避けたいサドンデス

2006年6月26日
フラストレーションを不健康な方法(酒とか)で処理する月曜日。

月曜日は外回り&同期・N氏のお守りの日。「りんさん、僕に対してキツイっすよ。」「アナタといるとSにならざるを得ないのよ。」「りんさん、家では土足ですか?それとも靴脱ぎますか?」「…は?」「僕は土足派なんです。」「普通は脱ぐだろ!」「日本の女の子は難しいですね。」「いや、普通だから。家を土足で踏み荒らすような奴とは一緒に住めん。」「りんさんの彼氏は靴脱ぎますか?」「脱ぐよ!」「彼が土足がいいって言ったらどうしますか?」「うちの彼がそう言ったら…まあ、どうにか対応するけど…。」「えー!ずるいですよ、そんなの!」と、もはや突っ込む場所が多すぎて会話にならない。

昼食後もお守りは続く。

「りんさんの好みのタイプを教えてくださいよ。」「またその話?」「何度でも聞きたいです。」「家の中では靴を脱ぐ人かな。」「…範囲広いですねえ。」「まあね。つまり君ではない。」「関西のMくん、結婚するらしいですよ。」「そうなんだ!」「りんさんは結婚願望ありますか?」「アナタはあるの?」「…ありません。」「へえ、まあ、君はそうかもね。」という会話をしたことすら忘れた頃、唐突に大声を出すN。「すみません!さっき嘘つきました!」「えっ、何?」「最近、結婚したくなったんです。」「へえ…。」「僕、結婚したくなったんです!」「へえ…。とりあえず車内は静かにね。」と身の危険を感じてみたり。

帰宅後、絶交した(否、された)友人Aにtel。やっぱり出ない。

喪失感。彼女が心を開くことはもうないのか、と私は絶望的な気分になる。遅すぎる自我が芽生えた私の最大の犠牲者はAだった。本や大人から聞きかじった知識を振りかざし、「真実」を喋っている自分に満足してた。周りが「真実」(に見える一般論)を欲しがってたわけじゃないことに気付かずに。すべては過ぎた事実。動かせない事実。

その後、中学〜高校時代の友人S木とtel。

知り合ってもう10年。10年か。同じゲームのキャラクターが好きという(すげー)理由でお互いに興味を持ち、ともに絵を描き、ともに漫画を読み、ともに部活に勤しんだ。仮想世界の男しか好きになれなかった私たちは、このまま永遠にオタクなのだろうかと思いきや、いやいや、やっと現実に帰ってきた。よかったね。本当によかったよ。

S木もAも当時の友人。Aに(おそらく)愛想をつかされた私は帰る場所を失ったような気持ちだが、S木は今も当時と変わらない。「アンタだけは全然変わらないねえ。」「そうなんだよ。見た目もあまり変わってないしさあ。」と笑うS木は、いつだって、マシンガンのように話す私を受け入れる。マニアなネタも、下ネタも、仕事の愚痴も、S木の前では等号だ。こんな私でいいらしい。こんな私がいいらしい。

ただ、ひとつだけ。

Aを失って煩った"心の癌"を忘れずに。Aとの一件があったとはいえ、私の本質は変わらない。好き放題生きている。自分勝手に電話をかける。ただひとつだけ違うのは、S木が私の話を楽しそうに聞いてくれるこの現状は決して当然ではないということを、今の私は知っている。プレミアがつくほどに貴重なこの関係に慣れてはいけない。だから私はここに書く。感謝してます、S木さん。いつもありがとう。

オーストラリアVSイタリアのキックオフと同時に喋り始め、後半44分、未だ同点。一試合分丸々喋っても話すことが次々と溢れてとまらない私は、延長してこれからも一緒にいたいと思うよ。

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