転機
2006年8月9日宣言に代えて。
入社して四ヶ月経ちますが、オンでもオフでも色々なことが起こりました。一連の大騒ぎを自分の中だけで解決できなくて、ここ(日記上)に書いたり、大切な人たちや家族にも迷惑をかけました。
先々週末の日中、私は初めて蝉の声を聞きました。クーラーを点けずに寝て、起きて、自分の体が汗でびっしょりになっていることに気付くあの感覚。そして、眩しい太陽の光。梅雨が明けて夏が来ました。記憶が遠くなっても、体が覚えているんです。嗅覚は記憶と直結しているといいますが、アスファルトが灼ける匂いやスイカを切った瞬間の瑞々しい匂いが、私に一年前のあの出来事を思い起こさせるんです。
去年の夏、私は自分を見つめました。ひとつの恋が終結したのをきっかけに、自分がひどく「恋愛」に依存していたことを知ったのです。好きな人さえいればいいと思っていた私は、ひとつのおかずを食べ続ける子どもと同じだったのかもしれません。これさえあればいいと思っていた唯一の「これ」を奪われ、私は自分に何もないことを知りました。趣味は「恋愛」だと豪語していた私のその他の趣味は、オシャレ、料理、恋愛映画を観ること、恋愛小説を読むこと、ラブソングを聴くこと、すべて好きな人に直結するものだったので、その好きな人がいなくなったことをきっかけに、数珠繋ぎのように失われてしまったのです。好きな人さえいればいいと思っていた私は、ほかをないがしろにしているつもりは微塵もないつもりでしたが、友達や家族をやはり傷つけていたのです。
私は自分の人生を充実させる旅に出たつもりでした。失恋をきっかけに、何か別の趣味を持とう、と。決意は固まったものの、神様はこんな私にも優しくて、僅か一ヶ月で私の人生には新たな風が吹きました。そして、私は「書くこと」に何かを見出すようになったのです。
季節は一回りしました。私は、自分が「書くこと」と「恋愛」を自分に都合の良いように結びつけていたと気付かされ、またしても依存していたことを知ったのです。生産的な趣味がどのようなものかは未だにわかりませんが、帰宅し、PCに向かい、祈ると見せかけてただ自分の感情(良いものも悪いものも含め)を垂れ流していたこの数ヶ月は、悪趣味と罵られても仕方ないものでしょう。「書くこと」と「恋愛」に依存していた私は、ふと、そのふたつを一度に失うのではないかという恐怖に襲われ、「ああやはり私には何もない」と、去年からあまり進歩していないことに愕然としたのです。
会社から辞令が下り、私は、去年と少しだけ違う自分の立ち位置を省みました。今や私は社会人で、社会に果たせる何かがあるのです。顧客のために働くんだというわかりやすい動機は失われましたが、経営者、そのブレーン、そういった人たちと机を並べて仕事ができる環境に置かれることとなり、自分がようやく成熟して新たに社会に還元できる可能性に気付いたのです。
単なる趣味という枠を越え、私にはもはや「何もない」という絶望はないはずです。というのも、私の周りには何もないどころか、多くの友人、素晴らしい文化、家族、義務、美しい世界、それらが当時と変わらず存在していることに、もう一度、改めて気付いたのです。
去年と今とで何が違うかといえば、私にもっとも近いところで美しい「言葉」を与えてくれる人が、去年はいなかったこと。そして、当時は知り合ってさえいなかった人たちが、今は「言葉」によって私に多くの刺激を与えてくれること。さらに、当時も今も変わらずそばにいてくれる古い友人たちがより深い「言葉」を私に与えてくれること。
だから、私も、当時と違う方法で何かしらの「言葉」を発していきたいんです。季節が一回りする間に、私は「言葉」に多くの意味を見出したつもりでしたが、ここにきてリセットしたいんです。一般的な「言葉」と、伝えたい相手への「メッセージ」を混同することのないように、今まで以上に細心の注意を払いながら。ここ(DiaryNote)を便利なツールとするのではなく(ツールはツールとして認めつつも)、そうではなく、垂れ流すのではく、残しておきたい何かを昇華させるために。
当時も今も「恋愛」が私にとっての一大事という事実は変わりません。今年の夏、私は改めて自身の性質を受け入れます。が、その性質はなかなか変わらないとしても、その性質を存分に発揮するべき時期の果てに、私ができること、私にしかできないこと、そういった何かがあるだろうことを、今回の辞令がまさに終止符として打たれ、それによって私は再確認したのです。
辞令は終止符でしたが、偶然出会ったあるふたつの「言葉」も私にとって終止符でした。↓
愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある
しかし狂気のなかにはつねにまた、いくぶんかの理性がある
(ニーチェ・『ツァラトゥストラはかく語りき』第一部「読むことと書くこと」より。)
私がその初めにおいて私の恋愛を肯定したのは、
私にとってはそれが自我の主張であり、
発展であったことはいうまでもないことでした
しかるにこの自我の主張であり、発展であった恋愛は
実は人生の他の一面である他愛的生活に通ずる一つの門戸であったのです
(『平塚らいてう評論集』より。)
入社して四ヶ月経ちますが、オンでもオフでも色々なことが起こりました。一連の大騒ぎを自分の中だけで解決できなくて、ここ(日記上)に書いたり、大切な人たちや家族にも迷惑をかけました。
先々週末の日中、私は初めて蝉の声を聞きました。クーラーを点けずに寝て、起きて、自分の体が汗でびっしょりになっていることに気付くあの感覚。そして、眩しい太陽の光。梅雨が明けて夏が来ました。記憶が遠くなっても、体が覚えているんです。嗅覚は記憶と直結しているといいますが、アスファルトが灼ける匂いやスイカを切った瞬間の瑞々しい匂いが、私に一年前のあの出来事を思い起こさせるんです。
去年の夏、私は自分を見つめました。ひとつの恋が終結したのをきっかけに、自分がひどく「恋愛」に依存していたことを知ったのです。好きな人さえいればいいと思っていた私は、ひとつのおかずを食べ続ける子どもと同じだったのかもしれません。これさえあればいいと思っていた唯一の「これ」を奪われ、私は自分に何もないことを知りました。趣味は「恋愛」だと豪語していた私のその他の趣味は、オシャレ、料理、恋愛映画を観ること、恋愛小説を読むこと、ラブソングを聴くこと、すべて好きな人に直結するものだったので、その好きな人がいなくなったことをきっかけに、数珠繋ぎのように失われてしまったのです。好きな人さえいればいいと思っていた私は、ほかをないがしろにしているつもりは微塵もないつもりでしたが、友達や家族をやはり傷つけていたのです。
私は自分の人生を充実させる旅に出たつもりでした。失恋をきっかけに、何か別の趣味を持とう、と。決意は固まったものの、神様はこんな私にも優しくて、僅か一ヶ月で私の人生には新たな風が吹きました。そして、私は「書くこと」に何かを見出すようになったのです。
季節は一回りしました。私は、自分が「書くこと」と「恋愛」を自分に都合の良いように結びつけていたと気付かされ、またしても依存していたことを知ったのです。生産的な趣味がどのようなものかは未だにわかりませんが、帰宅し、PCに向かい、祈ると見せかけてただ自分の感情(良いものも悪いものも含め)を垂れ流していたこの数ヶ月は、悪趣味と罵られても仕方ないものでしょう。「書くこと」と「恋愛」に依存していた私は、ふと、そのふたつを一度に失うのではないかという恐怖に襲われ、「ああやはり私には何もない」と、去年からあまり進歩していないことに愕然としたのです。
会社から辞令が下り、私は、去年と少しだけ違う自分の立ち位置を省みました。今や私は社会人で、社会に果たせる何かがあるのです。顧客のために働くんだというわかりやすい動機は失われましたが、経営者、そのブレーン、そういった人たちと机を並べて仕事ができる環境に置かれることとなり、自分がようやく成熟して新たに社会に還元できる可能性に気付いたのです。
単なる趣味という枠を越え、私にはもはや「何もない」という絶望はないはずです。というのも、私の周りには何もないどころか、多くの友人、素晴らしい文化、家族、義務、美しい世界、それらが当時と変わらず存在していることに、もう一度、改めて気付いたのです。
去年と今とで何が違うかといえば、私にもっとも近いところで美しい「言葉」を与えてくれる人が、去年はいなかったこと。そして、当時は知り合ってさえいなかった人たちが、今は「言葉」によって私に多くの刺激を与えてくれること。さらに、当時も今も変わらずそばにいてくれる古い友人たちがより深い「言葉」を私に与えてくれること。
だから、私も、当時と違う方法で何かしらの「言葉」を発していきたいんです。季節が一回りする間に、私は「言葉」に多くの意味を見出したつもりでしたが、ここにきてリセットしたいんです。一般的な「言葉」と、伝えたい相手への「メッセージ」を混同することのないように、今まで以上に細心の注意を払いながら。ここ(DiaryNote)を便利なツールとするのではなく(ツールはツールとして認めつつも)、そうではなく、垂れ流すのではく、残しておきたい何かを昇華させるために。
当時も今も「恋愛」が私にとっての一大事という事実は変わりません。今年の夏、私は改めて自身の性質を受け入れます。が、その性質はなかなか変わらないとしても、その性質を存分に発揮するべき時期の果てに、私ができること、私にしかできないこと、そういった何かがあるだろうことを、今回の辞令がまさに終止符として打たれ、それによって私は再確認したのです。
辞令は終止符でしたが、偶然出会ったあるふたつの「言葉」も私にとって終止符でした。↓
愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある
しかし狂気のなかにはつねにまた、いくぶんかの理性がある
(ニーチェ・『ツァラトゥストラはかく語りき』第一部「読むことと書くこと」より。)
私がその初めにおいて私の恋愛を肯定したのは、
私にとってはそれが自我の主張であり、
発展であったことはいうまでもないことでした
しかるにこの自我の主張であり、発展であった恋愛は
実は人生の他の一面である他愛的生活に通ずる一つの門戸であったのです
(『平塚らいてう評論集』より。)
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