「仮想世界の男しか好きになれなかった」と過去形で書いたら(6月26日の日記参照)、アナタは今もあまり変わってないのでは、という指摘を受けた木曜日。
今は我が社の繁忙期。飛び回る私&Nくん(同期)は二手に分かれて外回りへ。さてさて…と地図を広げると、場所はお台場。お台場!? 区画整理が続く湾岸はわかり辛い。ナビを見逃すと車線変更できないし、コインパーキングに入れば小銭が見つからない。
サザンをかけながら湾岸をぶっ飛ばした後、N氏合流 → 二人で搬入へ。
一人は決して悪くない。とはいえ、隣にNがいると楽。二回も繰り返し注意したことを忘れるし、車を横付けすればいつも曲がってるし、おなかは出てるし、汗くさい。「あー!!」と叫びたくなるほど腹立たしいが、いないと困る。いるとそれはそれで困る。が、いないとやっぱり困る。そんな自分がNよりも腹立たしい。
信号で停車するたびに考える。
新しく創刊された専門雑誌『BRIDES』は、恋も仕事も成功させたい花嫁のためのもの。ついに出た。こういう雑誌がついに出た。「充実した仕事も、素敵な結婚も、彼と一緒のハッピーライフも、妥協することなく手に入れる。今、叶えるべきは"ワンダフル婚"!」がコンセプト。
1980年、マイ・マザーが寿退社を決めた頃、「結婚≠仕事」がまかり通っていたという。あれから25年と少し。ついにこういう雑誌が出るに至った背景を鑑みるに、私は不気味な何かに背中を舐められる気さえする。欲張りな時代。時代をさらにさらに未来へと突き動かす何かを具体例にすると、そこに見えるのは「ワタシの理想の男性はー、お金持ちでー、格好良くってー、背が高くってー、優しくってー、一流企業に勤めててー、頭が良くってー、センスがよくってー…」と羅列することを厭わない女性。引き算ができない女性。
足すことしかできない私は、オンでもオフでも何もかも手に入れようとしてがむしゃらになり、空回り、疲れ果て、ときに凛とした潔さを失う。足すことしかできない私は引き算を覚えたい。「りんさんの理想の男性はどんな人ですか?」「またその話…?」「そろそろちゃんと答えてくださいよ。」「答えられないの。」「なんでですか?」「私の理想は、そのとき好きな人だから。」と答えた私は、今日、引き算ができてただろうか、と。相対化して他への執着を捨てられなかった私は、恋の分野に限っては、そろそろ「絶対」の中に生きる。それしか存在しない世界。ほかは要らない。好きにならない。
寿退社を推奨するわけでもないし、ディンクスを否定するわけでもない。すべてを成功に導く、と鼻息の荒いかの雑誌が出るに至ったこの社会に悲しい何かを見出しただけ。捨てる覚悟を得ることは、決して悲しいことじゃない(と、私は思う)。むしろほかの可能性を排除するからこそ一際輝く「絶対」を、より深く、より濃密に、誰よりも貪欲に、そして全力で。すべてを全うするより実は難しい。難しいけど、幸福だ(と、私は思う)。
さらに。
人の心は複雑だ。いやだいやだと思い続けたNがいないと寂しくて不安になる私は、ちっとも自分が掴めない。同僚にさえこの調子。恋心はもっと複雑だ。そんな恋心を極限まで高めてする結婚を、「成功」へ導く鍵なんてきっとない。これが、私の、かの雑誌へのささやかなアンチテーゼ。大きなお世話? そうかもね。
帰社後。
「今日はよくやった!」と上司が認める仕事をやり遂げた私は飛び上がる。徐々に面白くなりつつある仕事。人を好きになって徐々に成熟する「女」としての私。どちらも今は好き。そんな私はまだ何も決めていないけど、いつでも、どんなときでも、しなやかに、凛とした姿勢を保って、みっともなくない方法で生きようと、それだけは既に決めている。
今は我が社の繁忙期。飛び回る私&Nくん(同期)は二手に分かれて外回りへ。さてさて…と地図を広げると、場所はお台場。お台場!? 区画整理が続く湾岸はわかり辛い。ナビを見逃すと車線変更できないし、コインパーキングに入れば小銭が見つからない。
サザンをかけながら湾岸をぶっ飛ばした後、N氏合流 → 二人で搬入へ。
一人は決して悪くない。とはいえ、隣にNがいると楽。二回も繰り返し注意したことを忘れるし、車を横付けすればいつも曲がってるし、おなかは出てるし、汗くさい。「あー!!」と叫びたくなるほど腹立たしいが、いないと困る。いるとそれはそれで困る。が、いないとやっぱり困る。そんな自分がNよりも腹立たしい。
信号で停車するたびに考える。
新しく創刊された専門雑誌『BRIDES』は、恋も仕事も成功させたい花嫁のためのもの。ついに出た。こういう雑誌がついに出た。「充実した仕事も、素敵な結婚も、彼と一緒のハッピーライフも、妥協することなく手に入れる。今、叶えるべきは"ワンダフル婚"!」がコンセプト。
1980年、マイ・マザーが寿退社を決めた頃、「結婚≠仕事」がまかり通っていたという。あれから25年と少し。ついにこういう雑誌が出るに至った背景を鑑みるに、私は不気味な何かに背中を舐められる気さえする。欲張りな時代。時代をさらにさらに未来へと突き動かす何かを具体例にすると、そこに見えるのは「ワタシの理想の男性はー、お金持ちでー、格好良くってー、背が高くってー、優しくってー、一流企業に勤めててー、頭が良くってー、センスがよくってー…」と羅列することを厭わない女性。引き算ができない女性。
足すことしかできない私は、オンでもオフでも何もかも手に入れようとしてがむしゃらになり、空回り、疲れ果て、ときに凛とした潔さを失う。足すことしかできない私は引き算を覚えたい。「りんさんの理想の男性はどんな人ですか?」「またその話…?」「そろそろちゃんと答えてくださいよ。」「答えられないの。」「なんでですか?」「私の理想は、そのとき好きな人だから。」と答えた私は、今日、引き算ができてただろうか、と。相対化して他への執着を捨てられなかった私は、恋の分野に限っては、そろそろ「絶対」の中に生きる。それしか存在しない世界。ほかは要らない。好きにならない。
寿退社を推奨するわけでもないし、ディンクスを否定するわけでもない。すべてを成功に導く、と鼻息の荒いかの雑誌が出るに至ったこの社会に悲しい何かを見出しただけ。捨てる覚悟を得ることは、決して悲しいことじゃない(と、私は思う)。むしろほかの可能性を排除するからこそ一際輝く「絶対」を、より深く、より濃密に、誰よりも貪欲に、そして全力で。すべてを全うするより実は難しい。難しいけど、幸福だ(と、私は思う)。
さらに。
人の心は複雑だ。いやだいやだと思い続けたNがいないと寂しくて不安になる私は、ちっとも自分が掴めない。同僚にさえこの調子。恋心はもっと複雑だ。そんな恋心を極限まで高めてする結婚を、「成功」へ導く鍵なんてきっとない。これが、私の、かの雑誌へのささやかなアンチテーゼ。大きなお世話? そうかもね。
帰社後。
「今日はよくやった!」と上司が認める仕事をやり遂げた私は飛び上がる。徐々に面白くなりつつある仕事。人を好きになって徐々に成熟する「女」としての私。どちらも今は好き。そんな私はまだ何も決めていないけど、いつでも、どんなときでも、しなやかに、凛とした姿勢を保って、みっともなくない方法で生きようと、それだけは既に決めている。
コメント
どうも、どうも。コメント、ありがとうございます。
ちょっとハッとしました。そうですね、たしかに、複数の頑張るべきものがあるときは限界ギリギリまで自分を追い込めるのに、いいやもう、って切り捨てた瞬間に途端に楽になっちゃう、ってのはあります。仕事でも、もう明日でいいや、って割り切った瞬間、楽になって困ります。本当は今日できればいいに決まってるし、やろうと思えばできるのに。
要は、見極めですね。割り切ってもいいところでいつまでもしがみついてる人はみっともないし、まだ頑張れるのに継続しない人もみっともない。その見極めがピンポイントでできる人が、私の望む「凛とした人」で、レッドアイさんのおもう「スマートな生き方のできる人」かな。