坂道でねえダーリン
2006年9月4日
遅ればせながら、9月2日(土)の日記。
「10時間ほど密室で待機」というミッションを仰せつかった本日、仕事中にもかかわらず、川上弘美の『センセイの鞄』(文春文庫)を最初から最後まで読む。
「センセイはゆっくりと杯を干し、手酌でふたたび杯を満たした。一合徳利をほんのちょっと傾け、とくとくと音をたててつぐ。杯すれすれに徳利を傾けるのではなく、卓上に置いた杯よりもずいぶん高い場所に徳利を持ち、傾ける。酒は細い流れをつくって杯に吸い込まれるように落ちてゆく。一滴もこぼれない。」という描写を読んだら、ふと、ある人に会いたくなった。「手酌」という言葉さえ知らなかった私に初めて日本酒を飲ませた人に。
ミッションを終え、タクシーに飛び乗り、「近いんですけど」と目的地を告げた。ワンメーター660円。時刻は午後九時。コンビニに寄って「GABA」を買う。
休日とはいえ、こんな時間にいるはずない。わかっちゃいたけど、ある人がいるはずないマンションのエントランスはやけに明るい。いる、いない、いる、いない、いる…と、花占いよろしく願いを込めて、オートロックされた部屋番号を押す。
買ったばかりの「GABA」と川上弘美の描写をおみやげに、せめてこれは置いていこう。郵便受けの密集するスペースにしゃがみこんで、否、四つんばいになって手紙を書く。郵便物を取りにきた住人に「ひィッ!」と怯えられること数回。封筒があればよかったけどそんなに準備はよくないので、お気に入りのティッシュカバー(赤のちりめん)の中をあけて、その中に。"ストレス社会で闘うあなたへ"。
帰りはお気に入りの街を抜けてゆく。今がいちばん賑やかな時刻のこの街は、ひとりで旅をした金沢の茶屋町に似てる。はじめての一人旅は、たしかちっとも楽しくなかった。兼六園から当時の彼氏に電話をした。兼六園から香林坊に抜け、私はスタバを見つけて入った。茶屋町、浅野川大橋、長町武家屋敷、それなりに物珍しかったけど、それなりだった。
坂を下る途中、前を歩く子ども(小学校低学年)が歌を歌った。
ねえダーリン こっちむいて♪
ダーリンじゃないよムーミンだよ!と心の中で突っ込む私をよそに、母に手を引かれる子どもは歌い続けた。母はなぜ訂正しないのだろう。
ねえダーリン こっちむいて
はずかしがらないで
モジモジしないで
おねんねネ
「あらまあ どして」
けど でも わかるけど
男の子でしょ
だから ねえ こっち向いて
ムーミンをダーリンに変えても妙に筋が通ってて可笑しくて、私は下を向いて笑った。
交差点をわたると出店があった。産地から来たばかりの桃を売る店。暗いのに、まだ売ってる。通り過ぎようとしたら、おねえさん、たのむよ、買ってよ、ねえ、買ってってよー、と懇願する兄ちゃんが。甘いならいいよ、甘いよ、ほんとなの、ほんとだって、というやりとりを信じたわけじゃないし、普段はこんな買い物しないけど。いっこ700円という高級桃(?)が、なんと3個で300円。しかたねえ。
桃3個をぶらさげて買える道すがら、こんなことを考えた。あれから二年経った今、もしかして金沢もすこし楽しいかもしれないな、と。"センセイ"と"ツキコさん"のあいだに流れるゆったりした空気がちょっと教えてくれたことは、人と人、街と人、とのあいだにはリズムがある、ってこと。ちょっと落ち着いてリズムを整えさえすれば、人とお酒を飲むことも街を歩くこともこんなに楽しい、ってこと。「ああー鍋がおいしい季節になる!」とそろそろ言い出すに違いない人に、手酌ではなく私が酌をする日が楽しみだ。
「10時間ほど密室で待機」というミッションを仰せつかった本日、仕事中にもかかわらず、川上弘美の『センセイの鞄』(文春文庫)を最初から最後まで読む。
「センセイはゆっくりと杯を干し、手酌でふたたび杯を満たした。一合徳利をほんのちょっと傾け、とくとくと音をたててつぐ。杯すれすれに徳利を傾けるのではなく、卓上に置いた杯よりもずいぶん高い場所に徳利を持ち、傾ける。酒は細い流れをつくって杯に吸い込まれるように落ちてゆく。一滴もこぼれない。」という描写を読んだら、ふと、ある人に会いたくなった。「手酌」という言葉さえ知らなかった私に初めて日本酒を飲ませた人に。
ミッションを終え、タクシーに飛び乗り、「近いんですけど」と目的地を告げた。ワンメーター660円。時刻は午後九時。コンビニに寄って「GABA」を買う。
休日とはいえ、こんな時間にいるはずない。わかっちゃいたけど、ある人がいるはずないマンションのエントランスはやけに明るい。いる、いない、いる、いない、いる…と、花占いよろしく願いを込めて、オートロックされた部屋番号を押す。
買ったばかりの「GABA」と川上弘美の描写をおみやげに、せめてこれは置いていこう。郵便受けの密集するスペースにしゃがみこんで、否、四つんばいになって手紙を書く。郵便物を取りにきた住人に「ひィッ!」と怯えられること数回。封筒があればよかったけどそんなに準備はよくないので、お気に入りのティッシュカバー(赤のちりめん)の中をあけて、その中に。"ストレス社会で闘うあなたへ"。
帰りはお気に入りの街を抜けてゆく。今がいちばん賑やかな時刻のこの街は、ひとりで旅をした金沢の茶屋町に似てる。はじめての一人旅は、たしかちっとも楽しくなかった。兼六園から当時の彼氏に電話をした。兼六園から香林坊に抜け、私はスタバを見つけて入った。茶屋町、浅野川大橋、長町武家屋敷、それなりに物珍しかったけど、それなりだった。
坂を下る途中、前を歩く子ども(小学校低学年)が歌を歌った。
ねえダーリン こっちむいて♪
ダーリンじゃないよムーミンだよ!と心の中で突っ込む私をよそに、母に手を引かれる子どもは歌い続けた。母はなぜ訂正しないのだろう。
ねえダーリン こっちむいて
はずかしがらないで
モジモジしないで
おねんねネ
「あらまあ どして」
けど でも わかるけど
男の子でしょ
だから ねえ こっち向いて
ムーミンをダーリンに変えても妙に筋が通ってて可笑しくて、私は下を向いて笑った。
交差点をわたると出店があった。産地から来たばかりの桃を売る店。暗いのに、まだ売ってる。通り過ぎようとしたら、おねえさん、たのむよ、買ってよ、ねえ、買ってってよー、と懇願する兄ちゃんが。甘いならいいよ、甘いよ、ほんとなの、ほんとだって、というやりとりを信じたわけじゃないし、普段はこんな買い物しないけど。いっこ700円という高級桃(?)が、なんと3個で300円。しかたねえ。
桃3個をぶらさげて買える道すがら、こんなことを考えた。あれから二年経った今、もしかして金沢もすこし楽しいかもしれないな、と。"センセイ"と"ツキコさん"のあいだに流れるゆったりした空気がちょっと教えてくれたことは、人と人、街と人、とのあいだにはリズムがある、ってこと。ちょっと落ち着いてリズムを整えさえすれば、人とお酒を飲むことも街を歩くこともこんなに楽しい、ってこと。「ああー鍋がおいしい季節になる!」とそろそろ言い出すに違いない人に、手酌ではなく私が酌をする日が楽しみだ。
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