最後の日記 りんから皆様へ
2007年9月29日コメント (10)最後の日記です。
この日記は大学四年生の春に始めた。りんというハンドルネームは、直感で決めた。凛とした女性になりたい、という思いが(たしか)あったし、語感が自分で気に入っていた。
------------------------------------------
この日記には起承転結がない。ただの「記録」である。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
だけど当時の私にとって、この日記は“それ以上”であり、この日記がきっかけでたくさんの不思議な体験もした。
すべてが楽しい出来事だったわけではないが、この記録を納得いくかたちで終えておくことが、いつか振り返ったときに「素敵だ」もしくは「アホだ笑」と思えるために必要なことだと今は思う。
(地球は美しいことも醜いことも引っくるめてただ回っている。良いか悪いか、人間には永遠に絶対的判断を下すことができない。←最後らしく大袈裟な比喩で…)
とはいえ、過去を振り返るには材料が多すぎるので、現在の気持ちを書いて終えようと思う。
この日記のおかげでわかったことは、ずいぶん前から発症していた自分の病気について、である。
「躁うつ病」の特徴として、やる気もあって新しいことを始めるけど、気分にムラがあり、さらにひどくなると、「自分はすごい超能力がある」「選ばれた人間だ」などの誇大妄想が出たりするらしい。
プラスα、躁の時にしたことを思い出して自己嫌悪に陥ったり、多弁になり、相手を無視して喋りまくる。
人に依存しやすくなり、繋がりが断たれると動揺するが、本人に病識(自分が病気だという自覚)がないことが多く、快方への努力を薦める家族や友人をじゃま者扱いする。
私の場合、幸いにも病気の原因がハッキリしていたので、長い時間はかかったけど、快方へ向かっているだろう、と思う。(何しろ本人なので「完治」の基準はわからないが、きっと大丈夫。と書いておきたい。)
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「誇大妄想」の最たるものとして
夜中に白目を剥いて天の啓示を受けたような勢いがあり、それって自分で思い返してみても「明らかに変…」と断言できるけど、
私が、恵まれていたなあ…と思うのは、あそこまでひとつのこと(ひいては、ひとりの人)に究極的意味を見出してわき目もふらずに熱中できるってのは、世間からの許容と周囲のサポートがなければ決してできなかったと思うし、いわゆる社会的価値がいっさいなかったとしても、今はこれっぽっちの後悔もない。
後悔が無いかわりに、その過程で失ったもの(友だちとか、人からの信頼とか)も多く、そんだけ周りに迷惑かけてやり遂げたことが、失ったものに匹敵するくらいの結果を私にもたらしたかといえば、ぜんぜんそんなことなくて、むしろ「(現段階で)人生最大の挫折」とも言える気がしている。
繰り返すけど、私が、恵まれていたなあ…と思うのは、少なくとも自分自身に関していえば、
「音楽でも深く感動し、書物でも胸が高鳴る。理由は同じである。人生を発見して、自分が深くなったような気がするからである。それは錯覚(妄想)かもしれない。しかし自分を深めるのは、学歴でも地位でもない。どれだけ人生に感動したかである。」(曽野綾子/『うつを見つめる言葉』より 出典:「それぞれの山頂物語」)
…という言葉に集約されるのかもしれない。
私が最後まで「それでも生き続けることは、死ぬことより素晴らしい」と疑わずにすんだことは、本当の最後まで見放さないでくれた人たちのおかげであり、25歳までに私に与えられたことの中に良いものが多かったからだろう、と思っている。
------------------------------------------
「人は恋をしたら賢明ではありえず、賢明であれば恋はできない」とはシルスの言葉だが、
恋に限定せずとも、若いという状態がそもそも賢明とはほど遠いだろう。だが賢明に近づく分だけできないことも増えていくのではないか。同時に、二度と見ることができないものも年齢とともに増えていくだろう。
目に見えないものが見えていた。たしかにここに記録されている。
それを愛おしいと思えるのは(私が認識できる限り)未来の自分だけだろう。もし、何らかのきっかけでここを訪れる人がいたら、万一その人に何らかのプラス(暇つぶしになるとか、固有名詞や情報が役だつとか)があったとしたらこんなに喜ばしいことはないし、今になって思うのは、そもそも人が他人にしてあげられることはすべて、それくらいの気持ちでやるのが結果的に一番良いのだろう、ということだ。
(歴史とは、ひとりの人間が能動的に刻むものではなく、自然に残ったものの中から後世が勝手に読み取るものなんだろう。って大袈裟に書くほど、これは大した記録ではないが…)
------------------------------------------
今日、最後の日記を書き、私は(おそらく)二度と戻ってこないはずだけど、それは現実を生きるということだ。
私は文章を書くのが好きだし、今後も、抽象世界を愛している。
が、抽象世界に存在し得ない(だからこそ、抽象世界はときに絶対的に美しい)ものを全身に受けて生きていくのも悪くないし、「生きる」とはそういうことかもしれない、とも思っている。思うようになった。
思うに「家族」とは、(歴史と一緒で)個人が能動的に選んでいくものというより、結果的に残っているから、ああ一緒に生きているのね、と思える存在なのかもしれない。狭義での家族という意味を越えて、私がこれからも一緒に生きていくだろう人は、私の小さい認識を越えて、いつだって現実に、(文句を言いながらも)ただ存在し続けている。
現実を生きるといっても、べつに大したことはできない。(むしろ、“りん”の方がいつも立派なこと言ってる…)でも、がんばるよ。
この記録が愛おしいと思える日はいつか来るだろうが、やはり現段階で、この日記(抽象世界)が私はすでに格別に愛おしい。
ここを読んでくれる人に言いたいことは、当時の私が何を書いていようとも、今この文章を綴っている私が何を言おうとも、良いことも悪いことも引っくるめて私は「他者」を愛している。何がどうなっても、世界を、愛している。
信じていただきたい。
だから、きっと、事実は小説(抽象世界)より奇なり。
いつか、現実世界で、たまたま会いましょう。“貴方”(他者)を愛しています。
2007年9月29日
凛 拝
この日記は大学四年生の春に始めた。りんというハンドルネームは、直感で決めた。凛とした女性になりたい、という思いが(たしか)あったし、語感が自分で気に入っていた。
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この日記には起承転結がない。ただの「記録」である。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
だけど当時の私にとって、この日記は“それ以上”であり、この日記がきっかけでたくさんの不思議な体験もした。
すべてが楽しい出来事だったわけではないが、この記録を納得いくかたちで終えておくことが、いつか振り返ったときに「素敵だ」もしくは「アホだ笑」と思えるために必要なことだと今は思う。
(地球は美しいことも醜いことも引っくるめてただ回っている。良いか悪いか、人間には永遠に絶対的判断を下すことができない。←最後らしく大袈裟な比喩で…)
とはいえ、過去を振り返るには材料が多すぎるので、現在の気持ちを書いて終えようと思う。
この日記のおかげでわかったことは、ずいぶん前から発症していた自分の病気について、である。
「躁うつ病」の特徴として、やる気もあって新しいことを始めるけど、気分にムラがあり、さらにひどくなると、「自分はすごい超能力がある」「選ばれた人間だ」などの誇大妄想が出たりするらしい。
プラスα、躁の時にしたことを思い出して自己嫌悪に陥ったり、多弁になり、相手を無視して喋りまくる。
人に依存しやすくなり、繋がりが断たれると動揺するが、本人に病識(自分が病気だという自覚)がないことが多く、快方への努力を薦める家族や友人をじゃま者扱いする。
私の場合、幸いにも病気の原因がハッキリしていたので、長い時間はかかったけど、快方へ向かっているだろう、と思う。(何しろ本人なので「完治」の基準はわからないが、きっと大丈夫。と書いておきたい。)
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「誇大妄想」の最たるものとして
夜中に白目を剥いて天の啓示を受けたような勢いがあり、それって自分で思い返してみても「明らかに変…」と断言できるけど、
私が、恵まれていたなあ…と思うのは、あそこまでひとつのこと(ひいては、ひとりの人)に究極的意味を見出してわき目もふらずに熱中できるってのは、世間からの許容と周囲のサポートがなければ決してできなかったと思うし、いわゆる社会的価値がいっさいなかったとしても、今はこれっぽっちの後悔もない。
後悔が無いかわりに、その過程で失ったもの(友だちとか、人からの信頼とか)も多く、そんだけ周りに迷惑かけてやり遂げたことが、失ったものに匹敵するくらいの結果を私にもたらしたかといえば、ぜんぜんそんなことなくて、むしろ「(現段階で)人生最大の挫折」とも言える気がしている。
繰り返すけど、私が、恵まれていたなあ…と思うのは、少なくとも自分自身に関していえば、
「音楽でも深く感動し、書物でも胸が高鳴る。理由は同じである。人生を発見して、自分が深くなったような気がするからである。それは錯覚(妄想)かもしれない。しかし自分を深めるのは、学歴でも地位でもない。どれだけ人生に感動したかである。」(曽野綾子/『うつを見つめる言葉』より 出典:「それぞれの山頂物語」)
…という言葉に集約されるのかもしれない。
私が最後まで「それでも生き続けることは、死ぬことより素晴らしい」と疑わずにすんだことは、本当の最後まで見放さないでくれた人たちのおかげであり、25歳までに私に与えられたことの中に良いものが多かったからだろう、と思っている。
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「人は恋をしたら賢明ではありえず、賢明であれば恋はできない」とはシルスの言葉だが、
恋に限定せずとも、若いという状態がそもそも賢明とはほど遠いだろう。だが賢明に近づく分だけできないことも増えていくのではないか。同時に、二度と見ることができないものも年齢とともに増えていくだろう。
目に見えないものが見えていた。たしかにここに記録されている。
それを愛おしいと思えるのは(私が認識できる限り)未来の自分だけだろう。もし、何らかのきっかけでここを訪れる人がいたら、万一その人に何らかのプラス(暇つぶしになるとか、固有名詞や情報が役だつとか)があったとしたらこんなに喜ばしいことはないし、今になって思うのは、そもそも人が他人にしてあげられることはすべて、それくらいの気持ちでやるのが結果的に一番良いのだろう、ということだ。
(歴史とは、ひとりの人間が能動的に刻むものではなく、自然に残ったものの中から後世が勝手に読み取るものなんだろう。って大袈裟に書くほど、これは大した記録ではないが…)
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今日、最後の日記を書き、私は(おそらく)二度と戻ってこないはずだけど、それは現実を生きるということだ。
私は文章を書くのが好きだし、今後も、抽象世界を愛している。
が、抽象世界に存在し得ない(だからこそ、抽象世界はときに絶対的に美しい)ものを全身に受けて生きていくのも悪くないし、「生きる」とはそういうことかもしれない、とも思っている。思うようになった。
思うに「家族」とは、(歴史と一緒で)個人が能動的に選んでいくものというより、結果的に残っているから、ああ一緒に生きているのね、と思える存在なのかもしれない。狭義での家族という意味を越えて、私がこれからも一緒に生きていくだろう人は、私の小さい認識を越えて、いつだって現実に、(文句を言いながらも)ただ存在し続けている。
現実を生きるといっても、べつに大したことはできない。(むしろ、“りん”の方がいつも立派なこと言ってる…)でも、がんばるよ。
この記録が愛おしいと思える日はいつか来るだろうが、やはり現段階で、この日記(抽象世界)が私はすでに格別に愛おしい。
ここを読んでくれる人に言いたいことは、当時の私が何を書いていようとも、今この文章を綴っている私が何を言おうとも、良いことも悪いことも引っくるめて私は「他者」を愛している。何がどうなっても、世界を、愛している。
信じていただきたい。
だから、きっと、事実は小説(抽象世界)より奇なり。
いつか、現実世界で、たまたま会いましょう。“貴方”(他者)を愛しています。
2007年9月29日
凛 拝
ヘヴィーな煙とプリクラ機
2006年10月14日
同期クン(M氏・速水もこみち似)が会社を辞めるという。
休日出勤の本日。とっととオフィスを抜け出して、Mくんがよく煙草を吸っていた場所にひとりで行く。自販機が近くにあって灰皿もある。ただオフィスの窓から丸見えなので、Mくんはいつも柱の陰に隠れたがった。二人きりで話した声量のままフロアに戻ろうとすると、彼はいつも私を咎めた。私には隠すほどのことなどない。
私は煙草を吸わないので、リアルゴールドを飲む。
部署が異なるMくんは上司との折り合いが悪いらしい。「もう限界じゃ」と顔に似合わぬ広島弁で愚痴を吐き出すのを、就業後によく聞いていた。辞めるということはよっぽどだったのだろうか、と。横で聞いていた私の耳に入る他部署の上司の言葉に矛盾はなかったように思う。「は、もう限界だっぺ」と心の中で考える私と私の上司とのやり取りも、Mくんが聞けば上司が正しい理屈なのだろうか、と。
「こちらからまた折り返します!」と電話を切ったMくんに、「あなたからかけたんだから"折り返す"じゃなくて"改めます"では?」と何度思ったことだろう。「電話あったよ」と貰ったメモには受けた時間が書いてない。「パスワードはコレ」と貰ったメール、本当のパスワードはアルファベットのIじゃなくて数字の1だった。私が彼にしてあげた多くのことも、向こうからすれば詰めが甘かったのだろうか、と。
「週末にメールするね」と言った以上、メールは打とうと思う。が、リアルゴールドの缶を握りしめながら、一文字も打てないことに気付く。
その後、大学時代のバイト仲間・T嬢とお好み焼きを食べる。専門学校卒業後、ずっとフリーターを続けているT。彼への気持ちが冷めたというのに別れを切り出さないT。最近読んだ本の「"She is wrong"ではなく"She is different"なのです」というフレーズを何度も思い出しながら、私は生ビールを追加する。Tはカシスオレンジ一杯で十分らしい。
「恥ずかしいけどプリクラを撮らない?」と誘われて、同い年のTと並んで久しぶりにプリクラ機に入る。落書きコーナーでやはり並んで腰掛けて、Tが好きなディズニーリゾートについて語る。「りんは一見キャピキャピしてるけどギャップあるよね。りんの好きなものって何なの?」と問いつめられて、私の愛する多くのことを言葉を尽くして説明することも以前の私ならできたかもしれないのに、今は落書きタイム(300秒)以内で十分だと思う。
休日出勤の本日。とっととオフィスを抜け出して、Mくんがよく煙草を吸っていた場所にひとりで行く。自販機が近くにあって灰皿もある。ただオフィスの窓から丸見えなので、Mくんはいつも柱の陰に隠れたがった。二人きりで話した声量のままフロアに戻ろうとすると、彼はいつも私を咎めた。私には隠すほどのことなどない。
私は煙草を吸わないので、リアルゴールドを飲む。
部署が異なるMくんは上司との折り合いが悪いらしい。「もう限界じゃ」と顔に似合わぬ広島弁で愚痴を吐き出すのを、就業後によく聞いていた。辞めるということはよっぽどだったのだろうか、と。横で聞いていた私の耳に入る他部署の上司の言葉に矛盾はなかったように思う。「は、もう限界だっぺ」と心の中で考える私と私の上司とのやり取りも、Mくんが聞けば上司が正しい理屈なのだろうか、と。
「こちらからまた折り返します!」と電話を切ったMくんに、「あなたからかけたんだから"折り返す"じゃなくて"改めます"では?」と何度思ったことだろう。「電話あったよ」と貰ったメモには受けた時間が書いてない。「パスワードはコレ」と貰ったメール、本当のパスワードはアルファベットのIじゃなくて数字の1だった。私が彼にしてあげた多くのことも、向こうからすれば詰めが甘かったのだろうか、と。
「週末にメールするね」と言った以上、メールは打とうと思う。が、リアルゴールドの缶を握りしめながら、一文字も打てないことに気付く。
その後、大学時代のバイト仲間・T嬢とお好み焼きを食べる。専門学校卒業後、ずっとフリーターを続けているT。彼への気持ちが冷めたというのに別れを切り出さないT。最近読んだ本の「"She is wrong"ではなく"She is different"なのです」というフレーズを何度も思い出しながら、私は生ビールを追加する。Tはカシスオレンジ一杯で十分らしい。
「恥ずかしいけどプリクラを撮らない?」と誘われて、同い年のTと並んで久しぶりにプリクラ機に入る。落書きコーナーでやはり並んで腰掛けて、Tが好きなディズニーリゾートについて語る。「りんは一見キャピキャピしてるけどギャップあるよね。りんの好きなものって何なの?」と問いつめられて、私の愛する多くのことを言葉を尽くして説明することも以前の私ならできたかもしれないのに、今は落書きタイム(300秒)以内で十分だと思う。
24歳の母
2006年10月12日24歳になった。
朝食を食べ終えてさて出かけるかという刹那、「あたしが結婚したのは24だったわねえ」と母が言う。母と私は同じ土地で生まれ、同じ小学校を卒業し、同じ中学を卒業し、同じ駅で降りる高校に通い、同じ大学を受験した。
就業後、8歳年上のJねーさんとゴハン@日比谷。
鹿児島直送の黒豚しゃぶしゃぶを関西風薄口のそばつゆ&柚子胡椒でいただくスタイル。ねーさんお気に入りのこの店に前から行ってみたかった。七時半に日比谷シャンテ前で待ち合わせ。白スカートにショートブーツのねーさんはすっかり秋スタイルで、出会ってから一年経ったなあ、と思う。
「誕生日プレゼントということで」といただいたのは、二冊の本。
勤め始めて半年。はじめてねーさんと会ったとき、私はまだ学生で「ある専門分野の接客員になるんです」と(たしか)目を輝かせていたと思う。いざ入社して配属されたのは「営業」だった。夏に異動して「秘書」になり、来月以降また異動して今度は「マーケティング」を学ぶ。ねーさんの専門は当時も今も「マーケティング」である。
「若い頃は恋愛しか興味がなかったのよー」と昔を語るねーさん。首もとのチョーカーが光を受けて艶っぽく光る。『こころときめくマーケティング』(村田昭治著・国元書房)という一冊の本は、ねーさんが24の頃に読んだという。8年前のねーさんがリスペクトしていた年上の女性に薦めてもらった本だという。24だったねーさんはその頃マーケを専門としておらず、8年経ち、ねーさんと同じように自分がマーケを学ぶとはまるで思っていなかった私(24歳)に、「この本をあげよう」と思ったという。
帰りの電車でパラパラとページを捲る(酔った頭で)。
何かが好きでしかたなくてたくさんの人に伝えたい、その"熱い"想いが序盤から充ち満ちているこの本が、マーケを専門としながら自らをバイブレートするものを"熱く"広めたいという想いでいっぱいのねーさんを形作ったのだろうか、と。ねーさんにこの本を薦めた女性を、若き日のねーさんはどんな目で見ていたのだろうか、と。マイ・ラヴァーがねーさんを「素敵だ」と褒めるたびに、私は雲の上のお方のような気がしてる。
帰宅後、既に寝付いたらしい母と別の部屋で横になりながら、24歳で結婚した彼女を思う。同じ学校名が刻まれた卒業アルバムが二冊ずつ棚にある。ねーさんからもらった本がここにある。母もJねーさんも24歳だったんだなあ、と。開墾された道を耕すがごとく踏み直して歩みつつ、それでも新たなフロンティアを決めていく力は我にも有り、と思う。
朝食を食べ終えてさて出かけるかという刹那、「あたしが結婚したのは24だったわねえ」と母が言う。母と私は同じ土地で生まれ、同じ小学校を卒業し、同じ中学を卒業し、同じ駅で降りる高校に通い、同じ大学を受験した。
就業後、8歳年上のJねーさんとゴハン@日比谷。
鹿児島直送の黒豚しゃぶしゃぶを関西風薄口のそばつゆ&柚子胡椒でいただくスタイル。ねーさんお気に入りのこの店に前から行ってみたかった。七時半に日比谷シャンテ前で待ち合わせ。白スカートにショートブーツのねーさんはすっかり秋スタイルで、出会ってから一年経ったなあ、と思う。
「誕生日プレゼントということで」といただいたのは、二冊の本。
勤め始めて半年。はじめてねーさんと会ったとき、私はまだ学生で「ある専門分野の接客員になるんです」と(たしか)目を輝かせていたと思う。いざ入社して配属されたのは「営業」だった。夏に異動して「秘書」になり、来月以降また異動して今度は「マーケティング」を学ぶ。ねーさんの専門は当時も今も「マーケティング」である。
「若い頃は恋愛しか興味がなかったのよー」と昔を語るねーさん。首もとのチョーカーが光を受けて艶っぽく光る。『こころときめくマーケティング』(村田昭治著・国元書房)という一冊の本は、ねーさんが24の頃に読んだという。8年前のねーさんがリスペクトしていた年上の女性に薦めてもらった本だという。24だったねーさんはその頃マーケを専門としておらず、8年経ち、ねーさんと同じように自分がマーケを学ぶとはまるで思っていなかった私(24歳)に、「この本をあげよう」と思ったという。
帰りの電車でパラパラとページを捲る(酔った頭で)。
何かが好きでしかたなくてたくさんの人に伝えたい、その"熱い"想いが序盤から充ち満ちているこの本が、マーケを専門としながら自らをバイブレートするものを"熱く"広めたいという想いでいっぱいのねーさんを形作ったのだろうか、と。ねーさんにこの本を薦めた女性を、若き日のねーさんはどんな目で見ていたのだろうか、と。マイ・ラヴァーがねーさんを「素敵だ」と褒めるたびに、私は雲の上のお方のような気がしてる。
帰宅後、既に寝付いたらしい母と別の部屋で横になりながら、24歳で結婚した彼女を思う。同じ学校名が刻まれた卒業アルバムが二冊ずつ棚にある。ねーさんからもらった本がここにある。母もJねーさんも24歳だったんだなあ、と。開墾された道を耕すがごとく踏み直して歩みつつ、それでも新たなフロンティアを決めていく力は我にも有り、と思う。
10月10日前後に生まれて
2006年10月9日
三連休三日目・秋晴れ。
そろそろ私の誕生日。毎年10月前半は雨が多く、私の誕生日あたりを境にパッと晴れ、しばらくは良い天気が続く。良い頃に生まれたと思う。Tシャツの上に上着を羽織り、アディダスのスニーカー(カントリー)を久々に履く。
自宅を出てわずか数百メートル歩くと、私の生まれた個人病院がある。母の実家で生まれ、その後関西に移り、すぐ同じ地に戻ってきた。家から数十キロの範囲で高校まで育ち、大学に通うようになって都心を知った。
ゆるやかな坂を上ると、十数メートルはあるだろう木が張り出してくる。市内でも有数のこの大きい公園にはプールもあって、木々の間から50mプールと滑り台付きの子ども用プールが見える。母が小学生の頃から変わってないらしい更衣室前に、ささくれた木の看板があって、「2時間で小学生50円、コインロッカー10円」と消えそうな字で書いてある。大きめの百葉箱みたいな売店は窓を閉じている。二時間たっぷり泳いだら、ここでカップラーメンを食べるのが好きだった。オンシーズン特に夏休み、ここに来ると誰かしらの自転車があった。自転車置き場には一台もない。
さらに歩くと池もある。梅雨の頃には蓮が咲き、もう少し待つと紅葉が色づき、春には垂れ桜が水を囲む。5分もあれば一周できてしまう池は大きすぎず、小さすぎず。貸しボートは30分200円。日曜日におとうさんとよく乗った。
昼下がりの太陽が池を照らす。ボートの上には親子連れ、夫婦連れ、若いカップル。必ず男が漕いでいる。そういえば私の歴代の彼氏はなぜか全員ボートが漕げなくて、行楽の度に私がオールを持った。「アンタはこの池の誰より漕ぐの上手いな!」と無邪気に褒められて、「えへへ」と笑った記憶がある。その井の頭公園での思い出が悲しくて、相手が変わっても広い意味で色々試してみた。そして駄々をこねた。
が、たまたま私の生まれた土地にボートに乗れる池があったにすぎない。
小銭を二枚取り出し、漕ぎ出す。ぐらんぐらんと最初は揺れる。おとうさんに教えてもらったように、オールの向きを整えて。水面に近い場所ではなく、適度に深いところで水を掻く。波紋が広がる。銀杏の匂いと水の匂い。私の生まれた土地に"たまたま"池があったから、私はボートを漕ぐのが得意である。
しっかりオールを掴んだ気でいても、どこに向かうかわからない。ぷかぷかと頼りなく漂いながら、私は気付けば岸を遠く離れている。そして、やはりひとりより誰かと乗った方が楽しいだろうとは思う。ただ、もし、一緒に乗る相手が"たまたま"「実は漕げないんだ」と言うのなら、得意な方が漕げばいいと思う。
都心を離れた郊外。この池も含めた何もかもを見てほしい。知り合い全員がこの池のことを知っていた時期もあるのに、今は、池のこと含め私を知らない人ばかり。いつか、大切なものをこの手にふたたび私だけのフィールドへ、と思う。24になる日が近い。
そろそろ私の誕生日。毎年10月前半は雨が多く、私の誕生日あたりを境にパッと晴れ、しばらくは良い天気が続く。良い頃に生まれたと思う。Tシャツの上に上着を羽織り、アディダスのスニーカー(カントリー)を久々に履く。
自宅を出てわずか数百メートル歩くと、私の生まれた個人病院がある。母の実家で生まれ、その後関西に移り、すぐ同じ地に戻ってきた。家から数十キロの範囲で高校まで育ち、大学に通うようになって都心を知った。
ゆるやかな坂を上ると、十数メートルはあるだろう木が張り出してくる。市内でも有数のこの大きい公園にはプールもあって、木々の間から50mプールと滑り台付きの子ども用プールが見える。母が小学生の頃から変わってないらしい更衣室前に、ささくれた木の看板があって、「2時間で小学生50円、コインロッカー10円」と消えそうな字で書いてある。大きめの百葉箱みたいな売店は窓を閉じている。二時間たっぷり泳いだら、ここでカップラーメンを食べるのが好きだった。オンシーズン特に夏休み、ここに来ると誰かしらの自転車があった。自転車置き場には一台もない。
さらに歩くと池もある。梅雨の頃には蓮が咲き、もう少し待つと紅葉が色づき、春には垂れ桜が水を囲む。5分もあれば一周できてしまう池は大きすぎず、小さすぎず。貸しボートは30分200円。日曜日におとうさんとよく乗った。
昼下がりの太陽が池を照らす。ボートの上には親子連れ、夫婦連れ、若いカップル。必ず男が漕いでいる。そういえば私の歴代の彼氏はなぜか全員ボートが漕げなくて、行楽の度に私がオールを持った。「アンタはこの池の誰より漕ぐの上手いな!」と無邪気に褒められて、「えへへ」と笑った記憶がある。その井の頭公園での思い出が悲しくて、相手が変わっても広い意味で色々試してみた。そして駄々をこねた。
が、たまたま私の生まれた土地にボートに乗れる池があったにすぎない。
小銭を二枚取り出し、漕ぎ出す。ぐらんぐらんと最初は揺れる。おとうさんに教えてもらったように、オールの向きを整えて。水面に近い場所ではなく、適度に深いところで水を掻く。波紋が広がる。銀杏の匂いと水の匂い。私の生まれた土地に"たまたま"池があったから、私はボートを漕ぐのが得意である。
しっかりオールを掴んだ気でいても、どこに向かうかわからない。ぷかぷかと頼りなく漂いながら、私は気付けば岸を遠く離れている。そして、やはりひとりより誰かと乗った方が楽しいだろうとは思う。ただ、もし、一緒に乗る相手が"たまたま"「実は漕げないんだ」と言うのなら、得意な方が漕げばいいと思う。
都心を離れた郊外。この池も含めた何もかもを見てほしい。知り合い全員がこの池のことを知っていた時期もあるのに、今は、池のこと含め私を知らない人ばかり。いつか、大切なものをこの手にふたたび私だけのフィールドへ、と思う。24になる日が近い。
三連休一日目・未明。
頻繁に会わない人と電話にて。会うスパンがどんどん長くなってきているので、何かを伝えようと思うとき、肝心なのはその「何か」なのに、「何か」に至るまでの詳細をいちいち説明しなきゃいけないことにハタと気付き、そのプロセスをねぶねぶと再生するうちにどうしようもない違和感を感じた。コレうちの会社にいなきゃわからないよな、と。
先週の木曜日、同じフロアで働く同期クンと仕事帰りにもんじゃ焼きを食べた。
身長185cmでスラリと足が長い同期クンはストライプのスーツを着て、ポケットチーフにカフス、先の尖った靴と、初めて彼を見た日は「ギャル男出身か?いけすかねえ」と思ったものだが、広島の山奥で素朴な青春時代(猪と対決、地元の田舎ヤクザにボコられる等)を送ったらしい話を聞き、「人は話してみないとわからんな」と思う。とはいえ、常に同じフロアにいるというのに、現在の私(と私の上司)の置かれている状況をまったく理解しておらず、「あのねえ…」と最初から説明したい衝動に駆られる。が、プカプカ煙草をふかす彼を眺めながらしめじとバターを一緒に焼いたりしているうちに、最初から説明したかった「何か」は宙に浮いたまま、煙草から昇る煙に紛れてどこかに消えてしまった(たぶん、どうでもよくなった)。
そんな木曜日を思い出しつつ電話は続く。
ここに「距離」があるからだろうか、と。受話器越しならまだマシで、媒体が文字(メール)だとその傾向はもっと強まる。とはいえ、電話の相手が同期クンと違うのは、「言わなくてもわかってる部分」が多いこと。言わなくてもわかっているのに"敢えて"コンタクトをとろうとして双方かしこまるから、説明+蛇足が増える。なぜそんなことになるかといえば、「言わなきゃわかってもらえない」人も世の中にはたくさんいるからで、そういう人を相手にしているうちに、「説明」というプロセスを踏めば見かけだけでもわかってもらえたような気分になるし、だからこそ私は「説明」にも価値がある気がしてて。
それでも久々にメールじゃなくて電話を通じてわかったことは、私には「言わなくてもわかってる部分」をかなり高いレベルで共有できてる人がたしかにいて、その稀有な関係はやはり稀有なものだな、と。生まれつき性質が似ているからか、それとも… と考えてひとつだけ思い当たることは、どう頑張っても本質が見えてしまうところで互いに「説明」を散々し合ってきた過去があるからか、と。私と相手がついに到達した地点に至るまでには、「説明」というプロセスも必要だった気がやはりする。
何が言いたいかというと、「距離」を保った状態で文字(たとえばメール)を媒体に語り合うことも、「距離」を挟まずにうんと近くで「あ・うん」で理解し合うことも、どちらがより素晴らしいという話ではなくて、どっちも関係性のレベルに応じて必要だということ。そして、「距離」を保った状態でしなきゃいけない手続きをある程度済ませたあとは、以前なら有効だった対話の方法も徐々に変えていかなければ互いに違和感が生まれるのだろうな、と。
わけのわからないことを言い出す人とも一緒に仕事をしなきゃいけない昨今、そういう人は違う星の住民かと思うこともある。だからこそ「交信」(説明)をしなきゃいけないわけだけど、同じ星に生きながら、さらに星が同じ位置に見えるくらい近い場所に立ちながら、きっと同じ夜空を見てるよねわたしたち、と実感し合える相手は貴重だな、と思う。
頻繁に会わない人と電話にて。会うスパンがどんどん長くなってきているので、何かを伝えようと思うとき、肝心なのはその「何か」なのに、「何か」に至るまでの詳細をいちいち説明しなきゃいけないことにハタと気付き、そのプロセスをねぶねぶと再生するうちにどうしようもない違和感を感じた。コレうちの会社にいなきゃわからないよな、と。
先週の木曜日、同じフロアで働く同期クンと仕事帰りにもんじゃ焼きを食べた。
身長185cmでスラリと足が長い同期クンはストライプのスーツを着て、ポケットチーフにカフス、先の尖った靴と、初めて彼を見た日は「ギャル男出身か?いけすかねえ」と思ったものだが、広島の山奥で素朴な青春時代(猪と対決、地元の田舎ヤクザにボコられる等)を送ったらしい話を聞き、「人は話してみないとわからんな」と思う。とはいえ、常に同じフロアにいるというのに、現在の私(と私の上司)の置かれている状況をまったく理解しておらず、「あのねえ…」と最初から説明したい衝動に駆られる。が、プカプカ煙草をふかす彼を眺めながらしめじとバターを一緒に焼いたりしているうちに、最初から説明したかった「何か」は宙に浮いたまま、煙草から昇る煙に紛れてどこかに消えてしまった(たぶん、どうでもよくなった)。
そんな木曜日を思い出しつつ電話は続く。
ここに「距離」があるからだろうか、と。受話器越しならまだマシで、媒体が文字(メール)だとその傾向はもっと強まる。とはいえ、電話の相手が同期クンと違うのは、「言わなくてもわかってる部分」が多いこと。言わなくてもわかっているのに"敢えて"コンタクトをとろうとして双方かしこまるから、説明+蛇足が増える。なぜそんなことになるかといえば、「言わなきゃわかってもらえない」人も世の中にはたくさんいるからで、そういう人を相手にしているうちに、「説明」というプロセスを踏めば見かけだけでもわかってもらえたような気分になるし、だからこそ私は「説明」にも価値がある気がしてて。
それでも久々にメールじゃなくて電話を通じてわかったことは、私には「言わなくてもわかってる部分」をかなり高いレベルで共有できてる人がたしかにいて、その稀有な関係はやはり稀有なものだな、と。生まれつき性質が似ているからか、それとも… と考えてひとつだけ思い当たることは、どう頑張っても本質が見えてしまうところで互いに「説明」を散々し合ってきた過去があるからか、と。私と相手がついに到達した地点に至るまでには、「説明」というプロセスも必要だった気がやはりする。
何が言いたいかというと、「距離」を保った状態で文字(たとえばメール)を媒体に語り合うことも、「距離」を挟まずにうんと近くで「あ・うん」で理解し合うことも、どちらがより素晴らしいという話ではなくて、どっちも関係性のレベルに応じて必要だということ。そして、「距離」を保った状態でしなきゃいけない手続きをある程度済ませたあとは、以前なら有効だった対話の方法も徐々に変えていかなければ互いに違和感が生まれるのだろうな、と。
わけのわからないことを言い出す人とも一緒に仕事をしなきゃいけない昨今、そういう人は違う星の住民かと思うこともある。だからこそ「交信」(説明)をしなきゃいけないわけだけど、同じ星に生きながら、さらに星が同じ位置に見えるくらい近い場所に立ちながら、きっと同じ夜空を見てるよねわたしたち、と実感し合える相手は貴重だな、と思う。
仕事中に交通事故を起こし、あるときは同僚に殺されかけた。それでも「明日も会社に行こう」と思えた理由がある。どうしても社会人になりたかった。どうしても社会人になりたかった記憶が遠くなるにはまだ早すぎて、自分が未だ若輩であるというその事実から早く抜け出したかったのに、ここにきて「あなたは本当にまっさらな白布のようね」と涙ぐむお局を見て、今はむしろ事実にすがりたい。私は未だ純粋だろうか、と。
前線は東京を直撃し、窓の外は嵐のよう。人が出払ったオフィスの留守番電話に残された「過労と診断されたので休みます」というメッセージ。必ず定時以内に直帰して翌日は眼下にクマどころか腹一杯おいしいものを食べたような顔で出てくる男が「過労」という言葉を軽々しく口に出すことが許せなくて許せなくて許せなくて、受話器を壁に叩きつけたくて。彼は嘘をつく相手を間違えた。
一緒に外を歩くたびに「あそこの会社からも声かけられてるんですよ」と。自社を省みていつも「こんなちっぽけな会社のくせに」と。彼が自身の"人脈"のみで作りあげた商品。口癖は「私、○○が好きなんですよ」と。「こんな成功しやすい商材はないですよ」と。潜り込んだ会社の資本で成功しやすい商材を製造し、限られた販路で利潤を吸い上げ尽くしたらあとは消えるまで。彼が会社に潜りこんで一年、どれだけバックマージンを得たのだろう。
一ヶ月以上前、「りんは不器用だね」と未明に言われてちっともわからず「私って不器用?」と問うたら「すごくすごく不器用だよ…」と呻いた人がいて、「でも、俺は、りんが不器用じゃなくなったらいやなんだ」と付け加えられた。「まっさらな白布のよう」と私を慈しむお局も同じ気持ちだろうか、と。紹介料を得ていたにちがいない大学時代の友達にエステに連れ込まれ、うっかり判を押し、生まれてはじめてクーリングオフをした。原宿でスカウトされ、危うく「素人ナンパ物」に出演するところだった。オシャレで背が高くて口が上手い男とエッチして、危うく傷つくところだった。そんな私の経歴が増えていく。それでも私は不器用でいいのか、と。「この会社は他社と比較して、裏表のないわかりやすい人たちが揃っていますよね」とまっすぐ私の目を見て専務は言う。
「あんたは放っておけない!」と常に過保護な両親が疎ましい。「素敵な人がいてね」もしくは「素敵なものがあってね」とすぐに興奮する私に水を差すように、「あんたがどれだけ失敗しても滅茶苦茶な目に遭っても最後の最後に頼りになるのはおとうさんとおかあさんだけなんだからね」と言われ続けて24年。いつか両親がいなくなり自分の足で立ち飄々と生きていくのだとしても、白布のままでは成し遂げられないだろうか、と。白布の上に真に美しいものだけを置き、死ぬまで「素敵!」と言い続けられないだろうか、と。
配属初日の専務のメール↓
大人の世界(社会)とは、虚と実が混ざりあった世界です。
わかりやすく言えば、表もあれば裏もある世界です。
これからりんさんが生きていかれる中で、今のりんさんの価値観で感じたことを、
10年後の自分の価値観で擦り合わせてみると面白いですよ。
観察眼は情報発信のひとつの手段です。
これから大切なのは、受信した情報を正しく分析する力ですね。
私がなぜこのようなことをりんさんに申し上げるかといえば、
私の経験則で恐縮ですが、りんさんはサラリーマンとして大成功するか
大失敗するかタイプに近いような気がします。
私がりんさんと接する時間は何年もないかもしれません。
私で役に立つと思うことは記憶に残してください。
私の失敗も反面教師としてお役に立つことでしょう。
「専務の下に配属されて本当に嬉しいんです」と鼻息荒かった私を毎日相手にして、彼は何を思っていたのだろうかと。
前線は東京を直撃し、窓の外は嵐のよう。人が出払ったオフィスの留守番電話に残された「過労と診断されたので休みます」というメッセージ。必ず定時以内に直帰して翌日は眼下にクマどころか腹一杯おいしいものを食べたような顔で出てくる男が「過労」という言葉を軽々しく口に出すことが許せなくて許せなくて許せなくて、受話器を壁に叩きつけたくて。彼は嘘をつく相手を間違えた。
一緒に外を歩くたびに「あそこの会社からも声かけられてるんですよ」と。自社を省みていつも「こんなちっぽけな会社のくせに」と。彼が自身の"人脈"のみで作りあげた商品。口癖は「私、○○が好きなんですよ」と。「こんな成功しやすい商材はないですよ」と。潜り込んだ会社の資本で成功しやすい商材を製造し、限られた販路で利潤を吸い上げ尽くしたらあとは消えるまで。彼が会社に潜りこんで一年、どれだけバックマージンを得たのだろう。
一ヶ月以上前、「りんは不器用だね」と未明に言われてちっともわからず「私って不器用?」と問うたら「すごくすごく不器用だよ…」と呻いた人がいて、「でも、俺は、りんが不器用じゃなくなったらいやなんだ」と付け加えられた。「まっさらな白布のよう」と私を慈しむお局も同じ気持ちだろうか、と。紹介料を得ていたにちがいない大学時代の友達にエステに連れ込まれ、うっかり判を押し、生まれてはじめてクーリングオフをした。原宿でスカウトされ、危うく「素人ナンパ物」に出演するところだった。オシャレで背が高くて口が上手い男とエッチして、危うく傷つくところだった。そんな私の経歴が増えていく。それでも私は不器用でいいのか、と。「この会社は他社と比較して、裏表のないわかりやすい人たちが揃っていますよね」とまっすぐ私の目を見て専務は言う。
「あんたは放っておけない!」と常に過保護な両親が疎ましい。「素敵な人がいてね」もしくは「素敵なものがあってね」とすぐに興奮する私に水を差すように、「あんたがどれだけ失敗しても滅茶苦茶な目に遭っても最後の最後に頼りになるのはおとうさんとおかあさんだけなんだからね」と言われ続けて24年。いつか両親がいなくなり自分の足で立ち飄々と生きていくのだとしても、白布のままでは成し遂げられないだろうか、と。白布の上に真に美しいものだけを置き、死ぬまで「素敵!」と言い続けられないだろうか、と。
配属初日の専務のメール↓
大人の世界(社会)とは、虚と実が混ざりあった世界です。
わかりやすく言えば、表もあれば裏もある世界です。
これからりんさんが生きていかれる中で、今のりんさんの価値観で感じたことを、
10年後の自分の価値観で擦り合わせてみると面白いですよ。
観察眼は情報発信のひとつの手段です。
これから大切なのは、受信した情報を正しく分析する力ですね。
私がなぜこのようなことをりんさんに申し上げるかといえば、
私の経験則で恐縮ですが、りんさんはサラリーマンとして大成功するか
大失敗するかタイプに近いような気がします。
私がりんさんと接する時間は何年もないかもしれません。
私で役に立つと思うことは記憶に残してください。
私の失敗も反面教師としてお役に立つことでしょう。
「専務の下に配属されて本当に嬉しいんです」と鼻息荒かった私を毎日相手にして、彼は何を思っていたのだろうかと。
静止しない時のなかで
2006年10月5日先週までの慌ただしさが嘘のよう。
「あなたはさわらないでください」「わたしがやりますからいいです」「言われたことだけやってください」という専務(直属の上司)の言葉が、電話を切ったあともこだまする。丁寧で穏やかすぎる口調。そういえば専務は私と話すとき、いつも右手で口元をそっと隠してた。
仕事の合間に生臭い話を聞く。最初からひとりだった専務は部門のエキスパート。ひとりでやってた仕事をふたり(専務と私)でわけた。主幹事業とは畑が違うこの事業は専務の「人脈」で誕生したから、専務以外にご存知ない。束縛を嫌う専務は、たとえ社長と話すときでさえ、右手で口元をそっと隠してた。
嫌いだったお局(6月20日の日記参照)とお昼を食べる。
「困ったことがあったらすぐに駆け込んできなさいって前から言ってるでしょ」と、男勝りに煙草をふかす。灰を落とす仕草も6月と変わりない。「あのねえ、売上とか会社の利益より社員を守る方が優先なのよ」という、おそらく社長から受け継がれているにちがいないDNA。四川風麻婆豆腐が辛いフリをしてハンカチを使うしかなくて。
お局のねえさん(と呼ぶにはかなり苦しい)は、専務が嫌いな「束縛」を司る。束縛が多すぎて「本業」に身が入らないとわめいた専務は、いつもねえさんを非難した。ねえさんの仕事っぷりに点数をつけるなら、美しいビジネスの理論から少々逸脱するところも(たぶん)あって。「利益より社員を守る方が優先」という理念がその典型。「人員」ではなく「社員」を手に入れるには時間がかかるが、美しいビジネスの理論はおそらく"無時間モデル"のなかにある。静止した概念の世界。
「なぜ売れているのだろう」と考えて専務からマーケティングを学び、静止したビジネスの理論は私のなかでキラキラと輝いた。月初だから総務は慌ただしいゆえにねえさんは終日オフィスに籠もるでしょう、という読みを専務はするのかな、と。実際はといえば、美しいビジネスの理論から逸脱した行為(私のためにのんびりゴハン)がここにある。どう考えても最善ではない事業展開をするように見えた社長を私が咎めたとき、専務は「社長の夢だから」と切り捨てた。たえず時間が流れ続ける世界で、夢と夢がぶつかり合い、人(法人含む)の行為は予想がつかなくて。それでも利益を求めてる。絶対に静止することない世界で生きるしかない私たちサラリーマンが今日も明日も闘うなら、ときに危うい場所へ導く「夢」を武器に、ときに涙が出るほど自分勝手な「愛情」を盾にするのかな、と。
今日も帰りにTSUTAYAに寄って、歌声はあまり好きじゃない広末涼子を借りる。帰りの道すがら、とってもとってもとってもとってもとってもとってもだーいすーきよー、あいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあーいしーてるーと口ずさむ。広末のPR担当もまさか予想できまい理由による。
「あなたはさわらないでください」「わたしがやりますからいいです」「言われたことだけやってください」という専務(直属の上司)の言葉が、電話を切ったあともこだまする。丁寧で穏やかすぎる口調。そういえば専務は私と話すとき、いつも右手で口元をそっと隠してた。
仕事の合間に生臭い話を聞く。最初からひとりだった専務は部門のエキスパート。ひとりでやってた仕事をふたり(専務と私)でわけた。主幹事業とは畑が違うこの事業は専務の「人脈」で誕生したから、専務以外にご存知ない。束縛を嫌う専務は、たとえ社長と話すときでさえ、右手で口元をそっと隠してた。
嫌いだったお局(6月20日の日記参照)とお昼を食べる。
「困ったことがあったらすぐに駆け込んできなさいって前から言ってるでしょ」と、男勝りに煙草をふかす。灰を落とす仕草も6月と変わりない。「あのねえ、売上とか会社の利益より社員を守る方が優先なのよ」という、おそらく社長から受け継がれているにちがいないDNA。四川風麻婆豆腐が辛いフリをしてハンカチを使うしかなくて。
お局のねえさん(と呼ぶにはかなり苦しい)は、専務が嫌いな「束縛」を司る。束縛が多すぎて「本業」に身が入らないとわめいた専務は、いつもねえさんを非難した。ねえさんの仕事っぷりに点数をつけるなら、美しいビジネスの理論から少々逸脱するところも(たぶん)あって。「利益より社員を守る方が優先」という理念がその典型。「人員」ではなく「社員」を手に入れるには時間がかかるが、美しいビジネスの理論はおそらく"無時間モデル"のなかにある。静止した概念の世界。
「なぜ売れているのだろう」と考えて専務からマーケティングを学び、静止したビジネスの理論は私のなかでキラキラと輝いた。月初だから総務は慌ただしいゆえにねえさんは終日オフィスに籠もるでしょう、という読みを専務はするのかな、と。実際はといえば、美しいビジネスの理論から逸脱した行為(私のためにのんびりゴハン)がここにある。どう考えても最善ではない事業展開をするように見えた社長を私が咎めたとき、専務は「社長の夢だから」と切り捨てた。たえず時間が流れ続ける世界で、夢と夢がぶつかり合い、人(法人含む)の行為は予想がつかなくて。それでも利益を求めてる。絶対に静止することない世界で生きるしかない私たちサラリーマンが今日も明日も闘うなら、ときに危うい場所へ導く「夢」を武器に、ときに涙が出るほど自分勝手な「愛情」を盾にするのかな、と。
今日も帰りにTSUTAYAに寄って、歌声はあまり好きじゃない広末涼子を借りる。帰りの道すがら、とってもとってもとってもとってもとってもとってもだーいすーきよー、あいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあーいしーてるーと口ずさむ。広末のPR担当もまさか予想できまい理由による。
「昨日のミスは"ミス"じゃないよ!」と出社してすぐ他部署の上司から。
ちいさな事務所で専務がキレた。社長を相手に専務がキレた。この会社は総務がなってない、ここじゃ仕事はできませんよ、余計な業務が多くて本業がはかどらない、と一通りわめいた後、五分に一度は煙草を吸いに外へ出る。専務を除いた五人が残る。
真新しいオフィスは、未だ開梱時のゴミだらけ。備え付けの流しを届いたばかりのクレンザーで擦り、すっかり汚れたトイレを届いたばかりのブラシで擦る。「りんさん、専務はどちらに行かれたの?」「○○社とお打ち合わせとのことです。」「今日も直帰?」「ええ、今日も直帰だそうです。」というやりとりの後は、二人(私と専務)しかいない部署のタイムカードを回収。始業時間を5分ほど過ぎた打刻の列がズラリ。退勤の打刻はほとんどない。
取引先のレセプションでいただいたサボテンに水をやる。
携帯ばかり使う専務の机の上にはなにもない。フォルダ分けしてない名刺が散乱し、支給されたノートPCにはマイドキュメントになにもない。備品発注に際して何か必要ですかと問えば、「身軽にしていたいので何も要りません」との答え。あちこちを転々として新規事業を興した専務らしい。私が本社から連れてきたサボテンは、マイデスクの上にある。「わたしの業務は新規事業の拡大と整備ですから」と語る専務の机と対象的に、備品発注用のカタログ、総務へ送付するタイムカード、事務所の鍵、小口の金庫、フォーマットが詰まったPC、携帯ではなく会社の電話。ちいさな会社のちいさな城。
「終身雇用制は崩れてるんですよ、りんさん」という文章が入ったマイ携帯をパチンと閉じる。閉じて鞄に放り込む。傘立ての下の水垢を拭き取りながら、サボテンがすこし大きくなった気がするな、と気付く。ここに根付いて、滅多に動かず、電磁波と紫外線にじっと耐え、そのうち花が咲くだろう、と。
「私は商売人を尊敬しています。サラリーマンとは覚悟が違います。サラリーマンは外回り中にサボってお茶飲んでても給料日には金が入りますが、商売人はサボってちゃ一銭も入りません」とは、つい先日の専務の言葉。彼は生粋のサラリーマン。
ちいさな事務所で専務がキレた。社長を相手に専務がキレた。この会社は総務がなってない、ここじゃ仕事はできませんよ、余計な業務が多くて本業がはかどらない、と一通りわめいた後、五分に一度は煙草を吸いに外へ出る。専務を除いた五人が残る。
真新しいオフィスは、未だ開梱時のゴミだらけ。備え付けの流しを届いたばかりのクレンザーで擦り、すっかり汚れたトイレを届いたばかりのブラシで擦る。「りんさん、専務はどちらに行かれたの?」「○○社とお打ち合わせとのことです。」「今日も直帰?」「ええ、今日も直帰だそうです。」というやりとりの後は、二人(私と専務)しかいない部署のタイムカードを回収。始業時間を5分ほど過ぎた打刻の列がズラリ。退勤の打刻はほとんどない。
取引先のレセプションでいただいたサボテンに水をやる。
携帯ばかり使う専務の机の上にはなにもない。フォルダ分けしてない名刺が散乱し、支給されたノートPCにはマイドキュメントになにもない。備品発注に際して何か必要ですかと問えば、「身軽にしていたいので何も要りません」との答え。あちこちを転々として新規事業を興した専務らしい。私が本社から連れてきたサボテンは、マイデスクの上にある。「わたしの業務は新規事業の拡大と整備ですから」と語る専務の机と対象的に、備品発注用のカタログ、総務へ送付するタイムカード、事務所の鍵、小口の金庫、フォーマットが詰まったPC、携帯ではなく会社の電話。ちいさな会社のちいさな城。
「終身雇用制は崩れてるんですよ、りんさん」という文章が入ったマイ携帯をパチンと閉じる。閉じて鞄に放り込む。傘立ての下の水垢を拭き取りながら、サボテンがすこし大きくなった気がするな、と気付く。ここに根付いて、滅多に動かず、電磁波と紫外線にじっと耐え、そのうち花が咲くだろう、と。
「私は商売人を尊敬しています。サラリーマンとは覚悟が違います。サラリーマンは外回り中にサボってお茶飲んでても給料日には金が入りますが、商売人はサボってちゃ一銭も入りません」とは、つい先日の専務の言葉。彼は生粋のサラリーマン。
いざ、尋常に
2006年10月3日仕事で痛恨のミス。
外出しがちな専務とのやり取りは電話やメールにて。いつだって穏やかな専務は、叱るときも穏やかだ。「あしたからまたがんばりますので」の"がんば"まで言いかけたところで電話が切れた。ツーツーツー。耳に痛くないけどどこまでも繰り返す無機質な音まで、まるでいつも通りの専務のよう。ほかの事業部に聞こえないよう、私は便座に腰掛けていた。
何食わぬ顔でデスクに戻る。
ほかの部署の上司から、新しい事務所の鍵を預けてもらう。「なくしちゃいけない!」と気負って鍵付きの引き出しに入れ……たら戸締まりできないだろこのおバカ、と突っ込まれて我にかえる。48歳の上司(直属ではない)は「かわいいなおまえは」と笑ってた。異動する前の専務も「りんさんはいつも元気ですね」と笑ってた。新しいデスクの上の専用デスクトップPCは、さっきシートを剥がしたばかり。傷ひとつない。
コンビニに寄ってお菓子(「ガルボミニ」)を買う。○○駅の○番線ホームでむしゃむしゃ食べる。
かつて何百人もの新卒を育ててきた専務を思う。完璧に限りなく近い客観的考察のもとに人を見る専務は、私以外の人を常に冷静な目で見る。考察をすこし(きっと全部じゃない)私に話してくれる。専務が見切りをつける人、尊敬する人。その考察は会社自体にも及ぶ。そんな専務は会社を辞めるらしい。専務が会社に見切りをつけた。もちろんすぐにじゃないけれど。つつがなく予定通り。想定の範囲内(専務のなかで)。
「たぶん、三・四回は泣くと思いますよ」「人を見て法を説けといいますが、キャラクターに合わせ部下の能力を引き出すスキルが管理職には要求されてます」「あなたは正しい情報と私の考えをストレートに提供すれば、建設的に考察し行動してくれると思っております」という、ここ一ヶ月の専務のメールを読み返す。読んでガルボを一口食べる。
誰にでも秘密がある。私にも秘密がある。たぶん一生話すことはない。それがマナーだと思うから。業務外で一緒にお茶を飲んだとき、ニコニコしながら「あなたは上手ですよ、ほんとに、上手です」と私を射抜いた専務は私の秘密を知っている。専務もほんとうにじょうずですねと答える代わりに私も微笑んだ。
実は生まれてから何人も出会えてない相手を前に、剣を抜く日がまた来たらしい。相手は剣林弾雨を潜ってきた正真正銘の武士である。不足なし。ガルボを一袋食べきった私も今日はここで日記を書いて、明日から、邪念を除いて、再度、文字通り、「真剣」で社会を斬る。やあやあ我こそは!!
外出しがちな専務とのやり取りは電話やメールにて。いつだって穏やかな専務は、叱るときも穏やかだ。「あしたからまたがんばりますので」の"がんば"まで言いかけたところで電話が切れた。ツーツーツー。耳に痛くないけどどこまでも繰り返す無機質な音まで、まるでいつも通りの専務のよう。ほかの事業部に聞こえないよう、私は便座に腰掛けていた。
何食わぬ顔でデスクに戻る。
ほかの部署の上司から、新しい事務所の鍵を預けてもらう。「なくしちゃいけない!」と気負って鍵付きの引き出しに入れ……たら戸締まりできないだろこのおバカ、と突っ込まれて我にかえる。48歳の上司(直属ではない)は「かわいいなおまえは」と笑ってた。異動する前の専務も「りんさんはいつも元気ですね」と笑ってた。新しいデスクの上の専用デスクトップPCは、さっきシートを剥がしたばかり。傷ひとつない。
コンビニに寄ってお菓子(「ガルボミニ」)を買う。○○駅の○番線ホームでむしゃむしゃ食べる。
かつて何百人もの新卒を育ててきた専務を思う。完璧に限りなく近い客観的考察のもとに人を見る専務は、私以外の人を常に冷静な目で見る。考察をすこし(きっと全部じゃない)私に話してくれる。専務が見切りをつける人、尊敬する人。その考察は会社自体にも及ぶ。そんな専務は会社を辞めるらしい。専務が会社に見切りをつけた。もちろんすぐにじゃないけれど。つつがなく予定通り。想定の範囲内(専務のなかで)。
「たぶん、三・四回は泣くと思いますよ」「人を見て法を説けといいますが、キャラクターに合わせ部下の能力を引き出すスキルが管理職には要求されてます」「あなたは正しい情報と私の考えをストレートに提供すれば、建設的に考察し行動してくれると思っております」という、ここ一ヶ月の専務のメールを読み返す。読んでガルボを一口食べる。
誰にでも秘密がある。私にも秘密がある。たぶん一生話すことはない。それがマナーだと思うから。業務外で一緒にお茶を飲んだとき、ニコニコしながら「あなたは上手ですよ、ほんとに、上手です」と私を射抜いた専務は私の秘密を知っている。専務もほんとうにじょうずですねと答える代わりに私も微笑んだ。
実は生まれてから何人も出会えてない相手を前に、剣を抜く日がまた来たらしい。相手は剣林弾雨を潜ってきた正真正銘の武士である。不足なし。ガルボを一袋食べきった私も今日はここで日記を書いて、明日から、邪念を除いて、再度、文字通り、「真剣」で社会を斬る。やあやあ我こそは!!
23歳、エトランジェ
2006年9月30日「市場調査」という名目で百貨店に繰り出す。
山ほどカタログを抱えて帰社し、今度は楽天ランキング調査。1位の商品はなぜ売れているんだろうと考える。場がネットだけにバナー広告効果かいなと訝って、主要ポータルサイトを回覧。我が社がまずは乗り出す「ネット」という販路でどれくらい武装すればよいのか、と。敵(ライバル社の戦略)を知らずしてバズーカ砲を用意したら相手が丸腰だった、というオチはコスト的にも避けたい、と社長。
一昨日の木曜夜、32歳の兄さんに中華とお酒をご馳走になった。
錦糸町駅改札で待ち合わせてしばらく歩く。案内された店のロフトのような二階で、創作チャイナ(?)。透明な丸テーブル。泡立つ黄金色の液体。外されたネクタイ。
兄さんの第一印象は「時事ネタに精通してて文学にも詳しいさらに仕事もがんばってるでもモテない(笑)」というものだった。はじめて会った日の兄さんは地下のワインバーのカウンターに腰掛けて、馴染みだというその店のマスターに慣れた作法で私たちの料理をオーダーしてた。あの日の兄さんは薄いピンクのワイシャツを着てた。グラスでハートランドビールを飲んだ後、カリフォルニア産のワインを飲んでいた。
どこかでラインを引いていた。私は兄さんの携わる領域とほとんど関わりのない分野で内定を貰い、大学を卒業する前もした後も、兄さんと兄さんの仲良しの姉さんが「仕事」について熱く語るとき、異国の王子様お姫様のストーリーを聞いている気がしてて。私は本国(ってなんや)でこっちを専門にやっていくんにゃ最後に愛は勝つ!と随分長いあいだ思っていたけど、異動して聞くことになった専務の言葉を思い出す。「いやいや、りんさんのフィールドは広いですよ」と。兄さんが立っていると思われたのは地平線上だったけど、もしかして私が今立っているこの場所はあの日見えた地平線じゃないかと思う。兄さんが店員に「赤ワインを」と頼んだ後に「私も同じものを」と続けて言う。
「もう一軒行きたい店がありまして」と誘う兄さんのうしろから店の階段を降りる。兄さんの背広が上下に揺れる。私のイヤリングもきっと揺れている。仕事の後に社会人の男性に案内されて食事をしてお手洗いから帰ってきたらチェックの手続きが為されてる、気付けばこれがはじめてだったというのにきっと大過なく過ごせている自分が少しこわくて嬉しくて、足元の地平線の存在をたしかに感じてた。
「我らが社長の最大の不幸は、総務ひいてはコンサルの領域で有能な人物に出会えなかったことでしょう。」と専務。見解を受け、「その件について社長はお気付きでらっしゃるとお見受けしますが、いったい今後どうされるおつもりでしょう?」と問うたところ、「あなたには重すぎて言えませんが、いつか知ることとなるでしょう。」という返事が導くさらに遠い地平線へ、当時と同じように異国への憧憬を持ったまま、旅立つ準備を今日もここから。
山ほどカタログを抱えて帰社し、今度は楽天ランキング調査。1位の商品はなぜ売れているんだろうと考える。場がネットだけにバナー広告効果かいなと訝って、主要ポータルサイトを回覧。我が社がまずは乗り出す「ネット」という販路でどれくらい武装すればよいのか、と。敵(ライバル社の戦略)を知らずしてバズーカ砲を用意したら相手が丸腰だった、というオチはコスト的にも避けたい、と社長。
一昨日の木曜夜、32歳の兄さんに中華とお酒をご馳走になった。
錦糸町駅改札で待ち合わせてしばらく歩く。案内された店のロフトのような二階で、創作チャイナ(?)。透明な丸テーブル。泡立つ黄金色の液体。外されたネクタイ。
兄さんの第一印象は「時事ネタに精通してて文学にも詳しいさらに仕事もがんばってるでもモテない(笑)」というものだった。はじめて会った日の兄さんは地下のワインバーのカウンターに腰掛けて、馴染みだというその店のマスターに慣れた作法で私たちの料理をオーダーしてた。あの日の兄さんは薄いピンクのワイシャツを着てた。グラスでハートランドビールを飲んだ後、カリフォルニア産のワインを飲んでいた。
どこかでラインを引いていた。私は兄さんの携わる領域とほとんど関わりのない分野で内定を貰い、大学を卒業する前もした後も、兄さんと兄さんの仲良しの姉さんが「仕事」について熱く語るとき、異国の王子様お姫様のストーリーを聞いている気がしてて。私は本国(ってなんや)でこっちを専門にやっていくんにゃ最後に愛は勝つ!と随分長いあいだ思っていたけど、異動して聞くことになった専務の言葉を思い出す。「いやいや、りんさんのフィールドは広いですよ」と。兄さんが立っていると思われたのは地平線上だったけど、もしかして私が今立っているこの場所はあの日見えた地平線じゃないかと思う。兄さんが店員に「赤ワインを」と頼んだ後に「私も同じものを」と続けて言う。
「もう一軒行きたい店がありまして」と誘う兄さんのうしろから店の階段を降りる。兄さんの背広が上下に揺れる。私のイヤリングもきっと揺れている。仕事の後に社会人の男性に案内されて食事をしてお手洗いから帰ってきたらチェックの手続きが為されてる、気付けばこれがはじめてだったというのにきっと大過なく過ごせている自分が少しこわくて嬉しくて、足元の地平線の存在をたしかに感じてた。
「我らが社長の最大の不幸は、総務ひいてはコンサルの領域で有能な人物に出会えなかったことでしょう。」と専務。見解を受け、「その件について社長はお気付きでらっしゃるとお見受けしますが、いったい今後どうされるおつもりでしょう?」と問うたところ、「あなたには重すぎて言えませんが、いつか知ることとなるでしょう。」という返事が導くさらに遠い地平線へ、当時と同じように異国への憧憬を持ったまま、旅立つ準備を今日もここから。
キャラバン初日。雑誌社にてプレゼンテーション。
朝起きてすぐに驚いたのは、ニンニク臭い自分(真夜中まで飲んでた)。ブレスケアを「目安量」の3倍胃に入れ、マスクまでして出勤。代理店の方々とどーもどーもと待ち合わせ。"臭い人"と思われてないだろうかというのが、肝心のプレゼンの出来よりも懸念すべきことである。エレベーターでミーティングスペースへ。
(プレゼンの詳細は割愛。)
あちこちにディスプレイされた雑誌たち。ツルンとした表紙にライトが反射して、タイトルが疲れ目に眩しい。廊下を行き交う社員には「色」があって、明らかに私のいる会社のそれと違う。「GUEST」と印字されたプレートを返却してドアを開ければ、私を染める「色」も外の世界でくっきりと映え、彼らの目に異質なものとして映るのだろうか、と。正面玄関のドアが私の後ろで閉じた。
同行した専務と駅前でお茶を飲む。
「りんさん、雑誌社に行くと心がざわめくんでしょう?」といきなり突っ込まれ、アイスコーヒーを噴き出しそうになる。「専務もそうですか?」と問うと、「まさか。私はもともと○○屋ですからね、○○メーカーに行くとざわめきますが。」との答え。そうですかとつぶやきながらストローで氷をつつく。
「宿命」という言葉が好き。「こんなこといいな、できたらいいな」と無邪気に歌いながら夢見たことの多くは、私にピッタリだと思ってた。私にピッタリだと思ったことに節目節目で拒否されて、高校の普通科に進み、浪人し、出版社じゃない会社に入社した。拒否された瞬間はいつも顔にタテ線が入るけど、24年間を振り返るに、なぜかいつの間にかたどり着く。あまりにも意外な方法で願いが叶う。ストレートではなくフォークボールのように。
就職活動を終えて一年半、なぜ出版社に入れなかったかがわかる。メーカーの人間(今の私)、代理店、雑誌社の広告担当+編集者。三者で何かを始めるとするなら、私は同じ「雑誌」を軸にするにしても、今のポジション以外に立てないだろう。というのも、"プロの編集"の定義が仮にあるなら、それは「自分を殺すこと」かもしれないと思うから。華やかで夢あふれる「場」を提供する編集者は、読んで字のごとく人のものを集めて編むのだろう。代理店の立場にはもっとなれない。頻繁にメールをやり取りしながらも、私は彼らの仕事内容が未だに把握できていない。
専務とともにガタガタと電車で帰社。私の所属する「メーカー」へ。
とはいえりんはメーカーにいつまでもいないでしょう。…と言ったのは私ではなく、専務。と社長。「あなたはなぜここにいるんですか」と専務は言う。「あなたがいつまでもここにいるわきゃないことくらい、社長は承知ですよ。それをはじめから承知で雇ってますから」と社長の代わりに専務が言う。「もう販売職でいいもーん」と(今思えば)ヤケっぱちで決意したのに、「宿命」がそれを許さないなら、私はいつか流れ着くであろう場所に心当たりがなくもない。当時は投げられなかったストレートがボールかと思いきや意外なかたちでいつか吸い込まれるだろうその場所に、今はただ強く焦がれる。
朝起きてすぐに驚いたのは、ニンニク臭い自分(真夜中まで飲んでた)。ブレスケアを「目安量」の3倍胃に入れ、マスクまでして出勤。代理店の方々とどーもどーもと待ち合わせ。"臭い人"と思われてないだろうかというのが、肝心のプレゼンの出来よりも懸念すべきことである。エレベーターでミーティングスペースへ。
(プレゼンの詳細は割愛。)
あちこちにディスプレイされた雑誌たち。ツルンとした表紙にライトが反射して、タイトルが疲れ目に眩しい。廊下を行き交う社員には「色」があって、明らかに私のいる会社のそれと違う。「GUEST」と印字されたプレートを返却してドアを開ければ、私を染める「色」も外の世界でくっきりと映え、彼らの目に異質なものとして映るのだろうか、と。正面玄関のドアが私の後ろで閉じた。
同行した専務と駅前でお茶を飲む。
「りんさん、雑誌社に行くと心がざわめくんでしょう?」といきなり突っ込まれ、アイスコーヒーを噴き出しそうになる。「専務もそうですか?」と問うと、「まさか。私はもともと○○屋ですからね、○○メーカーに行くとざわめきますが。」との答え。そうですかとつぶやきながらストローで氷をつつく。
「宿命」という言葉が好き。「こんなこといいな、できたらいいな」と無邪気に歌いながら夢見たことの多くは、私にピッタリだと思ってた。私にピッタリだと思ったことに節目節目で拒否されて、高校の普通科に進み、浪人し、出版社じゃない会社に入社した。拒否された瞬間はいつも顔にタテ線が入るけど、24年間を振り返るに、なぜかいつの間にかたどり着く。あまりにも意外な方法で願いが叶う。ストレートではなくフォークボールのように。
就職活動を終えて一年半、なぜ出版社に入れなかったかがわかる。メーカーの人間(今の私)、代理店、雑誌社の広告担当+編集者。三者で何かを始めるとするなら、私は同じ「雑誌」を軸にするにしても、今のポジション以外に立てないだろう。というのも、"プロの編集"の定義が仮にあるなら、それは「自分を殺すこと」かもしれないと思うから。華やかで夢あふれる「場」を提供する編集者は、読んで字のごとく人のものを集めて編むのだろう。代理店の立場にはもっとなれない。頻繁にメールをやり取りしながらも、私は彼らの仕事内容が未だに把握できていない。
専務とともにガタガタと電車で帰社。私の所属する「メーカー」へ。
とはいえりんはメーカーにいつまでもいないでしょう。…と言ったのは私ではなく、専務。と社長。「あなたはなぜここにいるんですか」と専務は言う。「あなたがいつまでもここにいるわきゃないことくらい、社長は承知ですよ。それをはじめから承知で雇ってますから」と社長の代わりに専務が言う。「もう販売職でいいもーん」と(今思えば)ヤケっぱちで決意したのに、「宿命」がそれを許さないなら、私はいつか流れ着くであろう場所に心当たりがなくもない。当時は投げられなかったストレートがボールかと思いきや意外なかたちでいつか吸い込まれるだろうその場所に、今はただ強く焦がれる。
もう恋なんてしないなんて
2006年9月27日昔付き合っていた人から連絡があった。
インターネット(アスクルアリーナ)で備品発注。…と思ったらサーバが落ちる。トイレに行ったらペーパーがない。ヒビの入った水槽に絶えず柄杓で水を入れるような業務を続ける我が総務。専務が経験則を踏まえ、会社に対して辛辣なことを言う。勢いと創業者のスキルだけで驚異的発展を遂げた弊社。専務と何度もメールでやり取りをするうちに、遠くで匙を投げる音が聞こえたような。
事務所には誰もいない。電話帳を調べて、インフラ整備を委託している業者を探し、担当者を探し、遠隔操作でサーバを修復し、しかるのちにネットでの発注(時間制限有り)をギリギリ終わらせ、家から持ってきたトイレットペーパーをセットする。受注を受けても専務がいない。近くの本屋で「定型書類」のCD−ROMを買って来て、プリントアウトして、仮の納品書を作って、段ボールを組み立てて、運送屋を呼んで、出荷する。
終業後、TSUTAYAに寄る。
好きなのは「オムニバス」のコーナーだ。ヒットチャートをひたすら追うのをやめてから、私はどのジャンルが好きなのかわからなくなって、ここ(オムニバス)の存在を知った。J−POPシーン(80年代〜90年代)を彩ってきた名曲ばかりを集めた『ラヴ〜メモリー・オブ・メロディー〜』をチョイス。ラブソングばかり30曲も入ってる。
「なんて素敵なのかしら!」と叫んで盲目的に信奉して、途中で「ん?ん?実は素敵じゃない…?」と気付き、最後には目が覚める。それでも懲りずにまた信じ、挑む。専務からの水を浴びせられたようなメールは、また私の目を覚ます。入社式の日が遠い。画面をスクロールさせれば、昔愛した人の打った文字。盲目になりやすい私は自分の判断基準に自信が持てなくて、だからこそ正しそうなことを言う人(法人含む)に弱くて信奉してしまう。
本日のオムニバス(ラヴ 〜メモリー・オブ・メロディ〜)
1.IT’s ONLY LOVE(福山雅治)
↓
2.もう恋なんてしない(槇原敬之)
↓
7.恋におちて−Fall in love−(小林明子)
↓
14.いつまでも変わらぬ愛を(織田哲郎)
↓
15.それが大事(大事MANブラザーズバンド)
私が出荷した商品が今頃どこかにたどり着く。明日には事務所に備品が届く。もう恋なんてしないなんて言わないよぜったい。
インターネット(アスクルアリーナ)で備品発注。…と思ったらサーバが落ちる。トイレに行ったらペーパーがない。ヒビの入った水槽に絶えず柄杓で水を入れるような業務を続ける我が総務。専務が経験則を踏まえ、会社に対して辛辣なことを言う。勢いと創業者のスキルだけで驚異的発展を遂げた弊社。専務と何度もメールでやり取りをするうちに、遠くで匙を投げる音が聞こえたような。
事務所には誰もいない。電話帳を調べて、インフラ整備を委託している業者を探し、担当者を探し、遠隔操作でサーバを修復し、しかるのちにネットでの発注(時間制限有り)をギリギリ終わらせ、家から持ってきたトイレットペーパーをセットする。受注を受けても専務がいない。近くの本屋で「定型書類」のCD−ROMを買って来て、プリントアウトして、仮の納品書を作って、段ボールを組み立てて、運送屋を呼んで、出荷する。
終業後、TSUTAYAに寄る。
好きなのは「オムニバス」のコーナーだ。ヒットチャートをひたすら追うのをやめてから、私はどのジャンルが好きなのかわからなくなって、ここ(オムニバス)の存在を知った。J−POPシーン(80年代〜90年代)を彩ってきた名曲ばかりを集めた『ラヴ〜メモリー・オブ・メロディー〜』をチョイス。ラブソングばかり30曲も入ってる。
「なんて素敵なのかしら!」と叫んで盲目的に信奉して、途中で「ん?ん?実は素敵じゃない…?」と気付き、最後には目が覚める。それでも懲りずにまた信じ、挑む。専務からの水を浴びせられたようなメールは、また私の目を覚ます。入社式の日が遠い。画面をスクロールさせれば、昔愛した人の打った文字。盲目になりやすい私は自分の判断基準に自信が持てなくて、だからこそ正しそうなことを言う人(法人含む)に弱くて信奉してしまう。
本日のオムニバス(ラヴ 〜メモリー・オブ・メロディ〜)
1.IT’s ONLY LOVE(福山雅治)
↓
2.もう恋なんてしない(槇原敬之)
↓
7.恋におちて−Fall in love−(小林明子)
↓
14.いつまでも変わらぬ愛を(織田哲郎)
↓
15.それが大事(大事MANブラザーズバンド)
私が出荷した商品が今頃どこかにたどり着く。明日には事務所に備品が届く。もう恋なんてしないなんて言わないよぜったい。
ハローワールド
2006年9月25日専務倒れる。
どどどどどどうしよと慌てつつも昼ご飯を済ませたら少し落ち着いて、騒々しい街をゆく。ドアが開くとこぼれてくるパチスロの音。人工的な丘を上れば途端に視界が開けて、眼下に見えるは、永遠に"開発中"のエリア・オン・タイム。私はこの街が好きなんだろうと思う。丘を下って事務所の入ったビルへ向かう。エレベーターはいつもすぐ来る。
ちいさな事務所。フローリングの上でキイキイと鳴る古くて黒い椅子。エクセル入門(入門してる場合じゃないけど)片手にセルを結合したり、ひとりしかいない上司への伝言を承ったり。○○は終日外出中でございます(いつ来るかわからないけど)。12人用なのに5枚しか入ってないタイムカード・ホルダー。
「PRの仕事がしたい!」と鼻息荒い高校時代の友達は転職活動中。大企業に勤める彼女はなぜか販売員にされたらしい。彼女より一年遅れて就職活動をした私は、大手広告代理店、大手出版社、軒並み落っことされてここにいる。「人脈は作っておいた方がいいですよ」と語る専務は、広告代理店と雑誌社の窓口も私にするつもりらしい。私の書いたコピーが看板になった。私の企画が商品になる。
成功しやすい商材の製造ノウハウがあれば「良いモノ」はできるけど、「売れるモノ」になるとは限らない。大企業にしか「良いモノ」は作れないかと思いきや、人があっちからこっちへ動くと、それぞれの人脈が活性化し、製造ノウハウは別の「良いモノ」にかたちを変える。そして、大企業がPRする「売れるモノ」が必ずしも「良いモノ」かといえば、例外も多くあり。
製造から販売のすべてを管理する立場になろう私は、メーカー、流通会社、代理店、雑誌社、放送局、百貨店、それぞれの担当者と連絡を取り合う。事務所に帰れば、すべてのフォーマットを作成し、会計の知識も習得して、さらにヒラ社員だから備品の発注も自分で行って。ガラス貼りの自社ビルの名前が刻まれた社員証をぶら下げたかったはずなのに、気付けば私はデスクさえないこのオフィスにいて、当時の自分がやりたくて仕方なかった仕事に着手するらしい。
タイムカードを押し、事務所を出て、もう一度、日の代わりに灯が明るい丘の上へ。あの巨大な看板は代理店の社員がデザインしてると思ってた。この雑誌の文章はすべて編集者が書いてると思ってた。街はひろいなでっかいな。私の手の中にはたくさんの書類がある。
番外雑感
●「秘書」のはずなのにまったく秘されてない件に関して、関係各所に弁明を求めたい。
●人脈どうのこうのと言ってるけど、昨今の言動から察するに、専務、自分が代理店嫌いだからって私に押しつけるつもりらしい。
●日記を書くのがギリギリになってきた。
どどどどどどうしよと慌てつつも昼ご飯を済ませたら少し落ち着いて、騒々しい街をゆく。ドアが開くとこぼれてくるパチスロの音。人工的な丘を上れば途端に視界が開けて、眼下に見えるは、永遠に"開発中"のエリア・オン・タイム。私はこの街が好きなんだろうと思う。丘を下って事務所の入ったビルへ向かう。エレベーターはいつもすぐ来る。
ちいさな事務所。フローリングの上でキイキイと鳴る古くて黒い椅子。エクセル入門(入門してる場合じゃないけど)片手にセルを結合したり、ひとりしかいない上司への伝言を承ったり。○○は終日外出中でございます(いつ来るかわからないけど)。12人用なのに5枚しか入ってないタイムカード・ホルダー。
「PRの仕事がしたい!」と鼻息荒い高校時代の友達は転職活動中。大企業に勤める彼女はなぜか販売員にされたらしい。彼女より一年遅れて就職活動をした私は、大手広告代理店、大手出版社、軒並み落っことされてここにいる。「人脈は作っておいた方がいいですよ」と語る専務は、広告代理店と雑誌社の窓口も私にするつもりらしい。私の書いたコピーが看板になった。私の企画が商品になる。
成功しやすい商材の製造ノウハウがあれば「良いモノ」はできるけど、「売れるモノ」になるとは限らない。大企業にしか「良いモノ」は作れないかと思いきや、人があっちからこっちへ動くと、それぞれの人脈が活性化し、製造ノウハウは別の「良いモノ」にかたちを変える。そして、大企業がPRする「売れるモノ」が必ずしも「良いモノ」かといえば、例外も多くあり。
製造から販売のすべてを管理する立場になろう私は、メーカー、流通会社、代理店、雑誌社、放送局、百貨店、それぞれの担当者と連絡を取り合う。事務所に帰れば、すべてのフォーマットを作成し、会計の知識も習得して、さらにヒラ社員だから備品の発注も自分で行って。ガラス貼りの自社ビルの名前が刻まれた社員証をぶら下げたかったはずなのに、気付けば私はデスクさえないこのオフィスにいて、当時の自分がやりたくて仕方なかった仕事に着手するらしい。
タイムカードを押し、事務所を出て、もう一度、日の代わりに灯が明るい丘の上へ。あの巨大な看板は代理店の社員がデザインしてると思ってた。この雑誌の文章はすべて編集者が書いてると思ってた。街はひろいなでっかいな。私の手の中にはたくさんの書類がある。
番外雑感
●「秘書」のはずなのにまったく秘されてない件に関して、関係各所に弁明を求めたい。
●人脈どうのこうのと言ってるけど、昨今の言動から察するに、専務、自分が代理店嫌いだからって私に押しつけるつもりらしい。
●日記を書くのがギリギリになってきた。
パンプスをはいてあるこう
2006年9月21日千葉県の外れにある倉庫会社へ行く。
不便な土地。「カレー・ラーメン」と書かれたのぼりがあちこちに。路側帯が細くて、行き交う車は軽トラックばかり。目的の倉庫会社の敷地に降り立つと、空の面積が広い。風はたしかに地平線の向こうから吹いているんだと、当たり前のことが大袈裟に感じられて。そんな土地に不釣り合いな新しいパンプスの音を響かせて。
業務主任の男性は汗をかいていた。広々した敷地におおきなトラックが到着して、荷が降ろされたり、積まれたり。その後事務所に案内される。最低限の材で作られただろう事務所には、壁に沿って事務机が3個あり、壁にはカレンダー、時計、窓にはカーテン、真ん中に応接用の簡易テーブルがあって。窓からはヒグラシの声。やけに近い。
その後、社に戻る。
新規事業部という聞こえは格好良いけど、何を買うにも稟議を立てて、決裁を待ち。本社にいた頃、PC上で動く数字をちょこちょこ修正し、電話で遠くの人とやり取りをし、振り返れば手が届くFAXで書類を受け取って。それでもすこぶる忙しい気がしてて。物は豊富で、引き出しを開ければなんでもあった。はさみ、のり、ポスト・イット、ホッチキス。やけにたくさんあった。
壊れかけた椅子の上でくるくると回りながら、本社に電話をかけた。
M&Aされる我が社。経営トップは変わり、入社当時頼りにしていた上司は降格し、出社したらいきなり新人がいるし(聞いてないぞ)、組織の責任者さえ曖昧だ。そんな状況で決裁を待つ。会社の資産が機械上でちょこちょこと動く。モノが目に見えないから行き違いも多くて、エライ人たちが綱引きをしてる。下っ端の私はただ見守っている。
我が父の実家は商家である。倉庫の匂いが好きだった。ハシゴで高いところに上って、荷をバシンバシンと梱包するのをよく見ていた。父の兄がその場で袋を開けて、わたしにジュースやらお菓子やらをわけてくれた。朝になると車が出ていって、夕方になると車が帰ってきた。父の兄が急逝して、私は葬式の日に商品をいっこいっこ開けて、いっこいっこ袋につめて、段ボールをいっこいっこ抱えて、積み上げた。
未だ何もない新規事業部。この閑散とした空間に、まずはデスクを置こう。PCが納品されたらデスクの上に設置して、デスク横にはゴミ箱を置こう。電話を置いたらメモ帳を置こう。最低限の文房具を発注したら、ぜひ掃除機を買いに行こう。どうしても出てしまうゴミを吸い込んで、毎朝捨てに行こう。あなたのいいところを入社してすぐに私は見つけましたよ、なんですか、新人の誰よりもボロボロのパンプスを見てこの子は根性があるなと思ったんです、そうですか、という専務とのやり取りを忘れないようにして。
不便な土地。「カレー・ラーメン」と書かれたのぼりがあちこちに。路側帯が細くて、行き交う車は軽トラックばかり。目的の倉庫会社の敷地に降り立つと、空の面積が広い。風はたしかに地平線の向こうから吹いているんだと、当たり前のことが大袈裟に感じられて。そんな土地に不釣り合いな新しいパンプスの音を響かせて。
業務主任の男性は汗をかいていた。広々した敷地におおきなトラックが到着して、荷が降ろされたり、積まれたり。その後事務所に案内される。最低限の材で作られただろう事務所には、壁に沿って事務机が3個あり、壁にはカレンダー、時計、窓にはカーテン、真ん中に応接用の簡易テーブルがあって。窓からはヒグラシの声。やけに近い。
その後、社に戻る。
新規事業部という聞こえは格好良いけど、何を買うにも稟議を立てて、決裁を待ち。本社にいた頃、PC上で動く数字をちょこちょこ修正し、電話で遠くの人とやり取りをし、振り返れば手が届くFAXで書類を受け取って。それでもすこぶる忙しい気がしてて。物は豊富で、引き出しを開ければなんでもあった。はさみ、のり、ポスト・イット、ホッチキス。やけにたくさんあった。
壊れかけた椅子の上でくるくると回りながら、本社に電話をかけた。
M&Aされる我が社。経営トップは変わり、入社当時頼りにしていた上司は降格し、出社したらいきなり新人がいるし(聞いてないぞ)、組織の責任者さえ曖昧だ。そんな状況で決裁を待つ。会社の資産が機械上でちょこちょこと動く。モノが目に見えないから行き違いも多くて、エライ人たちが綱引きをしてる。下っ端の私はただ見守っている。
我が父の実家は商家である。倉庫の匂いが好きだった。ハシゴで高いところに上って、荷をバシンバシンと梱包するのをよく見ていた。父の兄がその場で袋を開けて、わたしにジュースやらお菓子やらをわけてくれた。朝になると車が出ていって、夕方になると車が帰ってきた。父の兄が急逝して、私は葬式の日に商品をいっこいっこ開けて、いっこいっこ袋につめて、段ボールをいっこいっこ抱えて、積み上げた。
未だ何もない新規事業部。この閑散とした空間に、まずはデスクを置こう。PCが納品されたらデスクの上に設置して、デスク横にはゴミ箱を置こう。電話を置いたらメモ帳を置こう。最低限の文房具を発注したら、ぜひ掃除機を買いに行こう。どうしても出てしまうゴミを吸い込んで、毎朝捨てに行こう。あなたのいいところを入社してすぐに私は見つけましたよ、なんですか、新人の誰よりもボロボロのパンプスを見てこの子は根性があるなと思ったんです、そうですか、という専務とのやり取りを忘れないようにして。
青の未明
2006年9月18日そういえばあの日の未明も雨が降っていたなと思い出す頃、すこしだけ開けていたベランダのサッシを閉める音がした。途端に雨音が遠くなる。
ふたたび寝息と雨音が混じる頃、うっすら目を開けて、ほんの少ーし明るくなった部屋を見た。真っ青なTシャツの肩越しから覗けるワンルームの光景は、寝ぼけ眼にも痛々しい。
今日は敬老の日・祝日だ。
酒が原因じゃない頭痛を抱える人はたまに苦しそうに呻いて、私が心配になってすこし動くと、目を開く気配がする。微笑むかたちに動く唇と歯が見える。あと数時間後にアラームが鳴れば、この部屋は空になる。私が先週買って生けたバラはすっかり枯れて青い肩の向こうのゴミ箱にある。
午前三時に床につき、起床したのは午後四時半。13時間半のあいだに何度か電話が鳴った。寝たフリをして聞いていた。
ベンチャー企業の新規事業部の新入社員、これ以上頼りない肩書きもなかろう。そんな頼りない私が頼りにするたったひとりの上司でさえ、徐々に激務と化す日々にどんどん差をつけられて。この任された業務を遂行しないと叱られる、もしくは人に迷惑がかかる、そんな使命感もどきに駆られて仕事をし続けてはや半年。42歳の上司に対し23歳の私にできることはなんだろうと、今までなかなか湧いてこなかった新たな動機にちいさな火がついて。最近のことである。
労働基準法に少しでも基づかない行為があると我が母は私(と私の会社)を責める。私はたまに彼(と彼の会社)を控えめに責めてみるが、ボソボソと続く彼と彼の上司のやりとりを聞きながら、彼が以前してくれた話を反芻する。残業(と休日出勤)しないで済む方法もあるにはあるけど、クオリティの高いものを求める心に嘘がないのだと。
徐々に明けて徐々に暮れゆく日。いちど青く明るくなってまた暗くなる部屋のなかで、私は先に起きてシャワーを浴びて、着替えて、ベッドに腰を下ろす。足を伸ばした人の土踏まずが私のほっぺたにクリティカルヒットして、「すまん、初D.Vだ…」と謝る人に「Dじゃないよ」と突っ込んだら、「じゃあ初Vか、なんか優勝みたいだな」という呑気なやりとり。「先に出るね」と腰を上げる。今日はごめんとなぜか謝りながら玄関まで見送ってくれた人の頭は逆立っていた(見事な寝癖)。
帰宅後は、ギリギリまで放置していた企画書作成に着手。ブログも書かず、メールチェックもせず、「さあて!!」と気合いを入れて。
42歳と23歳はそんなに変わらないのでは、という気さえする。6個の差ならなおさらだ。
ふたたび寝息と雨音が混じる頃、うっすら目を開けて、ほんの少ーし明るくなった部屋を見た。真っ青なTシャツの肩越しから覗けるワンルームの光景は、寝ぼけ眼にも痛々しい。
今日は敬老の日・祝日だ。
酒が原因じゃない頭痛を抱える人はたまに苦しそうに呻いて、私が心配になってすこし動くと、目を開く気配がする。微笑むかたちに動く唇と歯が見える。あと数時間後にアラームが鳴れば、この部屋は空になる。私が先週買って生けたバラはすっかり枯れて青い肩の向こうのゴミ箱にある。
午前三時に床につき、起床したのは午後四時半。13時間半のあいだに何度か電話が鳴った。寝たフリをして聞いていた。
ベンチャー企業の新規事業部の新入社員、これ以上頼りない肩書きもなかろう。そんな頼りない私が頼りにするたったひとりの上司でさえ、徐々に激務と化す日々にどんどん差をつけられて。この任された業務を遂行しないと叱られる、もしくは人に迷惑がかかる、そんな使命感もどきに駆られて仕事をし続けてはや半年。42歳の上司に対し23歳の私にできることはなんだろうと、今までなかなか湧いてこなかった新たな動機にちいさな火がついて。最近のことである。
労働基準法に少しでも基づかない行為があると我が母は私(と私の会社)を責める。私はたまに彼(と彼の会社)を控えめに責めてみるが、ボソボソと続く彼と彼の上司のやりとりを聞きながら、彼が以前してくれた話を反芻する。残業(と休日出勤)しないで済む方法もあるにはあるけど、クオリティの高いものを求める心に嘘がないのだと。
徐々に明けて徐々に暮れゆく日。いちど青く明るくなってまた暗くなる部屋のなかで、私は先に起きてシャワーを浴びて、着替えて、ベッドに腰を下ろす。足を伸ばした人の土踏まずが私のほっぺたにクリティカルヒットして、「すまん、初D.Vだ…」と謝る人に「Dじゃないよ」と突っ込んだら、「じゃあ初Vか、なんか優勝みたいだな」という呑気なやりとり。「先に出るね」と腰を上げる。今日はごめんとなぜか謝りながら玄関まで見送ってくれた人の頭は逆立っていた(見事な寝癖)。
帰宅後は、ギリギリまで放置していた企画書作成に着手。ブログも書かず、メールチェックもせず、「さあて!!」と気合いを入れて。
42歳と23歳はそんなに変わらないのでは、という気さえする。6個の差ならなおさらだ。
浸潤
2006年9月17日
午後三時に待ち合わせて向島へ。
大阪から越してきたばかりのOさん、その彼女・Sさん、私、マイ・ラヴァー、というメンバーで下町散策。「散歩の達人」を小脇に、年代物のカメラ(デジタルではない)を首から提げ、上下ともにデニム生地という、これぞ"散歩の達人"的スタイルで登場したOさんにいたく感動する。兄さん、さすがです(涙)。
しとしとと降り出した雨もなんのその、コンビニで傘を購入する。
Oさんの家からすこし歩くと、そこは隅田川。いきなり開けた瑞々しい光景に笑みが隠せない。曇天から霧のような雨が川に降り注ぐ。川周りには高い建物もない。水の匂い。四つの傘。不動産業界ではあっちが"川向こう"と呼ばれてるらしい、たしかに土地の値段ぜんぜん違いますよね、と話し続けるOさんとマイ・ラヴァー。ちらと横を見るとSさんと目が合った。おなじことかんがえてました?とシンパシー。ふたり並んで話に花を咲かせる互いの彼氏をうしろから眺め、わたしたちはいつも「ふふ」と微笑む。
複雑に入り組んだ界隈を抜け、向島百花園へ。
江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804年〜1830年)に造られた庭園は、雨に濡れてしっとりと佇む。季節の七草、ヘチマ、ひょうたん、芙蓉、萩、曼珠沙華。突然強くなった雨を避け、しつらえられたテント下へ。以降の向島散策ルートを頭捻って考えるOさんと、Oさんの広げた"墨田区マップ"を見るなり「Oさん、イイ地図っすね!」と感嘆する地図ファンのマイ・ラヴァー。言葉少なに目と髪を湿らせるSさん。パタパタと屋根を叩く雨垂れの音。曼珠沙華は別名・彼岸花。今が旬。
三圍(みめぐり)神社にて「みめぐりのコンコンさん」を見たり、神社の飼い犬とじゃれたり、三連休中に墨田区のあちこちで開かれるお祭りの御輿を見たり、路地を縦横無尽に走り抜ける子どもらと何度も遭遇する中で、私は昔にかえる。そろそろ結婚するOさんとSさんが育む何かは、この土地の空気とともに築かれるのだ。良い気を存分に浴びて、おふたりがいつまでも健やかでありますよう。
その後、Oさん宅を会場に鍋パーティ。
続々と集まるゲストとともに豆乳鍋を囲む。宴もたけなわ、失言と暴言もご愛嬌(で済んだのだろうか)。早めに帰られたゲストを見送った後、Oさん、マイ・ラヴァー、Tさん(Oさんの古いご友人)の男性三方が酔ってねっとりと交友を温めるのをよそに、「困りましたねえ」と皿を洗うSさんと「ほんと、困りましたねえ」と皿を拭く私。困ると言いつつ針でつつけば笑みがこぼれてしまいそうな夜。皿の汚れは洗い流され、空いたボトルは足元に。どこにも捨てられないなにかだけが、今夜もまた、ひとひらずつ、わたしたちの上に積もりゆく。積もり、後に、深部まで染みこむ。
大阪から越してきたばかりのOさん、その彼女・Sさん、私、マイ・ラヴァー、というメンバーで下町散策。「散歩の達人」を小脇に、年代物のカメラ(デジタルではない)を首から提げ、上下ともにデニム生地という、これぞ"散歩の達人"的スタイルで登場したOさんにいたく感動する。兄さん、さすがです(涙)。
しとしとと降り出した雨もなんのその、コンビニで傘を購入する。
Oさんの家からすこし歩くと、そこは隅田川。いきなり開けた瑞々しい光景に笑みが隠せない。曇天から霧のような雨が川に降り注ぐ。川周りには高い建物もない。水の匂い。四つの傘。不動産業界ではあっちが"川向こう"と呼ばれてるらしい、たしかに土地の値段ぜんぜん違いますよね、と話し続けるOさんとマイ・ラヴァー。ちらと横を見るとSさんと目が合った。おなじことかんがえてました?とシンパシー。ふたり並んで話に花を咲かせる互いの彼氏をうしろから眺め、わたしたちはいつも「ふふ」と微笑む。
複雑に入り組んだ界隈を抜け、向島百花園へ。
江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804年〜1830年)に造られた庭園は、雨に濡れてしっとりと佇む。季節の七草、ヘチマ、ひょうたん、芙蓉、萩、曼珠沙華。突然強くなった雨を避け、しつらえられたテント下へ。以降の向島散策ルートを頭捻って考えるOさんと、Oさんの広げた"墨田区マップ"を見るなり「Oさん、イイ地図っすね!」と感嘆する地図ファンのマイ・ラヴァー。言葉少なに目と髪を湿らせるSさん。パタパタと屋根を叩く雨垂れの音。曼珠沙華は別名・彼岸花。今が旬。
三圍(みめぐり)神社にて「みめぐりのコンコンさん」を見たり、神社の飼い犬とじゃれたり、三連休中に墨田区のあちこちで開かれるお祭りの御輿を見たり、路地を縦横無尽に走り抜ける子どもらと何度も遭遇する中で、私は昔にかえる。そろそろ結婚するOさんとSさんが育む何かは、この土地の空気とともに築かれるのだ。良い気を存分に浴びて、おふたりがいつまでも健やかでありますよう。
その後、Oさん宅を会場に鍋パーティ。
続々と集まるゲストとともに豆乳鍋を囲む。宴もたけなわ、失言と暴言もご愛嬌(で済んだのだろうか)。早めに帰られたゲストを見送った後、Oさん、マイ・ラヴァー、Tさん(Oさんの古いご友人)の男性三方が酔ってねっとりと交友を温めるのをよそに、「困りましたねえ」と皿を洗うSさんと「ほんと、困りましたねえ」と皿を拭く私。困ると言いつつ針でつつけば笑みがこぼれてしまいそうな夜。皿の汚れは洗い流され、空いたボトルは足元に。どこにも捨てられないなにかだけが、今夜もまた、ひとひらずつ、わたしたちの上に積もりゆく。積もり、後に、深部まで染みこむ。
秘書の戯れ言 vol.4
2006年9月14日カフェイン摂りすぎで候(打ち合わせだらけ)。
山手線車内にて。
他社からヘッドハントされてきた専務は40代前半。まだまだ若くていらっしゃる。煙草の吸いすぎなのかゴホゴホと咳き込む彼のとなりで、新入社員の私は景色を物珍しく眺めたり。降りる人、乗る人。今はおなじ電車のおなじ車両でおなじ方向へまっすぐ向かっているけど、このお方はいつ降りるかわからない。「わたしは今すぐ会社を辞めても行くところがありますよ」という言葉が離れない。
一時間毎に煙草を欲する専務が、自身の喫煙癖を省みて「すみませんね、吸わない人の前で」と言う。「お気になさらないでください。自分は煙草がなくても構いませんが、人が吸うのも構わないんです」と私は言う。「あなたは商売人の娘ですね」と専務が言う。目をパチクリさせた私に対し、専務はいつも茶目っ気を含んだ瞳で意味深に笑うのだ。
この業界では「傭兵」と呼ばれる専務は、生粋のサラリーマン。そして、優秀なサラリーマン。優秀なサラリーマンになることを希望した私は、脱サラした我が父の生き方を否定したわけではないが、特に肯定したこともない。「私は商売人を尊敬しています。サラリーマンとは覚悟が違います。サラリーマンは外回り中にサボってお茶飲んでても給料日には金が入りますが、商売人はサボってちゃ一銭も入りません」と専務は言う。サボってちゃ一銭も手に入らない商売人が育てた娘が、この私。
さらに言う。「あなたは、いつか、自分で何か始める人ですよ」と。
希望に満ちて入社した私が窓から見える景色に驚愕しながら突き進む様を、専務は見ていたらしい。さっそく組織が嫌になってるでしょう、と突っ込まれてギクリとした私の反応も予想済みなのか、専務の話はとまらない。あなたは人の下につくのも上に立つのも嫌なはず、それでも力と理想があるからいつか人の器から出て自分の器を作るはず、私の経験則ですが、と。
電車が品川に着いた。
専務が降りる。私も続く。入社して僅か半年なのに(社内で)三回も引っ越しを経験する私だが、もともとは地に根を下ろしたい性質で、拠り所が欲しかった。専務はいつまで私の前を歩くだろう。「傭兵」の専務は、同じ業界内ながら、製造・企画・販売の三つの世界を股にかけ、自身の頭ひとつを武器に飄々と流し、(今は)サラリーを稼いでる。「社会人になる」と「会社に所属する」が強いイコールで結ばれていた私は、その他の道を考えたこともない。
製造・企画・販売を分断することなくたったふたり(専務と私)でこなし、私はキャリアを積むだろう。「あなたは、いつか、自分で商売を始める人ですよ」と分析する専務には悪いが、実は驚くほどに物欲がない。モノを愛する専務をよそに、「飽和」という言葉さえすでに悲しくて。それでも流れる"商売人の血"が私をどこかに導くなら、私は何を売るだろう。願わくば、人の進行も妨げたくないし、人に妨げてほしくもない。煙草を吸う人がいてもいいし、仮に私が吸うならとめないで。それが現代のニートを生んだ思考法なら、無責任と罵られない方法で。
品川の街を歩きながら「文化祭シーズンだな」と気付いた。そういえばわたしはクラスの出し物の準備の際も、「分担」が嫌で、ぜんぶ、自分でしたかった。
それにしてもカフェイン摂りすぎで候(トイレが近い)。
山手線車内にて。
他社からヘッドハントされてきた専務は40代前半。まだまだ若くていらっしゃる。煙草の吸いすぎなのかゴホゴホと咳き込む彼のとなりで、新入社員の私は景色を物珍しく眺めたり。降りる人、乗る人。今はおなじ電車のおなじ車両でおなじ方向へまっすぐ向かっているけど、このお方はいつ降りるかわからない。「わたしは今すぐ会社を辞めても行くところがありますよ」という言葉が離れない。
一時間毎に煙草を欲する専務が、自身の喫煙癖を省みて「すみませんね、吸わない人の前で」と言う。「お気になさらないでください。自分は煙草がなくても構いませんが、人が吸うのも構わないんです」と私は言う。「あなたは商売人の娘ですね」と専務が言う。目をパチクリさせた私に対し、専務はいつも茶目っ気を含んだ瞳で意味深に笑うのだ。
この業界では「傭兵」と呼ばれる専務は、生粋のサラリーマン。そして、優秀なサラリーマン。優秀なサラリーマンになることを希望した私は、脱サラした我が父の生き方を否定したわけではないが、特に肯定したこともない。「私は商売人を尊敬しています。サラリーマンとは覚悟が違います。サラリーマンは外回り中にサボってお茶飲んでても給料日には金が入りますが、商売人はサボってちゃ一銭も入りません」と専務は言う。サボってちゃ一銭も手に入らない商売人が育てた娘が、この私。
さらに言う。「あなたは、いつか、自分で何か始める人ですよ」と。
希望に満ちて入社した私が窓から見える景色に驚愕しながら突き進む様を、専務は見ていたらしい。さっそく組織が嫌になってるでしょう、と突っ込まれてギクリとした私の反応も予想済みなのか、専務の話はとまらない。あなたは人の下につくのも上に立つのも嫌なはず、それでも力と理想があるからいつか人の器から出て自分の器を作るはず、私の経験則ですが、と。
電車が品川に着いた。
専務が降りる。私も続く。入社して僅か半年なのに(社内で)三回も引っ越しを経験する私だが、もともとは地に根を下ろしたい性質で、拠り所が欲しかった。専務はいつまで私の前を歩くだろう。「傭兵」の専務は、同じ業界内ながら、製造・企画・販売の三つの世界を股にかけ、自身の頭ひとつを武器に飄々と流し、(今は)サラリーを稼いでる。「社会人になる」と「会社に所属する」が強いイコールで結ばれていた私は、その他の道を考えたこともない。
製造・企画・販売を分断することなくたったふたり(専務と私)でこなし、私はキャリアを積むだろう。「あなたは、いつか、自分で商売を始める人ですよ」と分析する専務には悪いが、実は驚くほどに物欲がない。モノを愛する専務をよそに、「飽和」という言葉さえすでに悲しくて。それでも流れる"商売人の血"が私をどこかに導くなら、私は何を売るだろう。願わくば、人の進行も妨げたくないし、人に妨げてほしくもない。煙草を吸う人がいてもいいし、仮に私が吸うならとめないで。それが現代のニートを生んだ思考法なら、無責任と罵られない方法で。
品川の街を歩きながら「文化祭シーズンだな」と気付いた。そういえばわたしはクラスの出し物の準備の際も、「分担」が嫌で、ぜんぶ、自分でしたかった。
それにしてもカフェイン摂りすぎで候(トイレが近い)。
みなさん、こんにちは。
アサミさんからバトンを回していただいたので、張り切って答えようと思います。たまにはこういうのもいいね。
◆「色々バトン」
アサミさんによると、私のイメージはピンクらしい。理由は、「戦隊モノのピンクっぽいから」とのこと。リアルの知り合いに話したら、「すごくわかる」とのこと。そういえば、マイ携帯もピンクです。あらあら、最近の日記配色もピンクだね。
1、好きな色は?
パッションピンク。←永遠に大好き。
ほかの暖色(赤、オレンジ)も好きです。バーニングハートなので。
2、嫌いな色は?
特にはないけど、緑色は滅多に着ない気がします。
3、自分を動物に例えると
なんでしょう。
おそらく雑食です。繁殖力も強そうです。
盛りの頃に大きな声で鳴くタイプ。
4、自分を食べ物に例えると
冷製料理ではないと思います。
パティシエではなく、素人娘が料理ヘタなのにがんばって作った甘ったるいチョコレート(ちょっと溶けてる)、って感じかも。
5、次の6つの色に合う人を選んでバトンを回してください。
アサミさんとリンクしてる人がかぶりがちな上に、アサミさんの指摘がそこそこ的を射ていると思われるので、ここでとめます。
★アサミさんへ
バトン、ありがとうございました!
いやー、楽しいですね、バトンって。うふふ。
自分ではよくわかりませんが、ピンクは一番好きな色なので、連想していただいて光栄です。ちなみに私のイメージするアサミさんカラーは黄色です。控えめに元気な感じ。
アサミさんからバトンを回していただいたので、張り切って答えようと思います。たまにはこういうのもいいね。
◆「色々バトン」
アサミさんによると、私のイメージはピンクらしい。理由は、「戦隊モノのピンクっぽいから」とのこと。リアルの知り合いに話したら、「すごくわかる」とのこと。そういえば、マイ携帯もピンクです。あらあら、最近の日記配色もピンクだね。
1、好きな色は?
パッションピンク。←永遠に大好き。
ほかの暖色(赤、オレンジ)も好きです。バーニングハートなので。
2、嫌いな色は?
特にはないけど、緑色は滅多に着ない気がします。
3、自分を動物に例えると
なんでしょう。
おそらく雑食です。繁殖力も強そうです。
盛りの頃に大きな声で鳴くタイプ。
4、自分を食べ物に例えると
冷製料理ではないと思います。
パティシエではなく、素人娘が料理ヘタなのにがんばって作った甘ったるいチョコレート(ちょっと溶けてる)、って感じかも。
5、次の6つの色に合う人を選んでバトンを回してください。
アサミさんとリンクしてる人がかぶりがちな上に、アサミさんの指摘がそこそこ的を射ていると思われるので、ここでとめます。
★アサミさんへ
バトン、ありがとうございました!
いやー、楽しいですね、バトンって。うふふ。
自分ではよくわかりませんが、ピンクは一番好きな色なので、連想していただいて光栄です。ちなみに私のイメージするアサミさんカラーは黄色です。控えめに元気な感じ。
紅のながい夜
2006年9月9日23時過ぎに「東京の中心にある知る人ぞ知るバー」へ行く。
何の変哲もないマンション。居住スペースから少し下りた半地下に、金属製の扉がある。それは一見ボイラー室へ通じる扉のよう。押しても引いても開かない。が、横にスライドすると拍子抜けするほどあっさりと道は開かれ、奥に人の気配を感じる。なんと、ここがバーの入り口なのだ。看板さえないし、店構えに関してだけなら「見つけてくれるな」と言わんばかりのふてぶてしさである。人と一緒に三回来た。ひとりで来たのは今日で二回目。
髭を生やした兄ちゃん(新人)が私に聞く。「今日もアマレットでいいですか?」と。はじめてひとりで来た一ヶ月前の夜を、兄ちゃんは覚えてた。「はい」と答えて、今日はアマレットをブランデーで割ってもらう。ウィスキーで割るより少しガーリッシュ。琥珀色の液体のなかでゆらゆら動くボールアイス。「氷がまるい!」と感動した日がちょうど一年前。表面積が小さいから溶けにくいゆえに味が長持ちする、という意味まで今は知るようになったなあ、と。
「今日も、待ってるんですか?」と、髭の兄ちゃんが問う。前回もそうだった。うふふ、と含み笑い(はずかしい)。一杯飲み終わる前に帰ってくるとは思えないから、時計を見ながらもう一杯。アマレットもベイリーズも、ずいぶん甘い。甘い液体は喉にも恋にも効く気がして、ひとりで飲む日はビールじゃないのよねと、私なりのコダワリも今はある。
チェックを終えて、待ち人未だ来ず。
預けてもらった鍵を使って先に部屋に戻る。ベッドの上に着替え(Tシャツと短パン)と、退屈しのぎ用の本二冊。私が来るとわかっていたらしい。彼のTシャツは、洗いたてでも彼の匂い。
まずは着替えて風呂掃除。ひとりだと湯船に浸かるのも面倒くさいのかな、と思いながら壁面をこする。掃除のあとは台所を借りて、バラを一本、一輪挿しに生けてみた。一輪挿しは彼が先月買ったもの。バラは今夜私が買ったもの。少々片づいたとはいえまだまだ物が多い居間に腰をおろし、パソコンデスクにバラを置く。「冷蔵庫に冷えたワインがあるから」というメールを受け、ワイングラスに赤い液を注ぐ。紅いバラに、紅いワイン。
たとえばここが夜景の美しいシティホテルの一室だったなら。遠くにレインボーブリッジを眺めながら、たとえばバカラのグラスで年代物のワインを飲みつつ、一輪ではなく束の薔薇があったなら。そして、待ち人が、いつも早く帰ってきたなら。実際は、北向きのベランダからそんなに遠くまでは見えないし、部屋はスイートルームのようにメンテされてないし、組み立て式のデスクには一輪挿しさえ置く場所に迷うほどのスペースしかない。どれもこれも「恋する女の子の理想」からはほど遠いけど。今は切り貼りされたような時間にしか会えない人の姿を部屋とバラにかさね、「そうだ、私は、お決まりのものよりこういうものが好きだった」と気付き、待つ時間を咀嚼した。
ようやく携帯が鳴ったと思ったら、「雨が降ってきた!悪いけど洗濯物を取り込んでくれない!?」という依頼。うわーそりゃ大変だ!と慌てて立ち上がったら、電話越しなのに「慌てんでいい!慌てんで!ゆっくりでいいから(キミは転ぶから)!」という早めの忠告が(くやしい)。ベランダに出たら、空が薄明るい。午前四時の九月の空は、夜明けを間近に控えて雷雨を抱き、普通の人(夜に寝て朝に起きる人)には想像できない色をしてる。トランクスと靴下ばかりの洗濯物を両手に抱えて部屋に入ったら、玄関が開いた。
おかえり、マイ・ダーリン(はぁと)。
何の変哲もないマンション。居住スペースから少し下りた半地下に、金属製の扉がある。それは一見ボイラー室へ通じる扉のよう。押しても引いても開かない。が、横にスライドすると拍子抜けするほどあっさりと道は開かれ、奥に人の気配を感じる。なんと、ここがバーの入り口なのだ。看板さえないし、店構えに関してだけなら「見つけてくれるな」と言わんばかりのふてぶてしさである。人と一緒に三回来た。ひとりで来たのは今日で二回目。
髭を生やした兄ちゃん(新人)が私に聞く。「今日もアマレットでいいですか?」と。はじめてひとりで来た一ヶ月前の夜を、兄ちゃんは覚えてた。「はい」と答えて、今日はアマレットをブランデーで割ってもらう。ウィスキーで割るより少しガーリッシュ。琥珀色の液体のなかでゆらゆら動くボールアイス。「氷がまるい!」と感動した日がちょうど一年前。表面積が小さいから溶けにくいゆえに味が長持ちする、という意味まで今は知るようになったなあ、と。
「今日も、待ってるんですか?」と、髭の兄ちゃんが問う。前回もそうだった。うふふ、と含み笑い(はずかしい)。一杯飲み終わる前に帰ってくるとは思えないから、時計を見ながらもう一杯。アマレットもベイリーズも、ずいぶん甘い。甘い液体は喉にも恋にも効く気がして、ひとりで飲む日はビールじゃないのよねと、私なりのコダワリも今はある。
チェックを終えて、待ち人未だ来ず。
預けてもらった鍵を使って先に部屋に戻る。ベッドの上に着替え(Tシャツと短パン)と、退屈しのぎ用の本二冊。私が来るとわかっていたらしい。彼のTシャツは、洗いたてでも彼の匂い。
まずは着替えて風呂掃除。ひとりだと湯船に浸かるのも面倒くさいのかな、と思いながら壁面をこする。掃除のあとは台所を借りて、バラを一本、一輪挿しに生けてみた。一輪挿しは彼が先月買ったもの。バラは今夜私が買ったもの。少々片づいたとはいえまだまだ物が多い居間に腰をおろし、パソコンデスクにバラを置く。「冷蔵庫に冷えたワインがあるから」というメールを受け、ワイングラスに赤い液を注ぐ。紅いバラに、紅いワイン。
たとえばここが夜景の美しいシティホテルの一室だったなら。遠くにレインボーブリッジを眺めながら、たとえばバカラのグラスで年代物のワインを飲みつつ、一輪ではなく束の薔薇があったなら。そして、待ち人が、いつも早く帰ってきたなら。実際は、北向きのベランダからそんなに遠くまでは見えないし、部屋はスイートルームのようにメンテされてないし、組み立て式のデスクには一輪挿しさえ置く場所に迷うほどのスペースしかない。どれもこれも「恋する女の子の理想」からはほど遠いけど。今は切り貼りされたような時間にしか会えない人の姿を部屋とバラにかさね、「そうだ、私は、お決まりのものよりこういうものが好きだった」と気付き、待つ時間を咀嚼した。
ようやく携帯が鳴ったと思ったら、「雨が降ってきた!悪いけど洗濯物を取り込んでくれない!?」という依頼。うわーそりゃ大変だ!と慌てて立ち上がったら、電話越しなのに「慌てんでいい!慌てんで!ゆっくりでいいから(キミは転ぶから)!」という早めの忠告が(くやしい)。ベランダに出たら、空が薄明るい。午前四時の九月の空は、夜明けを間近に控えて雷雨を抱き、普通の人(夜に寝て朝に起きる人)には想像できない色をしてる。トランクスと靴下ばかりの洗濯物を両手に抱えて部屋に入ったら、玄関が開いた。
おかえり、マイ・ダーリン(はぁと)。
東京の街で生きて大人になってったって
2006年9月8日大学時代に結成したチームで飲む@新宿三丁目。
(チームについて詳しく知りたい方は、2005年9月25日、2006年1月4日、3月20日の日記をご参照ください。)
何もしない幹事K子に代わり、この私がお店手配。昨今のお店選定に関してはバックに強力なナビゲーターがいると評判の私だが、さも自分が見つけてきたような顔で予約をとってみた。とってみたものの、金曜の終業が遅めの私がやや遅れて到着。すみません。20人も座れないちっちゃな座敷。沖縄料理。
社会人になって集まるのは今回がはじめて。幹事がいつまでも現れないと思ったら、Aっぺの携帯に着信アリ。「じごどがおわだだいどぉ〜」と(リアルに)泣いてたらしい。泣くなよ(笑)。泣いたK子は旅行代理店の営業。我を取り囲むは、百貨店勤務のTK、SEのA香、損保一般職のAっぺ、新聞社で働くH之、銀行勤務のH之’s彼女。はてさて私は何をやっているのやら(自分でもよくわからなくなってきた)。
卒業直前の三月、ぽかぽかの日、カメラに若干精通したTKが一日かけて撮ってくれた写真ができたらしい。全部で500枚以上。それを6等分してかわゆいアルバムに入れてくれていた。学生だった私。すこし髪がみじかい私。あのぽかぽかの日が真空パックされていた。6人がぎゅっとくっついて最後に撮った写真が最後のページに。
たぶんどこだって馴染んでる。そんな私を唯一見透かしたある上司の言葉、「本当は人と話したくないでしょ?」という言葉。いちばん可愛く写る(と思われる)表情、キメ顔。それらを作り続けて写真に写り続けて24年。
こんなにくしゃくしゃに笑った自分の写真を見るのは久しぶり。上司たちが感じているらしい私を包むオーラはなんだろう。なんとなくできた幼稚園時代のおともだちではなく、大きくなってから自分でつくったコミュニティ、大切だったのに消えてしまったコミュニティがある。チアを通じて育んだ女の友情は、あれだけ濃密だったのに(自分のせいで)今の私には通じておらず。大切なコミュニティ、大切な恋人、それらを失って、どん底に落ちて、起きあがって、もういちど作った年齢と所属を越えたコミュニティがひとつ、その人たちと去年の暮れに撮った写真が部屋のデスクに一枚。私が何かを失ったり作ったりしているあいだも、ずーっと、ずーっと、大学入学当初から変わらずあるのがこのコミュニティ。ここで撮った写真がここにある。いつもいつだって写真は嘘がつけないのかな。
23時半に駆けつけた最後のメンバー(幹事)とほぼ入れ違いに、「明日は仕事があるの」と退散したのはこの私。
帰りの電車でもういちどアルバムを見た。MP3のイヤホンを耳につっこんで、ケツメイシの「東京」を聴きながら。私の卒業した大学は東京のやや北にあって、都の西北にある大学の試験に二回も落ちて失意のなか入学した私は、やる気をなくしたり、やさぐれたり。やさぐれなくなったどころか、大学名が刻まれた門前で、うっれしそーな顔で皆と笑う私は、東京の街で生きて、大きくなって、卒業して、大人になって、また東京で働いて、ひとりでせつなくなって、孤独、不安、不確かな明日、こうしてたまに当時の皆で分かち合い。
んー、きっと大丈夫。ねえ?みんなぁ。
(チームについて詳しく知りたい方は、2005年9月25日、2006年1月4日、3月20日の日記をご参照ください。)
何もしない幹事K子に代わり、この私がお店手配。昨今のお店選定に関してはバックに強力なナビゲーターがいると評判の私だが、さも自分が見つけてきたような顔で予約をとってみた。とってみたものの、金曜の終業が遅めの私がやや遅れて到着。すみません。20人も座れないちっちゃな座敷。沖縄料理。
社会人になって集まるのは今回がはじめて。幹事がいつまでも現れないと思ったら、Aっぺの携帯に着信アリ。「じごどがおわだだいどぉ〜」と(リアルに)泣いてたらしい。泣くなよ(笑)。泣いたK子は旅行代理店の営業。我を取り囲むは、百貨店勤務のTK、SEのA香、損保一般職のAっぺ、新聞社で働くH之、銀行勤務のH之’s彼女。はてさて私は何をやっているのやら(自分でもよくわからなくなってきた)。
卒業直前の三月、ぽかぽかの日、カメラに若干精通したTKが一日かけて撮ってくれた写真ができたらしい。全部で500枚以上。それを6等分してかわゆいアルバムに入れてくれていた。学生だった私。すこし髪がみじかい私。あのぽかぽかの日が真空パックされていた。6人がぎゅっとくっついて最後に撮った写真が最後のページに。
たぶんどこだって馴染んでる。そんな私を唯一見透かしたある上司の言葉、「本当は人と話したくないでしょ?」という言葉。いちばん可愛く写る(と思われる)表情、キメ顔。それらを作り続けて写真に写り続けて24年。
こんなにくしゃくしゃに笑った自分の写真を見るのは久しぶり。上司たちが感じているらしい私を包むオーラはなんだろう。なんとなくできた幼稚園時代のおともだちではなく、大きくなってから自分でつくったコミュニティ、大切だったのに消えてしまったコミュニティがある。チアを通じて育んだ女の友情は、あれだけ濃密だったのに(自分のせいで)今の私には通じておらず。大切なコミュニティ、大切な恋人、それらを失って、どん底に落ちて、起きあがって、もういちど作った年齢と所属を越えたコミュニティがひとつ、その人たちと去年の暮れに撮った写真が部屋のデスクに一枚。私が何かを失ったり作ったりしているあいだも、ずーっと、ずーっと、大学入学当初から変わらずあるのがこのコミュニティ。ここで撮った写真がここにある。いつもいつだって写真は嘘がつけないのかな。
23時半に駆けつけた最後のメンバー(幹事)とほぼ入れ違いに、「明日は仕事があるの」と退散したのはこの私。
帰りの電車でもういちどアルバムを見た。MP3のイヤホンを耳につっこんで、ケツメイシの「東京」を聴きながら。私の卒業した大学は東京のやや北にあって、都の西北にある大学の試験に二回も落ちて失意のなか入学した私は、やる気をなくしたり、やさぐれたり。やさぐれなくなったどころか、大学名が刻まれた門前で、うっれしそーな顔で皆と笑う私は、東京の街で生きて、大きくなって、卒業して、大人になって、また東京で働いて、ひとりでせつなくなって、孤独、不安、不確かな明日、こうしてたまに当時の皆で分かち合い。
んー、きっと大丈夫。ねえ?みんなぁ。