惑星、伊豆へゆく

2006年7月16日
惑星、伊豆へゆく
8年振りに家族で旅行。

行き先は伊豆・熱川。五日前に決まったばかり。出不精の両親がどういう風の吹き回しかと思いきや、働く私に気を遣ってのことらしい(周辺各所にはご心配とご迷惑をおかけしております)。久しく県境を越えていないファミリーカーに荷物を詰め込んで、さあ出発よ。とはいっても運転手はマイ・ファザー。ああ楽チン。

木更津から東京湾アクアラインを経て神奈川へ。

「これが海ほたる?」「そうだよ。」「あれぃ、ずうぶん、びーたびーただね。」と文句を言いながら、海ほたるで下車→エスカレーターで展望台へ。「あーんちことねぇな。」「予想よりはいい風(ふう)だけんが。」と最上階でも文句ばかり。「千葉のおみやげはろくなもんがねぇけんが。」「そこが千葉らしさだっちよ。」とおみやげ屋でも文句ばかり。

その後、横浜町田ICから東名高速へ。

昔も今もナビのない車。運転席には父。後部座席には母。助手席で地図を見る私は、不思議な気持ちになった。かつてこの場所(助手席)には母が座り、父と難しい話をしていたような。私が口を挟むと「子どもは黙ってなさい。」とでも言いたげだったのに。父が疲れれば私が運転し、母が疲れれば後部に寝てもらう。庇護が当たり前のように存在していた頃から8年過ぎた。

これが最後になるかもね。

多分誰もが思っていた。口に出すと寂しいから言わない。出不精の父と体の弱い母の間に、運悪く「女」として生まれた私。このままここにとどまっても、ここではないどこかへ去ったとしても、どちらにしても親不孝。生まれたときにはこの輪があった。その事実は、生まれたときには太陽があったのと同じくらい当たり前だった。この輪を疎んじて海に山にと飛び出した私は、輪がいつまでもあると思ってた。太陽がいつまでも光ると信じるみたいに。

新婚旅行のメッカ・熱海を越えてさらに思う。

両親は、最初から親だったわけじゃない。二人とも、既存の輪を抜け出して結婚し、ないところに新たな輪を創造した。その創造物が私にとっての太陽で、今となっては当たり前。すっかり風化して原型を失いつつある彼らの古き輪はどこにいったのだろう? 太陽のように光っている私の輪が、やがては「かつての輪」になって、深い宇宙の底に収縮して暗く沈み込む古星になるのかな。

「おかあさん、コアラのマーチとってぇー。」「はいはい。」「お父さん、合流恐いから運転してぇー。」「へいへい。」と、太陽のあたたかい光の中で甘え続ける私は幸福だ。彼らにとっての「かつての輪」が深い宇宙の底に沈んで見えなくなったとしても、とって代わるように輝き出した新しい輪が私を包み込む。私が勇気を出してこの輪の軌道を外れ、孤独な宇宙を漂い、孤独を塗りつぶすほどに輝ける何かを見出し、そして新たな輪を創造する日。別の軌道に乗る日。その日を彼らは待っていて、その日が来るまで彼らの子育ては終わらないし、それまではここで甘えていたい。

宿に到着→温泉&部屋食を堪能。

親子三人、もう忘れてほしい私の子ども時代の失態や、映画化したいほどにロマンチックな両親のなれそめ、そんな話を肴に、女二名に対していつもタジタジの父をからかったり、からかわれたり、都会を離れて水入らずの一夜は更けゆく。

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