ママの交通事故

2006年8月26日
江國香織の『神様のボート』(新潮文庫)を読む。金曜日に泊めてもらった友達に借りたもの。

この頃は山田詠美が胃にもたれる。角田光代は落ち込むし、唯川恵は読むとくしゃみが出る。この江國の代表作は、必ず戻るといって消えたパパを待つママと娘の物語。

仕事を終え、家に帰り、今日は私のママ(と呼んだことはないけど)と二人きり。私のパパ(と呼んだこともないけど)は今日の夕方大阪に発ち、またしばらく帰って来ません。

遅い夕食後、私はソファで江國を読み、母は100kmマラソンに挑んだアンガールズの特番を見てました。お風呂から出ると母はグラスでビールを飲み、私は平川克美を読みました。父がいなくても私は本を読むし、母はテレビとビールを楽しみます。けれど、こういう晩、私はきまって「待つ時間を食べて女は生きる」という文句(どこで聞いたのだろう)を思い出します。食べるべきものを家中にためこんで、"あたしのママ"は今日も綺麗です。

『神様のボート』の中で、登場人物のママは、昔、「骨ごと溶けるような恋」をした。その結果生まれた娘に、登場人物のママはこう言います。「あなたにもいつかああいうことが起こったら素敵ね」と。でもそのたびに、いかにもすまなそうに「おんなじことは起こるはずがないけれど。あなたのパパみたいな人は世界じゅうにただ一人だもの」と付け加える。

"あたしのママ"には古い友達がいて、その友達は好きでもない人と結婚して大失敗したそうな。この話をするたびに、「でも、おかあさんは、大好きな人と結婚したのに大失敗してるけど」と笑います。多くをつぎ込んで終えた"あたしのママ"流の子育ては若干成功の兆しを見せているのでは、と。"あたしのママ"が最終的に私に何を望んでいたのか、実は少しだけわかる気がしてるんです。

待つ時間を食べるのはやはりちょっぴり退屈だろうと思うので、こういう日は、お父さんを好きな理由をおしえて、なんて言ってみます。好きに理由はないでしょ、と母は言います。私は、理由はないけどあるよ、と。理由って、ひとつじゃなくて、パズルみたいにこまかいのがいくつも繋がってできるときもあるから、その理由になってないような全体の一部分でいいから知りたいの、たとえば、私は、うしろから見たときまっすぐでツヤツヤ光ってる髪がすき、そういうやつ、と言ってみると、母は、

当時、あんたのおとうさんは、徹夜で麻雀やって、昼はグーグー寝て、夜起きて、そのせいで顔が青白くて生気がなくて、なんか、そこがセクシーだった あと、くせっ毛がうねうねしててかわいかった

…と。(がくっ。)

いつの時代も恋は交通事故のようなものですね(避けられない。そして、大怪我)。

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