友人の前で「もうアップアップです!」とふざけていたものの、報道によるとどうも水嵩が増したらしい。あ、あ、溺れちゃう!

本日はデスクワーク。Nくん(同期)と肩を並べて黙々仕事…というわけにもいかず、3分に一回は繰り出される珍問に翻弄される。「アポが取れないんですよ。」「そうかもね。」「やっぱ大手は無理ですかね?」「無理でもやらなきゃね。」「でも大手は厳しいんですよ。」「それは最初から予想できたことだよ。」「でもやっぱ大手だから…。」「付け入る隙はあるよ。向こうとしてはどれも一緒。今使ってる物も、うちの物も。つまり差し替え可能。」「でも大手はさぁ…。」と、ちっとも要領を得ないNにシャラップ!

就業後、同期Kちゃんとサシ飲み@外苑前。

半分仕事で訪れた某店は久々のイタリアン。テラス席でシャルドネ×2(グラス)、ロメインレタスと蒸し鶏のヨーグルトソース和え、生ウニのトマトクリームスパゲッティなど、そこそこのお値段とそこそこの雰囲気。にもかかわらず鼻息荒くてワインをこぼしそうな私と、何を言っても受けとめるKちゃん。スイッチが入った私を何が止められよう。甘いデザート? それとも酒? 否、酒は加速させるのみ。

酔った私は定期券と乗り換え賃の差額が納得できず、メトロ駅員に悪態をついた。

JRに乗り換えても怒りは収まらず、満員の車内にはこんな私のための席もない。座る人、立つ人、眠る人、皆いつも通り。仮にいつも通りじゃない誰かがいても気付かないように、いつも通りじゃない私にも誰も気付かない。だから、世界は、いつだっていつも通り。いつも通りじゃないから、人は泣く。泣きながら考える。泣いて何になる、と。理性を得た大人は泣かずにいられる理由を練る。泣けない。泣かない。「大人」と「子ども」が内で争う。葛藤はあれど、涙はある。崇高な存在感とともに、涙はある。

私より辛い人はいる。その事実は泣かない理由になるのか、と。生まれたばかりの私がママのおっぱいを欲しがって泣いたように、23歳の私が何かを欲しがって泣くのはみっともない。が、ただただ泰然と存在する涙線は「泣かない理由」じゃない理由を欲して、私を揺らす。それが涙の存在理由だと主張するように。そして私は絶縁された幼なじみAを思い出す。Aが苦しくて泣いたとき、「アナタより辛い人はいる。」としか言えなかった私。私の服はますます濡れる。数年遅れて理解した。

同期Kちゃんより新着メール一件受信。

週末のデートが中止になったKちゃんは、私との食事中に瞳を濡らした。たかがそれぐらい、と笑い飛ばすこともできるし、もっと辛い人はいる。もっともっと辛い人もいる。もっともっともっと辛い人もいる。もしかしてKちゃんより辛いかもしれない誰かは、Kちゃんの涙を拭う。涙は拭うためにある。私の思う涙の存在理由。

帰宅後、大好きな一冊を本棚から引っ張り出し、氷室冴子の解説を読む。



"わたし"にならなければ、恋はできない
友達を愛することもできない
好きな男や、友達のために涙を流すこともできない

"わたし"になるためにはたくさんの時間、群れから離れた時間が必要です

女友達が幸福な恋の思い出のためにぴかぴかの顔をした、
すぐそのあとで涙ぐむ不思議さを知っているか、
どーしちゃったのよと呆れて笑いとばすかの違いは、
女王さまと侍女くらいの違いがあります

恋をするには、恋している、いい女友達をいっぱい見つけることです
そして彼女たちを見つめることです

そうやって立ちどまって凝視することのできる子だけが、
いつか好きな男の人をじいっと見つめることができます
じいっと見つめるから、好きな男をとりまく風景、彼のしぐさや体臭や、
彼自身も気づかない彼のすべてを味わい、愛することができるのです

別れたあとの男のしまつは、ちゃんと違う女がしてくれるものです
違う女がちゃんと、彼から、彼女だけの感動をひきだします
好きな男から、自分だけの感動をひきだせる女の子が、すこしずつ、
ちゃんとした大人の女になってゆきます

(山田詠美『放課後の音譜』・解説より引用。)






初めて読んだ日から7年経つ。

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