遅ればせながら日曜の備忘を。

"大阪からいらしたおにいさんを囲む会"に出席@新大久保。

「キムギョプサルをたべよう」ということで注文したものの、テーブルからはみ出しそうなほどの韓国料理の中のどれがキムギョプサルだったのか、実は未だにわかってません。先日誕生日を迎えたばかりのおにいさんの32歳を祝し、ケーキ風にアレンジされた豆腐の上のローソクをふーっ。誕生日、異動、etc、おめでとうございます。

印象的だったこと。

テーブルには四人(男、男、女、女)。ふと会話がやんだとき、私は密かにこんなことを思っていたんです。ものすごくシンプルに「21世紀に生まれてよかったなあ」と。ちょっと前でもだめで、もう少し後でもだめかもしれなかったから。さらに言うなら、そんな時代の中にあって、あの日(とってもよく覚えてるんです)、あのとき(午前三時でした)、あの場所(自室のデスク)で、何気なく行動したことが歯車を動かして、もっと言うなら私ひとりが動いてもだめで、それぞれがそれぞれのタイミングでたまたま(だと思うんです)歯車を動かして、くるくる、くるくる、くるくる、くるくる、四つの運命の歯車が回って噛み合って月日は経ち、今日、この会は開かれたんです。

ふと静かになったとき、私がこっそりそう思っていたら、隣で百済酒を飲んでたおねえさんが、私とまったく同じタイミングで、似たようなことをぽつりとおっしゃったんです。そのとき正確に何という言葉だったかうまく思い出せないんですが、バラバラに見える「四」という数字の中にふっと滑り込んで溶け合った何かの気配(言葉にできないんです)をおねえさんも感じてて、お酒と一緒に味わっていたのではないかと。

最近の傾向として。

「大切な人たちが急にいなくなるかもしれない」という得体の知れない恐怖に襲われるときがあって、なぜか最近はその頻度が高くて、自分でもどうしてそんな気持ちになるのかわからないのですが。ただ、ちょっと、思ったことがありまして。

あの日、あのとき、あの場所で、たまたま動いたことが今日に繋がったと書いたけど、もしかして、PCなんてない時代に生まれても、会うべくして会う人とは会えるように仕組まれているんじゃないかしらね? だからね、PCなんてもちろんなかっただろう動乱の世でも、山奥で木を切って暮らす木こりのおにいさんと、拍子に合わせて華麗に舞う白拍子のおねえさんと、学者が集まる草庵で書物を読みふけるおにいさんと、都に出たいと夢見ながら草を刈る農民の娘は、21世紀とは違ったかたちで、それでも人と人の間に滑り込んで溶け合った何かの気配を個々が感じて、それにしたがって歯車を回して、ふっと、たまたま、でも偶然ではなく必然として、いつか出会ったのかも、なんて。

本当に失いたくない関係があるとして、それは大切だからこそ夢みたいに消えるんじゃないかという不安に襲われるわけだけど、もし必然だったと呼べるような"ホンモノ"なら、きっと失われないように仕組まれてるはずで。繊細で綺麗な何かを信じるのはすごく恐いけど、おねえさんと感じたシンクロニシティが幾分か背を押してくれたような気分です。

その後、カラオケ。さらにその後はちょっと(ちょっとじゃないかも)人に迷惑をかけました…。

コメント

nophoto
サイヤ人
2006年8月17日11:32

そうそう、そうなんですよ。
「会うべくして会う人とは会えるように仕組まれている」
これですよ、これ!
「人生とは」「出会いとは」こういうものなんだ!と思うんですよ。
でも、あんまりこう言うことを人に話すと宗教っぽいので言わないようにしてます(笑)

りん
りん
2006年8月21日1:42

>サイヤ人さま

>人に話すと宗教っぽいので

ですよねー!宗教っぽい話が仮に正しかったとしても、たしかに人が聞いたらやや引く話ってありますね。私の日記なんて結構な頻度で宗教っぽいので、実は皆ドン引きだったりして…。

でも、こういう話(会うべくして会う人とは会えるように仕組まれている)って、やっぱり、もし本当だったら素敵だなー、って思うんですよね。うん。

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索