしい某上司の標的となる。明らかに自分が正しいと信じて疑わないその人は大声でまくしたて、今日も皆に明らかになるように私を叱る。
「お昼行ってきまーす。」と表面上はにこやかに取り繕いながら事務所を出る。
菓子パンを買ったものの涙の味しかしない。ふっ、うっ、とパンと感情を飲み込んだつもりが、堪えていたここ数ヶ月の諸々が爆発して、陽の当たるベンチで「わああああああああああああああああ!!!!!」と泣く。公私入り交じった感情は発散される場所を求めて見つからず、昇華せず、さらに淀み、終いにはNGワードとなって脳内で叫ばれる。聞かせたい、聞かせられない。見せてやりたい、でも見られたくない、こんな醜い自分。嫌いな人にも好きな人にも。
素敵な人になりたい。そう願って邁進するのは自分のためだと思ってた。年をとればとるほど汚れかねない私たちは、徐々に増える汚れを相殺する必要があろう。その努力を怠ったとき、女は「年増」と罵られ、本来年齢のせいじゃない部分まで年齢に起因するものだと受け取られる。
年をとりたくないわけじゃない。むしろ、年をとって今より成熟するかもしれない未来の自分に会ってみたい。が、不断の努力を伴わずにただ不毛に年を重ねることは、自分にとってというより、周囲にとって不利益だ。素敵になりたいと願うこと、一見エゴイストととられかねないその行為は、実はものすごく奉仕精神に満ちたものかもしれない。今日は機嫌が悪かったのねと片付けられる類じゃない要因ばかりで満ちた人、そういう人を陰で冷静に分析する私のような若い人に、いつか同じように蔑みを秘めた目で見られることを想像するとやりきれない。
涙を拭いてさらに考える。
いつだってベストな人なんていない。ここ(日記上)にこうして良さげなことばかり書く私だって、怒る日もあれば泣く日もある。それで仕事が左右されるのは精神が未熟な証拠かもしれないが、私がそうなるまいと耐えたところで仕事の相手が常に機嫌良いわけがない。その中で働くしかない。それはそう。それは理解できた。が、レギュラーもイレギュラーも込みの「全体像」がそもそも素敵じゃない、そんな人にはなりたくない。なってたまるか。泣いてたまるか。
帰宅後、卒業式の記念DVD(←親バカの父が注文したらしい)が届いているのを発見→再生。持ち帰った仕事(服の丈上げ)をチクチクと進めながら縫子は3月に帰る。
吹き荒れる風に騒ぐポールではなく、そよぐ柳のようにしなやかであれ!
そう語ったのは我が出身大学の総長。三ヶ月前に感銘を受けたこの台詞が、このタイミングで再び私に届けられる。吹き荒れる嵐のような社会に出ることはわかってた。自分の導き出した理論にしっかと掴まってポジティブであろうと努力していた私はポールだったのかもしれない。ときには醜い感情を排出する自分を(人には迷惑をかけずに)認めて「まいっか、ムカついたんだもーん。」とのほほんと生きる人は無責任ではなく、しなやかだ。
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余談ですが、DVDを見た後お風呂に入って頭にタオルを巻いたらカメムシに首を噛まれました。洗濯して干したタオルにくっついてた模様です。おかげでカメムシ臭くて大変です。何しろ自分の首が臭いので、逃げても逃げても臭さは追ってきます。
泣きっ面に蜂、とはよく言いますが、泣きっ面にカメムシって。
コメント
なかなか泣きっ面トークにオチはつけられないです。うん。
ありがとう。
実は、この締めは後から付け加えたものなんです。初稿は「しなやかだ。」で終わってたんです。
ただね、思ったの。辛いことだからこそネタにしなきゃなって。社会人になる前に教わったことだけど、最近、ネタにできるほどの余裕が大切なんだな、ってしみじみ思うよ。
頑張ろうぜ。