忍ぶりん
2006年7月5日三浦哲郎の『忍ぶ川』(新潮文庫)を読む水曜日。
昭和35年下期に発表された私小説『忍ぶ川』は、その期の芥川賞を受賞した。昭和の名作のひとつとして、人々に長く愛され、いつまでも繰り返し読み継がれてゆく作品だろう。どんな時代にもこういう作品はあっていいはずで、むしろこういう作品がなくてはならない。
が、こういう作品は滅多に生まれるものじゃない。真似して書けば、鼻持ちならないセンチメンタルな通俗作品になってしまうだけ。こういう作品を書けそうに思えたとき、作者は躊躇せずに己の魂の流露に素直に身を任せるべきで、作者三浦哲郎は、その生涯における一度か二度しかない稀な機会を見事にとらえ、そこにすべてをかけたのだ。…と、文芸評論家・奥野健夫は語る。
大まかなあらすじを少々。
ことごとく自殺・失踪した兄姉と自分との間に流れる暗い血と闘いながら、強いてたくましく生き抜こうとする大学生の青年(おそらく三浦自身)と、州崎の色街出身で小料理屋につとめる娘・志乃の物語。病身の父と弟妹たちを支える志乃と、やはり老いた両親と姉を持つ青年が出会ったのは、「忍ぶ川」という名の小料理屋。家族のために腕利きのセールスマンとの結婚を決めた志乃は言う。「父は、そんな条件づきの結婚なんかやめちまえ、目先の条件なんかにつられて一生棒にふることはない、結婚なんて、死ぬほど惚れた相手ができたら、さっさとするのがいちばんだっていうんです。」青年は言う。「その人のこと、破談にしてくれ。」「はい。」「もう、なかったことにして忘れてくれ。」「はい。」「そして、お父さんに、あんたの好みに合いそうな結婚の相手ができたと、いってやってくれ。」と。そして二人は雪深い東北の村でたった五人の結婚式を挙げる。
読み返すのは三回目。
読んだ後に本を置き、私はニュースを見る。アナウンサーと専門家が難しい話をしていた。北朝鮮が7発のミサイルを発射、いずれも日本の国土から500〜700キロ離れた日本海に落下したという。そうか、と思う。そうか、と思いながら皿を洗う。母は「あんた、少しはニュースとか見なさいよ。」と言う。「お母さんが思う以上には見てます。」「関心がなさすぎよ。」「そうかな?そうでもないつもり。」と私は言う。そうかな? そうでもないつもり。
自分の結婚を素直に書いて受賞を得た三浦哲郎だが、書かれた事実、ディテールは、そのまま体験したことじゃない。『忍ぶ川』から受ける雰囲気は、リアリズムというよりフィクションで、作者の美意識によって作られた架空の作品という気さえする。生きていくために必ず付随してくる現実の汚れが、底知れぬ懐疑や、嫉妬や、苦しさが、あったに違いない。それらを丹念に削り落とし、意識的に捨象し、美しさと素朴さだけの物語の世界を築いたのが三浦だろう。…と、奥野健夫は語る。
仕事柄、毎日のように専門雑誌を読み、その雑誌が狙うターゲットたちの心境になる。「彼ママに嫌われない嫁になる!」「夢みる乙女のドラマティックドレス!」「人とは違うこれが21世紀流スーパー披露宴!」と、うわっははははは!! と笑いとばしたくなるほどに具体的な各特集は、色恋沙汰好きの私をちっともときめかせない(意外かい?)。これまた具体的で生臭い社会の話が私の胸に空しい風をひゅーひゅー吹かせるように。
私をときめかせるのは、たとえばこんな風景だ。
その夜、私と志乃は二階の部屋に寝るのであった。
私は、二つならべて敷いた蒲団の一方を、枕だけのこして手早くたたんで、
「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。」
さっさと着物と下着をぬぎすて、素裸になって蒲団へもぐった。
志乃は、ながいことかかって、着物をたたんだ。それから、電燈をぱちんと消し、私の枕もとにしゃがんでおずおずといった。
「あたしも、寝巻を着ちゃ、いけませんの?」
「ああ、いけないさ。あんたも、もう雪国の人なんだから。」
言葉がとぎれた雪国の夜は地の底のような静けさで。時代がすすみ、この国は豊かになって、21世紀は人々の両手からこぼれおちるほどにすべてが具体的になって、たかが「結婚」ひとつとっても、挙式会場、披露宴会場、衣装、装花、余興、引き出物など、すべてが揃い、私たちはこだわれる。職業が多彩になり、娯楽が溢れ、教養の類も増え、私たちは豊かな具体性の中で喜んだり怒ったり。それが社会。
そうとはバレないように私は社会に紛れ、新聞を読み、本を買い、会社に勤め、皆と語り合う。そうとはバレないように。幾重にも及ぶ寝巻のようなおくるみを纏い、それでも心は欲してる。静かで具体性を欠いた初夜を迎えた夫婦が見出したかもしれない何かを、内ではひとり裸の状態で欲してる。
そして私は現実を削ぎ落とした小説を書く。天に向かって唾を吐くように、社会を眺めつつ小説を書く。三浦哲郎のように。
昭和35年下期に発表された私小説『忍ぶ川』は、その期の芥川賞を受賞した。昭和の名作のひとつとして、人々に長く愛され、いつまでも繰り返し読み継がれてゆく作品だろう。どんな時代にもこういう作品はあっていいはずで、むしろこういう作品がなくてはならない。
が、こういう作品は滅多に生まれるものじゃない。真似して書けば、鼻持ちならないセンチメンタルな通俗作品になってしまうだけ。こういう作品を書けそうに思えたとき、作者は躊躇せずに己の魂の流露に素直に身を任せるべきで、作者三浦哲郎は、その生涯における一度か二度しかない稀な機会を見事にとらえ、そこにすべてをかけたのだ。…と、文芸評論家・奥野健夫は語る。
大まかなあらすじを少々。
ことごとく自殺・失踪した兄姉と自分との間に流れる暗い血と闘いながら、強いてたくましく生き抜こうとする大学生の青年(おそらく三浦自身)と、州崎の色街出身で小料理屋につとめる娘・志乃の物語。病身の父と弟妹たちを支える志乃と、やはり老いた両親と姉を持つ青年が出会ったのは、「忍ぶ川」という名の小料理屋。家族のために腕利きのセールスマンとの結婚を決めた志乃は言う。「父は、そんな条件づきの結婚なんかやめちまえ、目先の条件なんかにつられて一生棒にふることはない、結婚なんて、死ぬほど惚れた相手ができたら、さっさとするのがいちばんだっていうんです。」青年は言う。「その人のこと、破談にしてくれ。」「はい。」「もう、なかったことにして忘れてくれ。」「はい。」「そして、お父さんに、あんたの好みに合いそうな結婚の相手ができたと、いってやってくれ。」と。そして二人は雪深い東北の村でたった五人の結婚式を挙げる。
読み返すのは三回目。
読んだ後に本を置き、私はニュースを見る。アナウンサーと専門家が難しい話をしていた。北朝鮮が7発のミサイルを発射、いずれも日本の国土から500〜700キロ離れた日本海に落下したという。そうか、と思う。そうか、と思いながら皿を洗う。母は「あんた、少しはニュースとか見なさいよ。」と言う。「お母さんが思う以上には見てます。」「関心がなさすぎよ。」「そうかな?そうでもないつもり。」と私は言う。そうかな? そうでもないつもり。
自分の結婚を素直に書いて受賞を得た三浦哲郎だが、書かれた事実、ディテールは、そのまま体験したことじゃない。『忍ぶ川』から受ける雰囲気は、リアリズムというよりフィクションで、作者の美意識によって作られた架空の作品という気さえする。生きていくために必ず付随してくる現実の汚れが、底知れぬ懐疑や、嫉妬や、苦しさが、あったに違いない。それらを丹念に削り落とし、意識的に捨象し、美しさと素朴さだけの物語の世界を築いたのが三浦だろう。…と、奥野健夫は語る。
仕事柄、毎日のように専門雑誌を読み、その雑誌が狙うターゲットたちの心境になる。「彼ママに嫌われない嫁になる!」「夢みる乙女のドラマティックドレス!」「人とは違うこれが21世紀流スーパー披露宴!」と、うわっははははは!! と笑いとばしたくなるほどに具体的な各特集は、色恋沙汰好きの私をちっともときめかせない(意外かい?)。これまた具体的で生臭い社会の話が私の胸に空しい風をひゅーひゅー吹かせるように。
私をときめかせるのは、たとえばこんな風景だ。
その夜、私と志乃は二階の部屋に寝るのであった。
私は、二つならべて敷いた蒲団の一方を、枕だけのこして手早くたたんで、
「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれたときのまんまで寝るんだ。その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。」
さっさと着物と下着をぬぎすて、素裸になって蒲団へもぐった。
志乃は、ながいことかかって、着物をたたんだ。それから、電燈をぱちんと消し、私の枕もとにしゃがんでおずおずといった。
「あたしも、寝巻を着ちゃ、いけませんの?」
「ああ、いけないさ。あんたも、もう雪国の人なんだから。」
言葉がとぎれた雪国の夜は地の底のような静けさで。時代がすすみ、この国は豊かになって、21世紀は人々の両手からこぼれおちるほどにすべてが具体的になって、たかが「結婚」ひとつとっても、挙式会場、披露宴会場、衣装、装花、余興、引き出物など、すべてが揃い、私たちはこだわれる。職業が多彩になり、娯楽が溢れ、教養の類も増え、私たちは豊かな具体性の中で喜んだり怒ったり。それが社会。
そうとはバレないように私は社会に紛れ、新聞を読み、本を買い、会社に勤め、皆と語り合う。そうとはバレないように。幾重にも及ぶ寝巻のようなおくるみを纏い、それでも心は欲してる。静かで具体性を欠いた初夜を迎えた夫婦が見出したかもしれない何かを、内ではひとり裸の状態で欲してる。
そして私は現実を削ぎ落とした小説を書く。天に向かって唾を吐くように、社会を眺めつつ小説を書く。三浦哲郎のように。
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