too late

2006年3月7日
バイト先にて主婦と激論(は、してないけど)。

我がバイト先は主婦と10代の二極化がめっきり進んでおり、どちらでもない中間管理職のような私は板挟みのトホホ状態。若くして結婚したというGさんと、最近流行中(?)の「スローライフ」について、カップヌードル(BIG・カレー味)を食べながら。

そのGさん。まだ子どもはいないらしいけど、いつか身籠もったときのことを既に考えているそうだ。「こんな東京で子どもを育てるのは可哀相だし、やがては田舎でゆっくりと過ごしたいな、って。」「ほほーん。でも旦那さんの職場は都内でしょ?」「うん。でも、仕事なんてどうにでもなるし。自営業始めたっていいしさ。」などとしゃべくりながら、大好きなカレーヌードルがなんとなく美味しく感じられなくなった。

帰宅後。

脱サラして自営業を始めた父(単身赴任中)と電話でトーク。「今、テレ朝で、鬼嫁のストレスで病気になる夫の特集をやってるから、見た方がイイよ!」「まだ仕事中だっつーの。」などと他愛ない話を。相変わらず忙しそうだ。

ところで、「スローライフ」の本来の意味はどんなもんや? と気になったので、はてなダイアリー検索。「スローライフ = ゆっくり生きようというライフスタイル。自分の人生・生活を自分でコントロールし、他人にコントロールされ急かされて本来の能力を生かせなかったり、意味のない雑用を作り忙しがって他人や自分に言い訳をして見せるばかりで本来やるべきことがおろそかになっていたりするような無駄な人生・生活にはしない、という、積極的なニュアンスで用いられる言葉。」とのこと。

私がGさんとの会話中に感じた違和感を検証。

そもそも「スローライフ」という流行語を意識しないまま「ゆっくり生きるべ。」と決めた人たちがいるなら、それは結構なことだと思うけど。Gさんが必ずしも悪いという意味ではなく(←ここは何度でも強調したい。)、私が抱いた疑問は、都会を出て郊外に引っ込むこと=スローライフ、という図式がそのまま、→幸福、というさらなる図式を描くのかな、ということ。

Gさんは郊外のある土地が好きで、旦那とよく訪れているらしい。「ああ、こんなところで子どもを育てたいな。」と思った気持ちは、おそらく本物だろう(私もいざ結婚したらそう思うのかもしれない)。そうできるならそうすればいいとは思うけど、何も今やっている都会の仕事を辞めなくても、と。誤解してほしくないのは、私は、郊外で第一次産業に携わる人に敬意を抱いているし、人間の根本に立ち返る仕事(都会ではあまり見られない)を否定したいわけではない、ということ。私が思うのは、そういう郊外での仕事も必要だし、都会での雑多(と、思われがち)な仕事だって今の時代には必要だ、ということ。

「スローライフ」を信奉している人たち(Gさんがそうだとは言い切れないけど)は、「都会=悪」みたいに語ることが多いけど。「スローライフ」が、本来の「自分の人生・生活を自分でコントロール」という意味ならば、都会でもやればいいと思う。余談だが、私は郊外に出るととても落ち着くし、ゴミゴミした地域に馴染めない嫌いはあるが、それでも都会を全否定したくないな、と思っている。わー、忙しいぞー、でもあれもこれもあって、なんだかよくわからないけど楽しいぞー!というファーストライフも悪くないような。

ぽん、と神から渡された自分の状況を、「これじゃアカン!」とムリヤリ変えるより(ま、それくらいの強い決断を迫られる場合もあるが)、とりあえずその中でできる精一杯のことを、柔軟に、臨機応変に、「ま、悪くないよ。」と笑いつつできる人が好きだなあ、と思った3月7日の日記。

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その他、備忘と雑感。

●和小物購入。
袴(卒業式用)なんて適当でいいっぺよ、と、一番安い袴にしたのに。諸々の事情から、チミ、少し気合いを入れた方がいいのでは、という進言に従うこととなる。お花のついたかんざし(¥2,980×1)購入。
着物売り場で思ったこと。洋服より着物が似合う、という人は現代では損だよな。特に、男性。

●村上春樹の『風の歌を聴け』(講談社文庫)を読む。

●化粧が上手くなればなるほど素顔とのギャップが発生する、という、このジレンマをどうにかしてくれ。

●晩酌に思う。
ビールを美味しいと思う前は、いつか苦みを感じなくなるのだろうと思っていた。美味しいと思うようになっても、やっぱり苦い。酒の味がわかる歳になるとは、つまり、一見何の取り柄もない事柄にも自分なりに意味づけできる能力を持つことじゃないかな。

んー、ほろ酔い(最近、酒量が増えたような)。

春のBrush up

2006年3月6日
何かと忙しい月曜日。


●料理教室にて。
本日のレシピは、担々麺と、海老の入った蒸し餃子。

アジアン料理を作る度に思うのは、家に無い調味料ばかり使うなあ、ということ。担々麺ひとつ作るにしても、芝麻醤、甜麺醤、豆板醤、紹興酒、赤みそが必要だ。今日は使わなかったが、韓国料理用にオイスターソースとコチュジャンも欲しい。東南アジア風の場合、ナンプラーは欠かせない。とりあえず、担々麺は作れない。誰か「アジアン料理用調味料セット」をくれぃ。

最近考えているのは、エプロンをコレクションしようかな、ということ。腰に巻くだけの短めタイプと、若奥様風フリルタイプと、古き日本の母風割烹着タイプ、など。お料理するのがさらに楽しくなりそうだ。

<せいろを使った海老の蒸し餃子>
えびを下処理して、粗みじん切りに。軽く叩いた後ボウルに入れて、塩少々、ラードを入れ、粘りが出るまでよく混ぜる。砂糖、白こしょう少々、ゴマ油を加え、さらに練る。ここで片栗粉を加え、均一になるまで混ぜる。
 ↓
水煮の筍を熱湯で下茹でし、みじん切りにして、先ほどのボウルに。
 ↓
せいろの中で温めておいたボウルの中に浮き粉、片栗粉、熱湯を加え、一気に混ぜる。ある程度まとまったら、台の上でこねる。均一になったら、少しずつとって、うすーくのばし、餃子の皮のように。その上にえびあんを乗せて、三日月型に成形。生地が乾燥しやすいのでこまめにラップに包むこと。
 ↓
クッキングシートを敷いたせいろに並べ、強火で5〜6分蒸す。出来上がったら、酢醤油で。



●買い出し三昧。
元々持ち物が少ないので、春に向けて、本当に(んもう、本当に)必要な物が多い。本日の戦利品↓

・フルラのバッグ(←通勤用に。イタリアで買えばよかった…。)
・ソフィアコレクションのベージュパンプス(←ヒールが高いのに安定!)
・ICBのセットアップスーツ(←取り置き中。)
・某百貨店のクレジットカード

初任給が待ち遠しい。



●キャラと体型の問題。
ef−deや、pridegride(可愛い系)の服をこよなく愛する私だが、マネキンが着ていると可愛いのに、いざ試着するとイマイチだ。ので、好きなのにあまり買っていない。というのも、やはり、私のキャラ(可愛い系ではないと思う)に合っていないという問題が大きい。さらに、「体型に合ったブランド」というのも多分あって、あそこは肩がコンパクトかつ薄い胸板の人に適したカットソーやニットが多い。

やめた。



●素材とメーカーについて。
今まではデザイン性ばかりに目がいっていたけど、この歳になると、「質」にこだわらないとみっともない。売り場に入る前から「質<デザイン性」を感じてしまうブランドも、たしかにある。どこが作っているかわからないまま適当に買っていても、あとでメーカーを調べてみると、結構、同じだったりする。個人的に、フ●ンドルは今ひとつ。気が付くと、オンワー●樫山ばかり買っている。ワー●ドももう少し見てみようかねえ。

特にスーツは、質、外せない。



●靴磨き雑感。
おととし買った上質のブーツと、リクルートシューズをケア。「質」にこだわるなら、こういうメンテナンスもこれからは頻繁にしないとなあ。衣類を、きちんと、丁寧に、大切に、ケアしつつ使っている人は好感が持てる。心に余裕がある証拠だ。靴を見ると人柄がわかるとは言うけど、本当にその通りだと思う。







身辺整理が着々と。古いことを理由に切り捨てるのは苦手だけど、嫌な自分と忘れたい過去を、捨てるのではなく、整理したい。

充電日

2006年3月5日
マイ・ラヴァーと豚しゃぶ@恵比寿。

休日なのにウンウンと企画を練る彼を待つ間、自宅にて待機。時間があるし、と、買ったばかりの雑誌を見ながら洋服のコーディネート。本日は、久々のぽかぽか陽気。パリの露店で買ったチェリーピンクのパシュミナを巻いて、ブーツは中止。ファーがついたダウンジャケットは、フードを外して身軽に春っぽく。コーディネートは、こうでねーと。

夕刻、デイトstart。

笑われるかもしれないが、半年経つ今になっても待ち合わせは緊張する。自分が早く着いた日は、どっちから現れるんだろう、と常にドキドキ。向こうが先に着くと、駅の改札を出た瞬間に不意打ちのように射抜かれるので、それも困る。どちらの日にも共通するのは、会えて嬉しいはずなのに顔を直視できないこと。「えー、本日はお日柄も良く…。」と、目の前の空間にのの字を書きたくなる。

本日のお店は、素材となる豚肉(山形県・庄内特産)にかなりこだわっているらしい。鰹ダシベースの付けダレに、柚胡椒、ゴマ油、ネギを加えて頂くスタイル。脂肪のやや多いバラしゃぶと、さっぱりしたモモしゃぶを、一人前ずつ。「しゃぶしゃぶ屋」というより、「豚肉料理屋」といった趣向のこの店。ほかのメニューも充実しており、ミミガーを塩ダレ・ネギ乗せで食したり、臭みのほとんどないプリプリのハツを串焼きで堪能したり。ンマ!

箸を(私の方は)一切休ませず、会話もあっちこっちへ。

来月から始まる私の仕事の話、彼の仕事の話、エビスビールは旨いという話、過去のバレンタインにまつわるビターな話、高校時代は(今も?)斜に構えてたという彼の話、長澤まさみにはぜひ自ら告白をしてほしいというアホな話、などなど。

〆は、豚肉のダシが残った鍋にラーメンを入れてもらい、余ったタレに付けて。「ラーメンは一人前でよかったね。」「ラーメンは二人前だと多いね。」「うーん。ラーメン、多い。」「ラーメン、全然減らないね。」と、もうわかったよ、と突っ込みたくなるほどに繰り返すマイ・ラヴァー。彼氏よりいっぱい食べるヒズ・ラヴァー。まだまだイケるぜ酒も肉も、という持ち主も呆れかえる胃袋を持つ私を、心の奥底で彼はどう思っていることやら。

その後、彼の家にて、いただきもののコーヒーをズズー、と。

コーヒーを淹れるのは私の役目。グラインダーのスイッチをいそいそとON。タイ産のコーヒーなのでせっかくの風味が生かされるように、と粗挽きに。某シアトル系カフェで買ったプレスにお湯を張り、タイのコーヒーと初・謁見。さすが東南アジア産、酸味がほとんど無い(私好み)。コクがあるのに後味スッキリ、というありそうでない絶妙なバランス。珍しい(と思われる)乾燥式加工の豆なのか、香ばしい大地の香りがダイレクトに漂う。「食べたい。」と言っちゃいかんとわかっていたのに「食べたい。」と言ってしまった、彼がもらったはずのバレンタインチョコもお茶請けに。「これは日本のチョコかなー?」「タイのチョコかもねー。」「なんにせよ、ウマイ。」「とりあえず、この袋が可愛いね。何かに利用した方がいいよ。」「うーん…俺には思いつかん。」などと言いながら、散らかった部屋の中心でエレガントなコーヒータイムを過ごす。

決して広くはないワンルームにて、考えたことが少々。

海外旅行に行きたいと思う動機は色々あれど、おそらく共通するのは、異国へのなんだかよくわからない憧れだと思われる。見たことがないものを見たい、触れたい、聞きたい、という強いエネルギーが、人を旅立たせる。そして、一度でも海外に出てわかったことは、そのエネルギーはもちろん私の中にもある、ということ。ただ、それは、必ずしも「旅行」という形をとって叶えてやる必要はない、と。

マイ・ラヴァーは(わ、私にとっては)不思議な瞳の持ち主だ。目が離れているというほどではないのに、焦点が合っていないような視線を放つときがある。以前、本人に確認したところ、たしかにそういう(焦点が合わない)傾向は若干ある、とのことで、私はそれ以来「ああ。」と思っている。彼が伏せていた目を上げて私を見るとき、私の向こうの遙か彼方の空間を見ている、と思う一瞬がある。その瞬間の瞳は、人が遠い異国へ思いを馳せるときに抱く何かと同じ匂いを漂わせながら、私を捉える。そのことにふと気づくと、ここがたとえ日本であれ、狭いワンルームであれ、自分がまるで遠い国へ連れ去られたようなふわふわとした気持ちになり…

…つつも、本日はイイコなので、オウチに帰る。

帰りの電車で平井堅(「君が僕に憑依した!!」)を聴く。

取り憑いちゃっているんだ キミが 四六時中僕の中に
棲みついているんだ 寝ても醒めても キミに夢中さ
掻きむしるんだ 寝ても醒めても キミが好きさ





今日も、絶好調です。
家族サービス強化週間につき、母と外出。某百貨店へ。

新生活に向けてあれやこれやと買うものがあるので、相談しつつ。辛口の(というか、真実しか言わない)母と売り場を回ると、自分のことがよくわかる。「これ可愛い!」「あんたはすぐ汚すから白いのは駄目。」「これ素敵じゃない?」「あんたは首が短いから襟元の詰まったデザインはやめなさい。」「じゃあ、これは?」「男受けが悪そうねー。」「これならいいでしょ?」「似合わないわよ。」などなど、親子の絆をいいことに言いたい放題である。

お目当ては、通勤用のバッグ。第一候補は、FURLAのバックル付きトート。ドレスコードはゆるめの我が社。むしろ少しこなれてないといかん、くらいの圧力が感じられるので、たとえバッグといえども慎重に。「おかあさん、チョコレート色は嫌いだわ。」と渋る母。いや、私のだから(自分も使う気か?)。

来たついでに、と、ルイ・ヴィトンやシャネルなど高級ブランドが軒を連ねるフロアも冷やかしてみる。

二人とも(パッと見は)ゴージャスっぽくコーディネートしてきたので、恐れず、たゆまず、ズンズン進む。いかにもなブランドを好まない母子は、MARELLAにて物色。一目惚れしたバッグは、淡いベージュの仔牛皮仕様。「13万円?安いわねえ。」「ほんと。お手頃価格ね。買っちゃおうかしらん。」「ダディには内緒でね、おっほっほ。」と、"セレブ母子ごっこ"をしばし楽しむ。現実問題としてかなり気に入ったのだが、到底手が出ない。「これを購入する方法がひとつだけあるわ。」と母。「そんなのあるの?」と私。耳元でゴニョゴニョと衝撃の購入方法を聞かされ、いや無理だ、いけるって、と、閑静なブティック内でしばし揉み合う。

その後、指輪のリフォームを頼んでいたという母に付き添い、貴金属売り場へ。

父が浮気したお詫び(笑)に買ってもらったという呪われた指輪が、約10年振りに輝きを取り戻す。デザイン自体は古いけど、宝石はいつまでも美しいから、将来はこれをアナタ用の洒落たデザインリングにリフォームしたらいいわ、と母。高級ブティックで高い服を買っても、さすがに数十年は着回せない。宝石だったらいいね。でもそんないわく付きの指輪はやーよ、マイ・マザー。

歩き回ってぐったりの母子。夕飯を作る気が共に失せたので、近所の安い中華料理屋にてやや早めのディナー。

こうして親子二人向かい合っていると、色々なことを思い出す。父が家を空けがちだった頃、母と二人でゴハンを食べてた頃を。マイ・マザーと同じように旦那が女を作ってしまったという母の同級生の話あれこれを聞きながら、考えたことがある。旦那が帰りたくなるような家をどうにかして作れなかったのかな、と。夫婦の問題は夫婦の数だけ、というから例外はあるとはいえ、どちらかが100%悪いというパターンが果たして現実にあるのかな。誰かが自分を選んでくれなかったとき、どうしても相手を責める気になれず、そうなってしまった原因は選ばれないような自分にある、という思考パターンは、やはり、不幸の螺旋を描くだけなのかな。

そんなこんなで、本日の戦利品。

プライベート・レーベルのハンカチ×1。¥525ナリ。

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諸々雑感。財テク編。

●「LOVE定額」が気になる。入りたい。入れない。

●クレジットカードダブル使い計画。
合算されるセゾンの永久不滅ポイントがオイシイ。海外旅行にお得なセゾン・アメリカンエキスプレスカードと、百貨店の商品券になるセゾン・クラブオンカード(もしくはそごうミレニアムカード)を併用する作戦で、賢くポイントゲット計画!

●新生活グッズ購入計画。
通勤用バッグ、春色スーツ、ベーシックパンプス、は絶対に買わねば。というわけで、「最近のトレンドはどうなってるんや?」をチェックするために、雑誌を比較検討。少しでも安く買いたい。出版社を受けるとき以上に熟読。

『MORE』を初購入。 … ドレスコードの(ほぼ)無い我が社とはいえ、一年目にしてはちとカジュアル過ぎる気が。でも「こなれ感」漂う着こなしのために必読だな。オフはこっち系でいこう。

『CLASSY』も初購入。 … もっとも実践的。これは使えそうだ。あくまで「ファッション」を重視したページ構成がイイ。ちょい年齢層高め? 老け顔と言われるから、ちょうどいいか。

『CanCam』(やっぱり) … 実家に帰ったようで落ち着く。読み物ページも多い(その分重いけど)。が。モデルが着るから許されるんだろう…というエビちゃんCDは、あまり実践的じゃないな。全部を真似したらえらいことになりそうだ。



その他雑感。

●大学から衝撃&嬉しい連絡が。四年間の努力が報われた。少しは親孝行になったようだ。

今夜も相殺

2006年3月3日
パワー不足の金曜日(←毎週のこと)。

バイト先にて。長蛇の列。増える万券。ピークタイムに対応できずキレだす店長。キレてどーする、アナタの店じゃ。「のーみそ、バーーーン!」と叫びながらテケテンテンテン…と逃げ出したくなるような状況を、まさにギリギリのラインで乗り越え、昼過ぎに退勤。トイレで鏡を確認したら、なんと、髪にホイップクリーム。ほっぺたにはチョコレートソース。私、美味しそう。誰か召しませ。どうしてみんな注意してくれないのだ。

携帯の機種変更に伴い、メールアドレスもリニューアル。

というわけで、行き帰りの電車の中で「メアド変えましたメール」を打ちまくり。数年ぶりに連絡をとる友人も多くいて、「久しぶり!」と返ってくるだけで嬉しい。節目にメアドを変えるのは悪くない。「グループ/地元」の衆は皆働いており、社会人は大変だ、辛い、ううう、という脅しを四方八方から受ける。3月中に会っておきたい友人がかなりいることが判明。最後の一ヶ月は忙しくなりそうだ。存分に脅されてこよう。

帰宅後。

やや(かなり?)アルコールが入った方から give me a call at midnight.

ハードワークゆえ脳みそが凝固しちゃったらしい彼の話を、そっかー、そっかー、と聞きながら、「優しさ」について考えてみる午前二時。

この世には「優しい人」と「優しくない人」の二種類がいると思っていた頃、私は、自分の優しくない部分を発見するたびに「優しくない人」と思われるのが嫌だった。最近思うのは、そんなにシンプルな話じゃなかったんだなあ、ということ。私は優しさ100%で出来ているわけではないし、同時に、冷たさ100%で出来ているわけでもない。

そして、私の中の優しい部分が多く顔を出すとき。それは私の努力の問題というより、「人を優しくさせる才能のある人」の存在が大きい。「優しさ」は能動的な行為から生まれるときもあるけど、むしろ、「人を優しくさせる才能のある人」が勝手に引き出してくれるものなのかもしれない。「人を優しくさせる才能のある人」は(たぶん)いつも誰かの優しさを浴びているから、ますます健やかになって、周りの人をさらに優しくする核のような存在になる。

「やってられねーぜ!」という状況が誰にも等しくあるとするなら、その感情自体が発生することは悪くない(と、思う)。人よりハードな労働をする人は、その分「やってられねーぜ!」の感情も大きくなるのだと思うけど、同じだけのハッピーパワーで相殺すれば、結局、ゼロになる。たとえば、私の金曜日がどれだけブルーなものであっても、深夜にたった一本電話があるだけで、嫌なことは全部吹っ飛ぶように。相殺が困難な「やってられねーぜ!」感情をいつでもぶっとばせるようなハッピーパワーは、私の体内で製造できるpossibilityを果たして秘めているのかな。そのハッピーパワー製造の原理を考えているうちに、私は、限られた資源からより良いものを造り出そうとするこの行為が、いつか持ちたいと思う「慈愛」へのとっかかりになれば良いのに、と思った。

さてさて、島谷ひとみベスト(『Delicious!』)でも聴きながら、寝るとしよう。

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その他雑感。

●逃れ難いミクシィの魔の手。
今週に入ってから10回は誘われている。大抵は「うふふ。」とかわす。そこそこ親しい人なら「ブログを既に持ってるので。」と断ることにしている。新規にコミュニティを作るからやろうよ、ここ(DiaryNote)と繋げればいいじゃん、と言われる。今日もバイト先で言われた。

こんなノロケ日記をそう易々と公開できるか!!

と思ったけど言わなかった。かといってミクシィ内で新たに日記を持つ、というのも面倒くさい。こっちの当たり障りない部分だけをコピー&ペースト、というのも考えたけど、DiaryNoteには愛着があるし、本妻がいるのに愛人を囲うようで気分が優れない。

ノロケをやめるのが一番早いのでは? 

という気がしてきた。


●小嶋社長(byヒューザー)の地下鉄スキャンダルに関して。
新聞・TVニュース・社会派ブログなど、どんなメディアに触れても滅多なことでは熱くならない私だが、このスクープを聞いた時はさすがに腰がくだけた。現在置かれている社会的立場がどうの、というより、イイ歳(52)してどうしちゃったの、という気持ちが強い。

3月2日の読書メモ

2006年3月2日
山口瞳の『勤め人 ここが「心得遣い」』(小学館文庫)、読了。

「新入社員諸君!おめでとう!さあ、人生は大変なんだ!」というフレーズが130回くらい出てくるという、まさに、"人生の先輩"による新入社員のための本。というわけで、コレは私のための本なのだ。と思って読み始めたはいいのだが。

「ネクタイの選び方」(ハイヒールの選び方とかは無いの?)、「嫁の探し方」(婿の探し方は教えてくれないの?)、「ホステスとの付き合い方」(ホステスのいる店には行く機会が無さそうだ)、などなど、どうも、ひとくくりに新入社員向けというよりは、新しく社会人になる男性向け、という気がした。著者の山口氏は1926年生まれということで、「うーん、"勤め人"とはコレすなわちサラリーマンのことだったんだなあ。」と思ったり。

無意識レベルで(もしかしたら意識的かもしれないけど)女性を排除したこういう本を読んだからといって、「女性蔑視だ!」といちいち目くじらを立てるつもりはこれっぽっちも無い。が、「(ホステスに対して)しょせん女だから仕方ない。」とか「女にわかってたまるか。」というフレーズが多くなってくると、良い気持ちにはならない。会社に勤めるということが男性に適した行為だと仮定するなら(あくまでも仮定、ね。)、女性に適した何かが別にあるということで、当然、同じように、「男にわかってたまるか。」というシーンが出てくるはずだ。が、「男にわかってたまるか。」という台詞を自分が吐くところを想像するとなんともいえない気持ちになるし、つまり、私は、男性女性がどうこうというより、単にこういう表現があまり好きになれないのだと思う。

さらに。

著者はもちろんサラリーマン経験があるということで、発する一言一言に重みが感じられる。色々と苦労しつつ自力で導き出した「こうあるべきだ。」という理論だろう。が、「そんなに力強く断言しちゃっていいの?」という気はする。例外はいつだってあるだろうに、例外を差し挟む余地も無い、と言わんばかりの潔い断定っぷりだ。その分、ピタリとはまる場合はものすごい説得力を伴うのだろうが、「勤め人の現実はそこまでシンプルなのかな?」という気が、(まだ働いてないけど)なんとなーく、する。

そうはいっても、そんな中から何の学ぶべきことも見つけられなかったら私は愚か者と言われても仕方ないので、最初は(そう、最初は。そういう気持ちが大事だと著者は言いたいに違いない。)、馬鹿正直に、この本から私の現実に適用できそうなエキスを抽出しようと思う。

著者いわく。

一、自分が間違っていると思ったらすぐに訂正したまえ!(ハイ!)
二、心に理想を抱く人間になれ!(ハイ!)
三、大企業でも中小企業でも、誠心誠意でこつこつやりたまえ!(ハイ!)
四、何事も、あわてず、おそれず!(ハイ!)
五、品行は少しぐらい悪くてもいいが、品性は良く保つべきだ!(ハイ!)
六、苦しみつつ、なお働け、安住を求めるな、この世は巡礼だ!(ハイ!)
七、酒は愉快に飲め!終電で帰れ、タクシーに乗るな!(ハイ!)
八、わからないときは「わかりません。」と言え!(ハイ!)

ほかにも色々あるが、私が、グッ、ときたのは以上のフレーズだ。とりあえず、覚えておこう。今春以降、再読し、私はどんな感想を抱くだろうか。

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以下、うねうねと。

●ケータイ、機種変更。
一年振り。ピンクで愛らしく春っぽい。新生活向け(と勝手に思っている)。ケータイは通話とメールさえできれば何でもいい、というタチなので、一番安いものを。
最近ようやく気づいたが、私は、結構かわいいモノ好きらしい。色を選べ、と言われたら、大抵はピンクを選ぶ。ハートモチーフが好きだし。キャラクター物は持たない主義だし、あくまでもクールビューティを目指しているつもりなので、あまり気づいていなかった。普段は知的かつクールで意外に乙女、というギャップを狙いたいのか、自分よ。
…と、書類にサインしながら思った。

●ウィスキー(自分用)を買ってみようかと思案中。真夜中の発泡酒は寒々しい。

●甘いぞ、と言われることは承知の上で。
考えなくてもいいような抽象的なことばかり考えてしまう。それもこれも、時間が有り余っているせいだ。そんな状態も僅かあと一ヶ月なのだが、就職したら目の前の新しい仕事に追われて、「すぐに役に立たないこと」を考える暇は無いだろう。それでも、きっと、すぐに考えなくてはいけないこと(仕事に関すること)を考えながらもふと考えてしまう役に立たないこと、そういう中に私の求めるものはあるのではないか、という気がしてならない。

●大阪で働くお友達(女性)と、「可愛い女がなんだ!」「巨乳がなんだ!」という話題で、大いに盛り上がる。

●嗜好の変化。
最近、ひしひしと感じる。パスタを食べるなら絶対トマトソースだったのに、カルボナーラもいいよな、などと、保守的な姿勢が崩れてきている。

バトン二連発

2006年3月1日
まずは一発目。「言葉バトン」。ありがたく受け取ります。


●好きな言葉は?

「働かざる者、喰うべからず。」

働く=会社に所属して、喰う=食べ物を口に入れる、という厳密な意味に限定せず。

「こうなればいいな。」と思うとき、自分は何もしないで向こうからやってくる、というラッキーな展開は少ない(と思われる)。だから、私は、好きになったら自分から「好き。」と言いたいし、駆け引きめいた行動で相手の「好き。」を誘導したところで、自分から表現せずに相手のそれは得られない、と思っている。まあ、恋愛に関しての話に限らず、ではあるが。


●あなたの口癖は?

「ありがとう。」

を口癖にしたい、と思ってはいるが。


●あなたにとって最大の褒め言葉は?

「凛としている」

まだ言われたことは無いが。


●普段は出来るだけ使わないようにしている言葉は?

「うるせー」「やべー」「いてー」

などの荒い言葉。咄嗟に出てしまいそうになるのでね。
あとは、排泄系下ネタの単語をダイレクトに言わないようにはしている。


●最近、言われて1番腹の立った言葉は?

「調子に乗るな。」

最近に限らず、腹が立つというよりは悲しい。


●1度言ってみたいがキッカケが無かったり、何らかの理由でまだ言ったことのない言葉は?

「今日は、私が。」(お会計の場で。)

そのうち、ね。


●普段何気なく使ったりするけど実は意味を理解していない言葉は?

「○○○○○。」

いや、何気なく使ったことは一度も無いけど(その場その場では真剣だから)、これからゆっくり時間をかけて本当の意味を理解していきたい、という意味で。


●普段の生活において思ったことの何%くらいを実際に言葉に出してる?

明確に数値化はできないけど、だんだん口に出す量は減ってきている。


●面と向かっては言えないけど、メールでなら書けるってどんなこと?

メールで書けることは、面と向かっても言える。


●プロポーズとして言いたいor言われたい言葉は?

内緒。


●人生において「ありがとう」と言った数と言われた数どっちが多かったと思う?

言った数。


●現時点で最後に発した言葉は?

「おやすみ。明日は昼過ぎに帰るよ。」(母に対して。)


●あなたにとって言葉とは?

道具。

それ以下でもそれ以上でもない、という状態が理想。


●バトンを受け取って欲しい人

道化さま 

言葉に対しての思いがありそうなので。お忙しいようなので、スルーしていただいてもまったく問題ありません。

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二発目。「見ちゃった人は全員やるバトン」。見ちゃったので、やろう。


●モテたと思う時期はいつ?

しょっぱなから答えにくい。

あくまで「自分の中で」なら、恋人と別れた直後、が多い。


●似てると言われたことのある芸能人は?

誰にも似ていないそうだ。

ZONEのヴォーカルに似ていると言われた時期があるが、単に髪型と髪色のせいだったと思われる。


●恋人を選ぶポイントは?

またしても答えにくい。

男としてよりも、人としてリスペクトできるかどうかは大事だな、と(現段階では)思っている。


●ここぞという時の香水や服装がありますか?

香水はひとつしか持っていない。服装もシーズンによるし。

あればいいねえ。


●告白されたことがありますか?あれば何人?

あるにはあるけど、ここには書かないでおこう。


●わざとデートに遅れて行ったことがありますか?

そんな発想は無かったな(笑)。いつも遅刻しないように必死。

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雨が降ると、考えなくていいことを考えてしまう時間が増えるような。

春が待ち遠しい。
プチOG訪問を受ける。

まだ働いてもいないし、それ以前に卒業すらしていないのだが。とにもかくにも話が聞きたいとのことなので、友達のツテでやってきた少女A(21)に邂逅。好印象。私が面接官なら、第一印象で×をつけるタイプではないな、などとエラそーなことを思う。

繰り返すようだが、何しろまだ実際に働いていないので、自分が就職を決めた業界についてのなんやかやに関しては黙秘権を行使。コチラから気を遣って話題を振らなければいけないような状況にもならなかったので、うんうん、なるほどなるほど、あーわかるわ、私の場合はね、ってな感じで、「自分の身に実際に起こったこと」を中心に。

どうやらまだあまり面接を経験していないようで、手探りの段階らしい。そんなときに「正しい面接とは!?」をいくら考えても詮無いような。かといって「ま、やりながら考えていきなよ。」と匙を投げるのはあんまりなので、そうだな、とわかりやすい(と自分では思っている)例を提示。

たとえば、一度もキスをしたことが無いのに上手なキスの仕方を考えても限界があるでしょ、と。そりゃ、シミュレーションをして無駄になることはないとは思うけど、初めてキスをした瞬間の「うわっ!!」という感触は到底想像できるものではないし(私の場合だが)。そして、綿密なシミュレーションを重ねたからといって、「こういうシチュエーションで、こういう場所で、こういう風に体を傾けて…」といった想像を行使できるかといえば、そううまくはいかない。なぜなら、キスにおいても面接においても、相手の出方次第だから。

もうひとつ。「自己アピールは具体的に、ってよく言うけど、なかなか…。」という件に関して。

たとえば、恋人と喧嘩したときに。「私、アナタに、あんなに優しくしてあげたのに!」といくら罵っても説得力が無い。「あのときは看病をしてあげた、あのときは部屋を暖めておいてあげた、あのときは待っててあげた。」と言ってあげた方が、相手も「そうだった!」と思うでしょう。(余談だが、もし恋人と喧嘩した際にいちいちこうやって恩をきせたら、割とサイアクだよね笑。)

恋バナを例に就職活動のアドバイスをされるなんて、少女Aもまさか予想していなかったことだろうが、果たして今日の私とのティー・タイムが役に立ったのかどうなのかは、彼女と神のみぞ知る、ってところか。

待ち合わせの最中に、たまごの私がたまごになる前に教わったことを思い出す。

初対面同士(もしくは大して親しくない)の邂逅に際して、どのようにリードすべきか、ということ。私をたまごにしてくれたあの人たちは、いつも、たまご未満が想像すらしていないタイミングで丁寧な気遣いを見せた。たまご未満の繰り出す無礼な行いにもおそらく気づかないフリをしながら。私をたまごにしてくれたあの人たちも、彼らがたまごになる前に、彼らにとってのニワトリのような人物を見ていたのだと思う。





その他、備忘と雑感。

●卒業、決まる。

●慈愛について。
それなりに熟成したものを現在進行形で愛すのは結構なことだが、じゃあ、それが熟成をする以前のものをないがしろにしていいのか、と。女の扱いにすっかり慣れて、お金も持ってて、仕事もデキて、って人を好きになりたいなら、女をよく知る前の、お金も持ってなくて、仕事もしたことがなくて…って人を愛せる位の度量を持っていないと、熟成した人には愛してもらえない気がする。唐突ではあるが。

●可愛い女(もしくは綺麗な女)がなんぼのもんじゃい。

●山口瞳の『勤め人 ここが「心得遣い」』(小学館文庫)を読む。

●発泡酒をちょいと飲み過ぎた。

●バイトとはいっても。
うわー○時までにコレをしないとッ!と思ってやろうとしているのに、狙いすましたかのように厄介で複雑なオーダーが入ったり、電話が鳴ったり、皿をひっくり返したり、ひょえー、きゃー、とそれに対処している間にやろうとしていたことはキレイさっぱり忘れて、後で上司に指摘され「あわわわわ、急いでヤリマス!!」という羽目になる。社会人の言う「忙しい。」という状況は、もしや、こういうときに迅速にスマートに着実に誠意を持って対応しなくてはいけない、ということ?とても恐ろしい。

●大塚愛の『LOVE PUNCH』を聴きながら、踊りまくる(←酔っぱらってます)。

再定義

2006年2月27日
スピッツ(携帯アラーム)を聴きながら目覚める月曜日。

「目覚め」は「起床」と違う。いつまでもぐずぐずしているのは、一人でも二人でも同じ。誰でもそうだとは思うが、私は寝覚めのこのひとときをとても愛している。一人のときは、もう少し惰眠を貪っていたいという純粋な睡眠欲に従う。二人のときは、「私の方が身支度に時間がかかるからなあ…。」という使命感に駆られるが、後ろ髪引かれることには変わりない。もう少し寝たいというものとはちと違う思いからだが、ま、ソレはソレとしてget up。

朦朧とした頭で洗面所にたどり着くのは、なかなか大変。というのも、ベッドから一歩足を降ろした瞬間、罠のように散らばっている雑誌の表紙を踏んで転倒する危険がある。灰皿代わりの空き缶に蹴つまづけば、中の吸い殻がこぼれて大惨事になるだろう。物と物の隙間を浮き石を渡るように慎重に移動。踏んではいけない。何しろ、一見したところすべて捨てて平気なもののように見えるのだが、一つ一つ検証すると商売道具だったり資料だったり、という可能性もなくはないのだから。朝からスリル満点。

しゃこしゃこと歯を磨きながら、お湯なぞ沸かす。

鼻歌まじりに流しを片付けていたら、足をうっかりキッチン周りの本(だかなんだかもはやよくわからないけど、なんだろう、色々溜まってる何か)の山にぶつけてしまい、絶妙な安定を保っていたそれが倒れそうになる。あわわわわわわわわっ、はしっ!(←手で押さえた音。)崩れて大きな音がしたら寝ている家主にバレてしまうので、ここでもスリル満点の時間を味わう。この家はジェンガか。

身支度を終え、コーヒーを淹れて、起きて起きて、と居間に戻る。アラームはもう3回は鳴っている(スヌーズ)。「じゃあ、あと3分で、本当に起きる…。だから、3分後に目覚ましをセットする。えーと、今は8分だから、11分に…。では、しばし、おやすみ…。」とのたまう。それだけの精密な作業をした上でなお欲す3分に、貴男は何を求める?

動き始めた街の気配を感じられる部屋の中で。

ごくごく一般論として。人のささやかな親切になかなか気づかない上に、いざ自分が動くときはこれみよがしな行為をしがちな女がいる。そして、これみよがしは良くないと少しだけ理解して実践できるようになっても、ささやかたるそれに気づいてほしいと思う。そして、人の「気づいているよ。」というリアクションを待っている自分にハタと気づく。そういうとき、その女は、謙虚さというものが本来は自分勝手な傲慢さに裏付けられている、というある人の語り口を思い出す。謙虚さを差し出しておいて実は何かを得ようとするその姿勢を、どうにかして自分の中から追い出したいと願うとき、女は、大学生活を捧げて端っこ位は理解できたのでは、と思いこんでいた「愛」の再定義をしたくなる。

自分の何もかもをさらけ出して、良いところも悪いところもひっくるめて好きだと思ってもらうことこそ尊い、むしろ親しい間柄だからこそ悪いところを見せるべきだとさえ、その女は思っていた。悪いところを少しでも見つけた瞬間に興ざめする人はどうかと思うが、その悪いところだって「さあ、見ろ!」とばかりに突き出されるのと、「隠そうとしたけど隠しきれなかった…。」という部分だけにとどまるのとじゃ、性質が違う。いつだって能動的な姿勢からは生まれないものがある。やむをえず出てしまう排泄物のような「悪いところ」を受けとめてもらえるなら、という、受動的な状態を維持すること。愛し愛されるとは、そういうことなのかな。「愛」とは、何かをがむしゃらに得ようとする「プロセス」ではなく、後から名前をつけたらたまたま愛になっていた、という位に静かな「結果」なのかもしれない。

3分後に悲しそうな顔をしつつ起き出した男性を、インスタントコーヒーをすすりながら観察。本日はお勤めの日。のそのそ、バタン、バシャバシャ、という音を立てた数分の後、クリーニング済みの清潔なYシャツと、月曜っぽい(?)明るめのネクタイを締めれば、さっきまでとは別人になるのだから、驚きだ。「デキそうなサラリーマン」はよく見るけど、信頼できそうなものにさえ表と裏はある、という真理を教えられたような。人のことは言えないが。

出社する彼と最寄り駅で別れて。

皆がのぼりきった時間にくだる方面の電車に乗りながら、60×60×24×7の計算を。604800秒を1秒ずつにバラすための有意義な過ごし方を考えつつ、ゴトゴトと帰宅。
横浜で(なぜ横浜?)休日出勤だというマイ・ラヴァーを迎えに、京浜東北線に乗る。

外はどしゃぶり。会って早々、「傘を無くした。」とおっしゃる彼のメイン傘をキオスクで購入。何はともあれ、雨宿り場所へ。都内デイトが日常化している私にとって、たとえ雨に濡れても、こんな小さなことすら新鮮で楽しい。

ブレンドコーヒーとバナナパイを満喫しながら、本日のヨコハマ・デイト・プランニング。時間があれば、横浜ワールドポーターズ内の映画館で『ミュンヘン』を観ようといった算段だったが、夕方なのでキャンセル。せっかくハマに来たのだし、中華でも食べていこうか、と、私の2002年度版(古っ!)の情報誌をパラパラ。あまり心惹かれる店が載っていないということもあり、材料はMY情報誌から彼の持ってきていた本へ。音楽から、食、紀行、といったジャンルをカバーする伊丹由宇の著作を見ながら、「このあたりに日本で最初に焼き餃子を出した店があるらしい。」との情報を頼りに、雨脚の弱まった横浜の街へ。

途中のコンビニで地図を確認しながらウロウロした挙げ句、ついに、「日本で最初に焼き餃子を出した店」をハケン!

わーいわーい、と入店。まるで親戚の家に来ているような落ち着く内装。「餃子にはビールでしょ!」というあ・うんの呼吸で中生×2。餃子以外もうまそーだぞどーする、ほんとだねー、中華だと二人はイタイな、ハーフもできるってよ、じゃあちまちまとたくさんの種類を食べる作戦でいくか、最初は冷菜からね、よしっじゃあこの四川省の漬け物ってやつとビールで腹ごしらえだなすみませーん、ってな感じで、漬け物(ザーサイ)→焼き餃子(ほんのり甘くて美味!)→蟹玉(おっ、と思わず止まる味)→豆腐と野菜のスープ(おなかに優しそう)→青島ビール→肉だんご(かつて味わったことのない食感)→鶏チャーハン(ボリューム満点)→再・焼き餃子(やっぱりオイシイ)、という流れ。

舌鼓を打ちながら、先日のイタリア・フランス旅行のおみやげを献上。一つめは、彼が愛してやまない赤ワイン。二つめは、イタリア製のネクタイ。最後は、見つけた瞬間に「これはあげなきゃ!」と決めたヨーロッパの古地図。地図を広げながら「あっ、コレ、おもしろい、おもしろい。」と言う様を見て、色々買ってきてよかった、と満足。

帰宅後。

私が撮ってきたデジカメの映像をスライドショーで流しつつ、おみやげのワインをぐいー。スイスイいけちゃう軽い口当たり。飲み始めた頃はワイン(特に赤)なんてどれも同じに思えたけど、少しずつ、「これは軽いな。」という位の違いならわかるようになってきた。

音楽と食べ物は場とセットで味わう、とはいうけれど。上流の皆様がオホホと言いながら飲み交わす秘蔵のワインならともかく、現地で水代わりに飲まれているハウスワインなら、散らかった部屋でちょっとお行儀悪い姿勢で飲んでもきっとオイシイ。ワインでも、ビールでも、何でもそうだけど、一人で飲むより二人で飲む方がオイシイと思える理由に、自分の舌で味わいながらまるで同じ物を味わう自分を投影したような相手が目の前にいる、ということが挙げられると思う。舌で味わい、目で味わう。美味しいものを食べるのはもちろん好きだけど、それだけじゃ私は不満足で、美味しそうに食べてくれる人と一緒に美味しいものを食べたいと思う。今回の旅行で学んだことだ。

一枚、「すごくイイネ!!」とお褒めにあずかる写真があり、どこがどのように良いのかという批評を受ける。論を聞いているうちに、なんか、自分がものすごい偉業を達成したような気分になり、「アンリ・カルティエ=ブレッソン(←「決定的瞬間」の巨匠らしい)が撮ったと言われても、コレなら、俺は納得する!」という一言で、デジカメも何も持っていないのに「これから少し写真に凝ってみよう。」と決める単純な私。

帰国してもしばらくは実感が湧かなかったけど、「ああ。帰ってきたんだなあ。」と、帰国五日目にしてようやく感じられる瞬間が何度もあった日曜の夜。

2月24日の雑感

2006年2月24日
帰国雑感、諸々。

●暇だ。


●卒業予定者発表。
そろそろ、である。それさえ確認してしまえば、卒業式まで学校に行くことはない。名前無かったら、どーしよ。いやいや、まさか。アディオス、大学。


●社会人になったらしたいこと。
旅立つ前も思ったし旅立ってからも思ったけど、クレジットカードがあればいいなあ、と。社会人になるまでは、という意地があって作らずにいたけど、そろそろだな。しかし、どこのカードにするべきかが問題だ。

現在狙っているのが、

三井住友VISAアミティエカード … 女性専用。ポイント還元率高い。オンライン入会なら初年度無料。携帯電話利用料金分はポイントが2倍でオイシイ。カードがピンク色なので可愛い(←それだけ!?)。

セゾン・フォービート・アメリカンエキスプレスカード … オンライン・プロテクション(インターネット上での不正使用による損害を補償)導入。全国の西友・リヴィンで毎月第1土曜・日曜に1,000円以上支払うとポイント2倍、セゾンカード感謝デーでは買い物が5%オフ(利用しやすい環境にある)。アメリカンエキスプレス提携ホテルなどでの支払いが最大70%off。旅行保険が海外・国内ともにつくのもイイ。JALマイレージバンクへの交換も可能。第一候補。

出光カードまいどプラス … ドライバーに優しいカード。車での事故や故障に対応する出光ロードサービスに加入可能。ETC機能付きで年会費無料。出光SSでのガソリン・軽油・灯油の割引あり。セゾンカード感謝デーでは、買い物が5%OFF。

タカシマヤカード … 一番利用する百貨店がどこになるかが問題だが、現段階での最有力候補が丸井と高島屋。ETCカードが無料発行というのがオイシイ(車を運転する機会が多いので)。ANAマイレージクラブへのポイント交換可。旅行向け傷害保険付き。


●社会人になったらしたいこと・パート2。
ネイルサロンで爪をケア(一度くらいやってもらいたい)。
香水をデイリー使い(今は特別な日にしかつけてないので)。
海外旅行に行く(欧米ではなく、中央アジアへ)。
自分の車を買う(いかにも女のコ向け、というものじゃなく、かつ、嫌味がないもの。お手頃価格のもの。燃費の良いもの。小回りがきくもの。そんなのあるのか?)
Suicaにチャージ、パスネットも購入(未だにしたことがない)。
これまでご馳走になった社会人の皆様に恩返し。

これじゃ、全然、貯金できない(泣)。


●身辺整理。
旅先で新しい財布(赤。プリティ。)を購入。早速、入れ替え。

実はワタクシ、大学に入学してから二回も財布を盗まれまして、小学校の頃買ったというダサダサ〜な財布を、随分長い間使い続けておったという。これだと何やってもサマにならん、と。

暮れに大人っぽいカードケースもいただいたので、これと併せてビバ・社会人化計画!!


●さて、そろそろ、出かけるか。
ついにフランスを発つ日が来た。夕べの「パリ事件」(と命名。)で心身共にぐったりなので、早くオウチに帰りたいところだ。

本日はゆっくりホテルで朝食を、と思っていたが、四人ともそんな元気は無く。私以外の三名は集合ギリギリまで睡眠を優先。私は、買い置きしておいたチョコレートのムースとオレンジをむしゃむしゃ。オレンジ、苦い。

私のスーツケースは父の妹(私にとっては叔母)から借りたもので、かなりの年代物。そのせいか、重い。荷物の重さが20?を超えると約7000円の料金がかかるとのことで、なんとか20?以内におさめなければ、と試行錯誤。そもそもが重いので全然ダメ。しかも私の買ったお土産は液体ばかりで、わーこれを全部入れたらどうなるんだーと、重いものはすべて手荷物にする羽目になる。しかも備え付けのキャスターが壊れかけているので取り外し可能なキャスターを新たに取り付けたはいいが、積み込みの際に取れて無くなるかもしれないからいちいち外せ、という伝令。ショルダーバッグを含め、手荷物が四つになってしまった…。あひー。

成田の数倍の広さというパリの空港へ。

「彼氏の分ばっかり買いすぎじゃ!」と罵られるほどに人のお土産ばかり買ってしまった私(だって自分のを選ぶより楽しいんだもん。)と対照的に、ミキティは彼氏に小さいクッキー×1(しかも「これでいいや。」と言っていた…。)。Qooはちっちゃい『サモトラケのニケ』があれば買ってやると言っていたけど、結局見つからなかった上に所持金も尽きていたのでどうしたことやら。まゆげは「ヤバイ…。○○くんの分、買ってない…。」と言い出し、余った小銭とカードを駆使し空港で購入することに。ううっ、涙が出ちゃう。

とはいってもお土産はやはり少ないに超したことはない。ふひー、はひー、と、パリでも、経由地フランクフルトでも、成田に着いてからも大騒ぎ。何しろ初・海外旅行という事実が嬉し過ぎて各方面に吹聴しまくったのがそもそもの原因だ。ま、この苦労も、渡す瞬間の笑顔の代償だと思えば安いものだろう。

母にはイタリア製皮の手袋、父にはヴェネツィアの食前酒、祖父には老舗『ペック』のチョコレート、祖母にはスカーフとジャム、父方の祖母にはやはりジャムとヴェネツィアンレースのハンカチ、スーツケースを借りた叔母さんにはヴェローナ産ハート型パスタとパスタソース三種セット、バイト先にはイタリアのお菓子詰め合わせ、そのほかにも各所に色々あるが、あとは内緒。うっふふふ。

今回の旅行の総括をば。当初の目標だった「ホームシックにならない。」というものはあっさり挫折。私が一番日本を恋しく思っていたことは間違いない。もう一つの「おなかを壊さない。」は若干便秘気味になったことを除けば、まあまあ達成か。しかも人の分まで食べていたのだから敢闘賞だ。次回(あるのか?)の海外旅行の目標は、土地の物を食べても変わらず強靱な肉体を維持し続けることだ。

久々に日本に帰ったら何をしようか、と、飛行機の中で考える。まずは湯船にたっぷりとお湯をためてゆっくり入浴しよう。あつーいお味噌汁と一緒にほくほくのゴハンを食べよう。

ただいま、みなさま。
丸々一日を観光に費やすことができるのは、今日が最後。

まずはとにかくと、メトロを利用してルーヴル美術館へ。ルーヴルは、古代彫刻から19世紀の絵画まで膨大な(およそ30万点)コレクションを誇るフランスの宝石箱だ。残された時間を考えると、オルセー美術館(『泉』、『落ち穂拾い』などを展示)よりはむしろルーヴルだな、という判断による。

インフォメーションでゲットした館内図とMYガイドブックを駆使して、必見作品早回り作戦。館内は3つの翼(なぜ翼?)から成り、それぞれが半地階から3階までの四層構造。地図があってもややこしく、行く先々で現在位置を見失い、警備員に何度も「Could you show me where I am on this map…?」と尋ねることに。

ルーヴルで人並みの感動をした後は、セーヌ川にかかるポン・ヌフを渡り、徒歩でノートルダム寺院へ。ノートルダムとは聖母マリアのことで、見所は豪華なゴシック様式の建築美と、ステンドグラスだそうだ。テンションが徐々に上がるミキティとまゆげ。

それにしても、クリスチャンでもないのにここまで教会美術に興味を持てる彼女らの動機の大元は、一体何だろう。決して非難しているわけではない。というのも、今回の旅で各地の聖堂や寺院や修道院を回って知ったことは、当たり前だが、そこはすべて聖なる場所だということで。ミサが行われてなくても、常に静粛で、荘厳で、犯しがたい気高さに満ちている(それくらいは私にもわかる)。そして、そこに集まるべきは、観光客ではなくむしろ敬虔な信者であろう。私はようやく理解したことがある。神の所在についてだ。この空間に集まる人々は、皆、神は存在すると信じている。仮に神がいると仮定して、誰の目にもわかるようなそれらしい姿で存在を誇示するだろうか。だから、もし本当に神がいるなら、人々の心という、あるんだかないんだかわからないような手探りの中でしか感じられない場所にこそ、神の台座はあるのだと思う。だって、ここにいるクリスチャンの心の中には、確実に神がいるから。

エッフェル塔にて。

先日東京タワーに上ったせいか、実物のエッフェル塔は「あれっ…こんなもん…?」という印象(フランスのみなさん、ごめんなさい)。私、なぜかエッフェル塔を東京タワーのように赤いものだと思っていたのだが、全然違う。むしろ、くすんだ茶色。うーん、まいっか、とにかく写真は撮ろう、ってな具合でパチパチと。そして、実は、実は、本日のメイン・イベント、フランス人のD氏と落ち合う約束が、このエッフェル塔の真下に位置するイエナ橋なのだ!

このD氏。Qooがカナダ留学した際に仲良くなったらしく、その後もメールでやりとりをする仲だったそうな。今回パリに行くよと言ったら、「グレイト!」(と言ったかどうかは知らんが)という流れで会うことになった。寒さにガタガタ震えながらD氏を待っていたのだが、いつまで経っても現れないので公衆電話からケータイにTel。どうも仕事が長引いているらしく、待ち合わせ場所を凱旋門近くのシャンゼリゼ通りに移すことに。

もう六時だ。ただでさえ寒いのに、雨が。まあまあ楽しみにしていた凱旋門とシャンゼリゼ通りだったのに、「オー、シャンゼリーゼー♪」と歌う余裕は一切無く、早く暖かいところへ、と、手近のカフェに駆け込むことに。日本ではなかなか飲む機会の無い濃厚なホット・チョコレートで温まる。そして、ついに、D氏登場。初めてお会いするD氏は日本人女性受けしそうな甘〜いマスクが売りの、なんともハンサムな青年。こりゃ、アカン。日本から持参したお土産を渡し、終始目がハートの一同。こりゃ、四人それぞれの彼氏には決して見せられんぞ(笑)。急遽合流することになったD氏の先輩・J氏も現れ、会話はすべて英語だが和やかな雰囲気に。

私たちは本場フレンチのディナーを予約していたのでここで解散かと思いきや、食事後に再び落ち合おう、夜景の綺麗なサン・ジェルマン地区に連れて行ってやる、と言われ、私の体内のセンサーが「危険!」という信号を出していたにもかかわらず、目がハートの流れでそのような展開に。いいのか!?

夕飯は、オペラ座近くのカジュアルなレストランにて。オードブル、メイン、デザート、という簡単なコース。期待していたほどの味ではなかったが、フランスでフランス料理を食べるという当初の目的が達成できたので、ワレ、マンゾク。しかも本場のワイン(ロゼ)まで堪能できるなんて、まさに最後に相応しい晩餐だ。…と、久しぶりのアルコールですっかりイイ気分になっていたのに、私たちのテーブルを管理していたのが、んもう、これぞステレオタイプの女好きフランス人、という奴で、「ニャ〜オ。」を連発しながら(おまえは猫ひろしか!)まゆげのほっぺを触ったり、ミキティの白魚のような手を叩いたり、と、最初から最後までうるさくて、ゆっくり食事をするどころじゃなかった。しかもチップを手渡したら相当嬉しかったようで、なんと、手にベーゼ(キス)のプレゼント。バカモノ!生まれてからたった一人にしか口づけを許していない私の手を汚すな!

店を出たら、さらに二人の女好きフランス人(D氏とJ氏)が待ち構えており、メトロ駅を複雑に経由して着いたところは、夜景の綺麗な地区というよりむしろ、新宿・歌舞伎町のような装いの一画。案の上、彼らの行きつけらしい飲み屋に案内され、促されるままにアルコールを飲まされることに。「酔ったら絶対マズイ!!」という判断を四人が瞬時に下し、なるべく度数の低いものを頼もうとしたものの、「スペシャル・ティー」があるからそれにしなよ、と言われ、ティーならいっかと注文。届いたのは、ジョッキのビール。どうやら「スペシャル・ティー(特別なお茶)」ではなく、「スペシャルティ(オススメ)」だったようだ。英語が不得手だと人はこういう目に遭うのである。

ビールが飲めないジャパニーズ(私を除く)。終電が迫る時刻。外は雨。右も左もわからない土地。二人の女好きのフランス人男性。これ以上危険な状況はなかなか無い。しかも、夕方は紳士だった二名も徐々に化けの皮が剥がれ始める。そして唯一の頼みの綱だった英語が(私たちよりは)堪能なQooも、D氏の色香に参りっぱなしでもう私ダメ〜ン状態。ここは、長女の腕の見せ所。「We have to go!」と宣言するも、「メトロはまだあるから大丈夫さ!」「ノン!えーと、えーと、オール・ウィー・ハブ・ステディだし、地下鉄の乗り継ぎが上手にできるかわかんないし、とにかく、ウィー・ハフトゥ・ゴーなのデス!」「そうか。じゃあこれだけの酒を全部飲んでからにしろよ。」「えっ!?」という展開に。ふっ。笑っちゃうわね。普段から酒豪に囲まれてもなお素面を保ち続けているワタクシに勝負を挑むおつもり?大和撫子をなめんじゃないわよ。

スイッチON。イッキ、イッキ、りんさん、イッキ。

女衆のジョッキ×4を光速で片づけ、フランス人がビビった隙に(実はジャパニーズもビビってたという事実を後から知った)、「さあ、これで文句無いわね、イッツ・タイム・トゥゴーですわ!」という流れを作り、ついに脱出。しかし、夜はまだまだ終わらない。終電まで余裕があったはずのメトロが運転手のハートアタック(心臓発作)が原因で止まる、という最悪な展開。「タクシーで帰りゃいいさ。」と他人事のように言うフランス人だが、ここにきてさらに最悪な展開に。というのも、パリ観光を始める時点で所持金が尽きていた三名に私が金を貸す、という無理矢理な乗り越え方をしていたゆえ、タクシーに乗れるか乗れないかというレベルの金額しか残っていなかったのだ。崩れ落ちそうになる私の脳裏にハッと浮かんだのは、日本を離れる際にマイ・ラヴァーから手渡された餞別の存在だ。こんなこともあろうかと、イタリアでユーロに換金していたのだ。それが残っている!!

フランスのタクシーは三人(運転手含まず)が定員で、四人の私たちを乗せてくれるドライバーを探すのにも骨が折れたけど、念のためにとD氏とJ氏からも金をむしり取り、これだけの金でなんとか行ってくれ、とフランス人に頼んで交渉してもらう。成功。無事、ホテルへたどり着くことができた。セ・タンクロワイヤーブル(信じられない)!それにしても、むしり取れた金額はわずか7ユーロだし、ビールの代金(6ユーロ×4)も私持ちだし、フランス人は本当にジェントルマンなのか…?という疑問だけが残る。

そんなこんなで。

最後のフランスの夜を彩ったのは、凱旋門の灯りでもなく、美味しいフランス料理でもなく、もちろん口の上手いフランスオトコでもなく。「遠いところからだけど、見守ってるよ。」と言わんばかりに託されたマイ・ラヴァーの愛だった。という、私の旅行記はたとえ恋人と一緒じゃなくても結局ノロケに始まり、ノロケに終わるのでありましたとさ。
パリの寝覚めはイマイチ。そして、天気もあまり良くない模様。

本日は、イタリアのナポリ・ポンペイに続き、二度目のオプショナル・ツアー(正規のパックツアーの自由行動中に参加する、別料金のツアー)。行き先はノルマンディ。世界遺産に認定された岩山の修道院、モン・サン・ミッシェルを見に行く、という内容だ。

パリで初めてメトロに乗り、雨の中、PALAIS ROYAL MUSEE DU LOUVRE駅で下車、集合場所へ。パリ市内からノルマンディへは約360?。東京〜名古屋くらいの距離があるらしい。本日の添乗員さんは、堺マチャアキを彷彿とさせるサッパリしたおじさん。なんだか異様に早口な割に、あまり滑舌が良くないのが特徴。何にせよ、同じ場所からバスが四台も同時に出るとのことで、休憩の際のトイレが滅茶滅茶混み合う、との情報を得る。誰よりも早く走れ、とのこと。ゴハンは我慢できても(←私は我慢できてないけど)、トイレは我慢できんしなあ。ううう、いやだよう。

ゴーゴーと(四台の)バスは出発し、最初のドライブインへ。

さすがこういう状況に慣れているらしい添乗員・T氏の「よーいどん!」の合図で、子犬のようにコロコロと駆け出す私たち。あちこちのバスから同じように飛び出してくるオナゴらが目に入り、さらに焦る。ぬおぉ。トイレのあるスペースに到着したものの、既になかなかの列が。が、T氏の「こっち、こっち!男子トイレも使わなきゃ駄目だよ。ホラホラ、早く、早く。子どもじゃないんだから、ホラ、こっち来なさい!」という指示で、数名の女性(Qooとまゆげを含む)が男子トイレに連行される様子を見てしまった。目的地に着く前から大騒ぎである。

パリは雨に濡れていたので、「ヴェネツィアの悲劇再び?」と思いきや、いざ着いてみたら、青空に映えるモン・サン・ミッシェルとご対面。滅多に晴れない場所だそうで、どうやら相当ツイてるらしい。

早速写真を、と思うも、またしてもT氏の先導により、まずは(おそらく提携している)有名なレストランへ。ここはモン・サン名物の巨大なプレーン・オムレツを食べさせてくれるとのことで、たった13ユーロ(約2000円)で、これまたノルマンディ名物のリンゴのお酒・シードルと、リンゴのタルトが食べられるらしい。安いよ、とノセてくるT氏に騙されている気がしなくもないが、名物が食べられるならまあいっか、と、泡が妙に多いふわふわのオムレツを四人でシェア。

…不味い。

味のついていない泡タマゴ、といった様相。なぜオムレツが名物かといえば、ここは修道院ということで、疲れた巡礼者に振る舞うにはオムレツが一番少ない材料で、かつ早く作れる、ということかららしい。プラールおばさんとかいう女性が創始者で、島のあちこちにおばさん関係の土産物屋がある。食べる前はおばさんのレシピ本をぜひ買いたいと思っていた私だが、そんな気は途端に失われた。

トイレ戦争と不味いオムレツ事件でへろへろになりつつも、目玉は修道院散策だ。またまた子犬のように飛び出し、世界遺産の内部をじっくり時間をかけて巡る。私の所感としては、モン・サンは中に入るより遠くから眺めるべし。というのも、フィレンツェやミラノ各地のドゥオーモと違い、八世紀に原型が建てられたモン・サンはかなり質素な造りで、いかにも「修行の場」という印象だからだ。

フランスの天気は本当に変わりやすく、修道院を出る頃には、雲の隙間から陽がこぼれているというのに、通り雨。「狐の嫁入りだー。」と騒いでいたら、途端にカラッと晴れて、地平線に突き刺さるように虹がかかった。一体誰が私たちを祝福してくれているのだろうか。最後に見ることができた海に浮かぶ聖なる修道院、モン・サン・ミッシェルの荘厳な姿は、今にも聖ミカエル(フランス語でモン・サン・ミッシェル)が降りてきそうなほどに美しく崇高で、まさに世界遺産と呼ぶに相応しい。来て良かった。

最後はバスで爆睡。色々と思い出を残してくれた添乗員・T氏と(私たちだけ)記念写真を撮り、ホテルへ。

明日は最後の観光、自由行動@パリ市内だ。
旅はようやく折り返し地点を回ったあたりだが、限界が近付いている。

寒い。恋人に会いたい。PCをいじりたい。J−POPが聴きたい。湯船に浸かりたい。そして、何より、ひもじい。味噌汁が飲みたい。白米が食べたい。焼き魚が食べたい。緑茶が飲みたい。嗚呼、すべてに対してスィル・ヴ・プレ(←フランス語で「ください」という意味)。ほんとにあいしてる?ってな具合だ。

ウジウジする私を乗せて、本日、ミラノを発ってミュンヘンを経由→フランスはパリへ飛行機は飛ぶ。キーン。ひーん。

早朝(なんと現地時刻三時起き)に出発するも、移動にほぼ半日以上を費やし、お疲れの一行は早々にチェックインしたパリ市内のホテルでまったり。

久々に日中に時間が取れることとなったので、日本はちょうど真夜中、という(我が恋人にとっては)ナイスな時間にラヴコール・フロム・おフランス。が、今回のホテルに限り、部屋から国際電話をかけるためには保証金(何の保証やねん)として35ユーロ出せや姉ちゃん、とのことで、愛と親孝行のために35ユーロ手渡す羽目になる。ま、保証ということは後で返ってくるということだけど、所持金が少なくなりつつある現段階を踏まえると、旅の終わりまで35ユーロ失われたままというのは結構イタイ。

案の定起きていたマイ・ラヴァーに35ユーロプラス通話料をかけて確認したところ、例の運送会社がようやくブツを届けてくれたようで、一安心。よかった。これで今日以降ぐっすり眠れるというものだ。(そうでなくとも夜はぐっすり眠ってたけど。)

少し回復した私を連れて、暇つぶしにと、ホテルの目の前で開かれていた「蚤の市」へ。予想はしていたが、ハッキリ言って洗ってもまったく使う気になれない食器類や、匂いが数メートル先にまで漂ってきそうな古靴など、ガラクタが目立つ。が、中には面白いものもあり、「ニーハオ」と言われたり「コニチワー」と言われたり、それに対して適当に「やあやあ」と完全な日本語で対応しながら練り歩くのは、なかなか楽しい。おばあちゃんへの土産にと、スカーフを2ユーロ(約300円)で購入。2ユーロでスカーフが買えるなんてトレビアンだ。

蚤の市を覗いた後は、ホテル裏手にどどーんと建っていたスーパーマーケットの本場、『カルフール』へ。何よりもまず食料を確保すべし、と、大量の飲料水と、肉と、フルーツと、総菜コーナーでパエリアと、寿司と、ポテトと、サラダをゲット。これだけ買って4人で25ユーロなんて、ビックリするほどお得である。たらふく食べて、満足。メルスィ。

あまり特記することがない本日、いよいよ寝る頃になって、我がグループは少々深刻な雲行きに。同室のミキティの口から、旅で判明した他人のパーソナリティに対する愚痴の類を、ウンウン、そうね、そうね、と聞く。それ自体は私も大いに納得できる内容ということもあり、とりあえずは否定せずに事なきを得た。

話はさらにシリアスな領域に突入し、しばらく一人の時間が持てなかったゆえ忘れかけていた例の感覚を、久々に思い出すこととなった。ミキティが眠った後、ホテルの窓から今にも消えそうな光をたたえた彼方のエッフェル塔を眺めつつ、一人、心の奥に目を凝らしてみる。私がホームシックになっている理由は様々あるが、ずっと一人っ子として生きてきた女には、他人にはあまり顕わにできない内容を誰にも言い訳せずにうねうねと考える時間が、やはり、どうしても必要なのだと思う。それができない今は、少しだけ辛い。

最近、同い年の友達と話していると、以前より苦しいと思うことが多い。もちろん、共感できる部分は同い年だからこそあるのだが、何が苦しいかって、彼女らとは悩んでいる部分にさえも同時に共感してしまうから。同じ立ち位置で、同じ目標を見据えて、同じようにもがいている。だからこそ、私が目指している目標に達していない彼女らの話を聞いていると、達していない自分を隠して欲しい、と思う。愚痴を言うのが必ずしも悪いというわけではなく、少なくとも愚痴を先に(←ここ、ポイント)口にするとき、愚痴を言ったという事実はどうしたって変わらない。そして、愚痴は内容がどれだけ共感できるものであれ、やはり美しいものではない。必ずしも、醜い、とは言いきれなくとも。が、ミキティもおそらく愚痴を言う自分は醜いとわかった上で私に打ち明けたいと思ったわけだから、今は聞いてあげるのが精一杯の優しさだとは思う。それにしても、ミキティの中にある「嫌な自分」をあまりにもあけすけに露呈されると、私は、つい、「水のように、清らかで、しなやかに、"凛"とした美しさを保って」という、理想の女性像を思い描いてしまうの。

水のように清らかになるなんて、一生できっこない。そう思っていた。性悪説、とまでは言わなくても、私は聖人になどなれっこない、と。たぶん、それは、大まかな意味で正しい。でも、今は遠い国にいるある人にいつの間にか教えられたのは、たとえ厳密な意味では聖人になれなくても、人が元々「嫌な自分」を内部に常に持ち続けるべき存在なら、大切な人の前でこそそれがまるで無いかのごとく、あくまでも見た目には清らかな状態であり続ける努力をすべきだろう、ということ。

私はこうしてもがき続けている。ミキティも、まゆげも、Qooも、私の買いかぶりじゃなければ、同じようにもがいているはず。愚痴を言うことは、これから先もあるだろう。私に対しても言えることだ。それでも、白鳥が水面下で足をばたつかせる様を決して見せないように、いつか「水のように、清らかで、しなやかに、"凛"とした女性」になりたいと思う。

そんな風に思って眠りについた、パリ一日目の夜。
本日も(空腹ながら)爽やかに起床。やはり早めに寝ると気持ちが良い。

天気は回復傾向のようだ。バターロールとコーンフレークだけ、という味気ない朝食の後、小都市・ヴェローナを経由し、大都会・ミラノへ。

蛇行するアディジェ川のほとりに広がるヴェローナは、ローマ帝国の植民地として築かれ、あの『ロミオとジュリエット』の舞台として知られる。ヒロイン・ジュリエットのモデルとされたカプレーティ家の娘の家は一般に公開されているそうで、楽しみなのか楽しみじゃないのかよくわからないが、そこそこの期待にとどめておいた方が良いとの噂である。

中世っぽい町並みを想像していたヴェローナだが、実際は、代官山や表参道を彷彿とさせる若者受けしそうな雰囲気。愛をテーマにした作品を生んだ街ということで、ハートのモチーフが多い。そして、案の定だが、ジュリエットの家はフツウであった。前庭にちんまりと建てられたジュリエット像のおっぱいを触ると幸せになるとのことで、必要以上に触っておいた。以前もここを訪れたというミキティによると、ある男がジュリエットの後ろから両手で胸を揉みしだく行為をしていたそうで、おっぱい好きは万国共通なのね、という見解を抱きつつ、目的(おっぱいを触る)を果たしたのでヴェローナを後に。

イタリア国内有数の産業都市であるミラノは、毎年のミラノコレクションが注目を集める流行発信地としても名高い。14世紀末から栄えたミラノ公国は芸術を振興したようで、レオナルド・ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』を残したことで有名だ。が、『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、予約が必要ということもあり、今回はスルー。

ここに来てメンバーの趣味の違いがいよいよ明らかにされてきたので、初の別行動をとることとなった。というのも、絶景好きの私はドゥオーモの屋上からミラノの全景を見たいと思うし、現地の人とつたないイタリア語で交渉しながら街を練り歩くのが好きなのだ。一方、以前もミラノに来ているまゆげとミキティにとっては、もう一度ドゥオーモに上る時間をブレラ絵画館(ロンバルディア派の優れたコレクションを誇る)散策と、スフォルチェスコ城で『ロンダニーニのピエタ』を見ることに使いたいようで、揉めるくらいならいっそのこと違う行動を取った方がいい、との結論に。寂しい気もするが、ツアーを離れてたった一人でミラノの街を自由に(←ここポイント。ようやく一人の時間が持てるのだ。)歩ける、というのは楽しみである。

…と思っていたら、Qooは美術鑑賞よりも私派だったようで、3:1ではなく、2:2に分かれることに。お一人様だろうがお二人様だろうが、楽しみなことには変わりない。

イタリアを訪れたことのある友人から「りんはミラノが気に入ると思うよ。」と言われていたので予想はしていたが、ミラノは私の趣味に合っている。理由はよくわからないが、都会なのに手で触れることのできる絶妙な距離感と街のスケールのせいではないかと思われる。ミラノのドゥオーモの細かすぎる彫刻たちを見て「すごーい。」と言ったり、老舗食料品店『ペック』にて祖父・祖母へのお土産を買ったり、ミラノ一のデパート『ラ・リナシェンテ』にて互いの恋人へのお土産をチョイスし合ったりと、ミラネーゼらしいショッピングに興じる。そういえば、ショッピングにこんなに時間をかけたのは旅行が始まって以来、初めてのことだ。

再び落ち合おうと約束していたスフォルツェスコ城前にて。

ちょっと電話してくる、というQooを待ちながら、噴水の前で目を閉じて、一人、日本に思いを馳せる。その思いが惹きつけたのか、目を開けると、日本人男性がはにかみながら立っていた。どうやら同じ大学四年生で、同じようにパックツアーに参加しており、自由行動中とのこと。あまり気を遣っていないと思われる服装と太い鼻毛がはみ出していることは気になったが、とりあえず愛想良く対応していると、不機嫌そうな面持ちでQooが戻ってきた。ほとんど口を開こうとしないQooと日本人男性クンの仲裁役に奮闘後、まゆげとミキティがようやく現れたので、その場を後にする。

「海外だからって浮かれちゃ駄目!」「あの人、絶対ヘン!」「私、変な人を見抜くのが得意なの!」と鼻息を荒くするQooに叱られながら、じゃああの人が超絶美形のイケメン君だったらどうだったの、という思いに駆られた。セキュリティ上の問題からいえば私の対応は不適切だったかもしれないが、もし日本でも適応される問題を前提としてQooが私を非難したのなら、それについては眉をしかめたい。「思っていいけど、言っちゃ駄目。」という中学時代の恩師の言葉を思い出した。思っていいけど言っちゃ駄目。そして、思っていいけど態度に出しては駄目。それは私の生きる道を照らすほどの大きな価値観である。そして、目に映る部分だけでは到底わからないものを人は確実に秘めている、ということも。

夕飯は、私の願いが叶い、ミラノらしい小洒落た(その割にお手頃価格)レストランにて、ミラノ風リゾットと、ミラノ風仔牛のカツレツを。コンソメで煮込みバターとサフランで味付けされたライスに、たっぷりのパルメザンチーズをかけて。本当はイタリア名物のワインを注文したかったけど、私以外の三人はワインをあまり得意としないので、今回は遠慮。ミキティが注文したものの食べきれなかったイカ墨のリゾットも分けてもらい、幸せな気分でホテルへ。

明日はいよいよイタリアに別れを告げ、フランス・パリへ飛ぶ。
りんの日本脱出記 〜極寒のヴェネツィア編〜
こんなことをここに書いていいものかどうか迷うが、イタリアに着いてからというものの、便秘気味だ。普段は薬をまったく必要としないほどに胃腸の調子が良い私なので、どうにも気になる。

それ以外にも懸念事項が。髪が妙にパサつくし、肌も荒れ始めている。規則正しい生活をしているにも関わらず、だ。一体どうしたことかと騒いだ挙げ句に出た結論は、馴染みのない土地の水と食べ物のせいではないかと。なんたること。

便が出なくても観光は継続される。本日は、最も楽しみにしていたヴェネツィアへ。

アドリア海の付け根という地の利を生かした海洋都市ヴェネツィアは、干潟に浮かび、網の目のように運河が巡る類いまれな水の都。本日のメイン・イベントはゴンドラの上で(女同士の)愛を語る、というもののはずだが、フィレンツェを発つ時点で雨が降っており、ヴェネツィアも、案の定、雨。テンション↓。しかも、寒い。

予定は未定とはいうものの、ゴンドラクルーズはなぜか予定通り運行され、船の上でアモーレを語るどころか、身を寄せ合って凍える始末。船を降りた後も寒さのあまり歯の根が合わないほどで、暖かいところへ行かねば、リストランテを探さねば、と、当初の予定より深刻な形相で昼食場所を探すことになった。

もうここでいいよ、という勢いで入店したお店は、カジュアルな雰囲気の魚介類を扱う店。ヴェネツィアでぜひ食べたいという使命に燃えていたイカ墨のパスタと、ピッツァ・マルガリータと、ミックス・グリルを注文。E molto buono(おいしい)!願わくば、道中、常にこういう食事をしたいものだ。残る使命は、ミラノにてミラノ風リゾット&仔牛カツレツと、パリで本場フレンチフルコースを召すことだ。果たして達成できるのか、今回のメンツを見る限り、なかなか怪しい。日本では恋人を「食いしん坊!」と罵っている私だが、こんな異国で他人から同じように思われるとはまったく予想していなかった。

ヴェネツィアの見所は、美術鑑賞をメインと捉えるミキティとまゆげ的にはやや少ないようで、サン・マルコ寺院くらい。しかし、ヴェネツィアは東方の影響を強く受けた土地だから、寺院ももちろん東方風味である。「ザ・西洋」な建築や美術を愛する彼女らのお気に召すかどうかがやや心配だ。

サン・マルコ寺院をかるーく冷やかし、その後、この極寒の地で有り余る自由時間をどう過ごすかが何よりの課題。ヴェネツィアはいわゆる観光地の中の観光地、という印象で、小さいお土産屋が本当にひしめく程にある。そのお土産の内容もほとんどが同じで、あまり芸が無い。大半は、仮面。なぜ仮面かといえば、毎年2月〜3月にかけて行われるカーニバルにて道化師など趣向を凝らした仮装で名高い都市だからだ。あとは、高すぎて手が出せないヴェネツィアングラスの工芸品。そして、17世紀に貴族の装飾としてブラーノ島で盛んになったレース編み。

今回の旅で明らかになったのが、金と天気がどうにかならなければ、海外旅行はあまり楽しくない、ということか。さくらももこが街ごと風呂敷に包んで持ち帰りたい、とまで語ったヴェネツィアなのに、私のテンションは常に下降しっぱなしで、とうとう集合時間まで回復することがなかった。旅行は、やはり、初夏のパァァッ…とした陽気の中、身軽な出で立ちで行うのが良いのだろう。そして、ぜひ付け加えたいのは、食べ物をこよなく愛するパートナーの存在だ。

14時解散→18時半集合という微妙な日程だったので、夕飯を食べ損ねそうになる。そんな、そんな、夕飯抜きなんてイヤッ、という不安に震える私を元気づけたのは、ホテルのすぐ隣のTrattoria(軽食を出してくれる、BarとRistoranteの中間の店)の存在だ。チェックイン後、転がるように飛び出して、ホットドッグとチョコレートを購入。それだけではもちろん足らず、深夜、ローマのスーパーで購入しておいたリンゴをかじる羽目になる。ああ、リンゴ。オイシイ。後で明らかになったが、この非常食用のリンゴにはかなり助けられ、今回の旅行中、なんと5回も食べてしまった。美食の国を巡っているのにこんなひもじい旅になるとは、一体誰が予想しただろうか。

そして、リンゴは便秘に効く、という素敵な事実も判明したのである。
そういえば昨日はバレンタインデーだったけど、あのりんがこんな一大イベントの最中に日本を後にするなんて…と思う人もいるかもしれない。ご心配なく。祖国を離れようと、そこは抜かりのないワタクシ。しかし、"仕掛け"が無事稼働したかどうかが気になって気になって、観光中もついつい魂は日本へ。が、そんなことを友人たちに話したら「日本のことは忘れるべし!」と一喝されるのは自明なので、目の前の美しいモノを見てなんとか気を紛らわそう。

本日はついにローマを離れ、花の都・フィレンツェへ。

トスカーナ辺境伯の支配下にあったフィレンツェは、東方貿易と毛織物生産で栄えたそうな。政治力を備えた金融業者・メディチ家の元で14〜15世紀にルネッサンスが開花。というわけで、美術館に教会に当時の彫刻、絵画、レリーフ等が目白押し。街が丸ごと美術館、といった様相に興奮を隠せないミキティとまゆげ(←教会美術好き)。実は、私も、芸術のどの分野が好きかと問われたら、迷うことなく15世紀前後のルネッサンス絵画と答えるほどなのだが、二人を見ているうちに、私の生半可な芸術への憧れを語るのは失礼ではないか、という気さえしてきた。

とはいえ、フィレンツェは本当に素敵な街だ。個人的には、ローマより断然好み。色が少ないシックな町並みと、それとは対照的に色鮮やかなドゥオーモ(聖堂)のコントラストは一見の価値有り。ただ、街のシンボルとも思えるドゥオーモが一部修復中だったことと、天気が芳しくなかったことが残念といえば残念だ。

到着後、まずは、常に人が押し寄せるという噂のウッフィッツィ美術館へ。ここは、ボッティッチェッリ、ミケランジェロ、ラファエロなど、ルネッサンスを代表する画家による傑作が集結している。期待が高まるというものだ。季節(真冬)と、天気と、街が修復中という事情からか、空いている。「この絵、教科書で見たことがある!」と叫びたくなるような作品ばかり。特に、傑作・『ヴィーナスの誕生』と『春』は、スケールといい色遣いといい、とにかくスゴイ。この旅行中、初めて感動らしい感動をした気がする。ただ、私が一番楽しみにしていたラファエロの『ヒワの聖母』を見て感動していたら、貸し出し中につきレプリカだったという事実を後から知らされ、自分の審美眼にやや自信を持てなくなった。

ウッフィッツィを出て、天国の門を軽く流し、ドゥオーモ内を観賞→サン・マルコ美術館へ。この美術館は、まゆげがどうしても訪れたいと言っていた少々マイナーな美術館で、ドミニコ派の修道院を改築したものらしい。が、開館時間が朝の8:15〜午後13:50という、オイッ!と突っ込みたくなるような所で、入館できず。落ち込むまゆげを励ましつつ、残りの自由時間はショッピングに徹しよう、という算段。

市場のようなエリアにて。可愛らしいエプロンを発見。「エプロンが欲しいなあ。」と思いつつも、高校時代に家庭科の授業で作ったお手製エプロンをいつまでも使い続けているワタクシ。購入決定。しかもその場で名前を縫いつけてくれるということで、嬉しさのあまり、大はしゃぎしてしまった。そのはしゃぎっぷりがお気に召したのか、店主のお兄さんが妙に優しかった。私の名前が筆記体で書かれた、イタリア製・ギンガムチェックのエプロン。かわゆい。あまりにプリティなので裸につけた方がサマになるのではないかと思われるほどに、かわゆい。

夕飯は、たまたま見つけたオシャレなデザート屋にて。デザート屋で夕飯を食べることの不可思議さよ。着いた当日から感じていたことだが、皆があまりに「これ、私、無理。」とか「これは食べられない。」という物が多くて驚く。11日間の長きに渡って朝から晩まで顔を付き合わせているということは、つまり、3×11の食事(実際はそれより少なかったが…)を共にするということ。それによって私が学んだことは、食に対しての価値観がある程度一緒だということはもちろん、それなりに何でも美味しく食べられる、という基本的な能力がある人じゃないと私は一緒にいられない、ということだ。が、私がトイレに行っている間に「りん、絶対我慢してるよね…。」と皆が心配してくれていたらしいことを知り、若干申し訳ない気持ちになった。

ホテル到着後。Qooが彼氏に国際電話をかけるというので、驚く。というのも、私たちが電話しやすい時間というのは現地時刻の夜で、日本は早朝四時か五時という、あり得ない時間帯。Qooの彼氏と同じくらいに宵っ張りな彼氏を持つ私ではあるが、さすがに気の毒だと思い、日本が朝になるまで起きていることにする。マイ・ラヴァーが起床する時間を時差を考慮して計算し、皆が寝静まった丑三つ時にこっそりtel。バレンタインのシークレット仕掛けはどうやら誤作動を起こしていたようで、届くはずの物が届いてないという、「ガーン!」な展開。遙か異国の地から日本の運送会社に恨みの念を送りつつ、「こりゃ、無事に届いたかどうか確認できるまで、国際電話は欠かせないな…。」というイヤーンな展開に。イヤーン。

それはそれとして。本日も歩きまくり故、深夜のラブコール後、倒れ込むように就寝。明日もおそらく歩きまくりだ。
りんの日本脱出記 〜ローマの平日編〜
12時前に眠れることの素晴らしさよ。と、感動しながら就寝→起床。

何しろ、こちらに着いてからはパソコンもいじれないし携帯もいじれないしで、普段どれだけ自分が詮無いことに時間を費やしているかがわかった。時差ボケで具合が悪くなっている人も多いが、私はこちらに来てからむしろ健康になるのではないか、という気がしている。

一日の始まりに際して何らかの事件が起こるのが今回の旅のウリだが、本日はミキティのポケットがつぶれて中がチョコレートまみれになるという、昨日の「アクア事件」に引き続き、「ショコラ事件」発生。チョコ臭くなりながらも、昨日のうちに買っておいた切符を使って、バスに乗車。まずは、カトリックの総本山・ヴァチカンへ。

世界最大級のヴァチカン博物館は、教皇領内で発掘された美術品や、歴代の教皇が海外流出を防ぐために収集した作品を収め、館内は27の美術館、博物館から成る。とても半日では見きれないので、有名なもの(彫刻『ラオコーン』、絵画『アテネの学堂』、壁画『最後の審判』など)に狙いを定め、駆け足で。

ミキティとまゆげは過去に一度イタリアに来ており、今回は再訪だという。一体なぜそんなにイタリアへ?と思うも、彼女たちは教会美術にものすごい興味を抱いており、何度見ても素晴らしいとのこと。目玉たるシスティーナ礼拝堂には、ミケランジェロの大作、『最後の審判』が。思わず涙を流しそうな勢いの二人を横目に、割と冷静な自分。昨日のポンペイでも思ったが、私という人間はものすごく情熱的なわりに、ある部分で異様に冷静だということを再確認する。私の中には、自分でも境界を引ききれていない温度差の濃淡がある。

博物館を出て、お次は、サン・ピエトロ大聖堂へ。聖ペテロの殉教地に建てられたのでこの名前がついたそうな。この時点で既に正午をとっくに回っていたのだが、小食(というか、多分、食に対する興味が薄い)の三名はお昼を食べることより、より多くの時間を美術鑑賞に費やしたいという勢いで、「おなか空いた!」とはとても言えない雰囲気。ひもじさと闘いつつ、聖堂内へ。ローマ市内を一望できるという聖堂の屋上へ向かうため、これでもか!というほどに長〜い階段を上る。とても肉体派とはいえないQooを励ましつつ、なんとか最上階へ。日本では決して見られない景観には、ちょっぴり感動。

その後、ようやく昼食。セルフサービスのカフェは、「questo(コレ)」と指さすだけで給仕してもらえるので、便利。イタリアの人はどうやら本当にオリーブが好きなようで、どの惣菜にもオリーブの実が入っており、風味もオリーブオイル仕様。トマトもふんだんに使われており、偏食家の三名(特にミキティ)にはなかなか辛いようだ。本日も残飯処理班として稼働する我。

その後、サンタンジェロ城を横目に徒歩でテヴェレ川を渡り、古代ローマの競技場跡・ナヴォーナ広場へ。と、ここで、またしても事件発生。

Qooのマフラーが無い!!

さっきのカフェではずしているのを見たのは間違いないから、あるとしたらあそこだ、と、慌てて引っ返す。戻ると、にこにこしながら待っていたイタリア人たちが祝福してくれた。イタリアでは、たとえばバス内に荷物を忘れても「そんなものは無かった。」と言われるのが常らしく、見つかることは稀だそうで。陽気なイタリア人と共に「グラツィエー(ありがとう)!!」、「プレーゴ(どういたしまして)!!」とひとしきりはしゃいだ後、店を後にする。

イタリア人は陽気だと聞いてはいたが、それは偏見でなく事実のようだ。ということが、今回ようやくわかった。温暖な地中海性気候の中で育つと皆そうなるのだろうか。そして、彼らはなべて女性に優しい。レディ・ファーストが徹底されている。紳士でありつつ陽気で人なつっこいなんて、まさに理想的じゃないか。と思いつつも、どうにも腑に落ちない気が致すワタクシ。彫りが深くて美しい顔立ちの彼らは格好良いけど、どうやら私は骨の髄まで古風な日本人男性好みらしい。それについてQooに意見を求めたら、「なるほどねー。わかるわ。でもね、私は、とりあえず試したいな、とは思うね。ラテン系とはまだ一度も手合わせしたことが無いから。」という衝撃の答えが返ってきたことが印象的だったローマの午後。

その後、『ローマの休日』で有名なスペイン広場の大階段を見上げたり、トレヴィの泉に後ろ向きでコインを投げ入れたり、と、いかにもなことに興じてみた。泉にコインを投げると再びローマに来ることができる、とのことだが、それは無いような気がしている。ローマが嫌いというわけではないが、私が本当に行きたい国はここではないと思ったから。もし「どこでも行ける。」と次に言われたら、私は、ウズベキスタンの世界一空が青いと言われる街に行きたい。もしくはモンゴルの大平原を見てみたい。もしくはアフリカのサバンナで風に吹かれたい。もしくはオーストラリアの広大な自然に触れてみたい。

夕飯は簡単に済ませようということで(いつも簡単な気がしなくもないが)、bar(バール)にて。イタリアのどこにでもあるbarでは、カッフェ、カッフェ・マッキャート、カップッチーノが飲める。カフェでバイトする私としては本場のエスプレッソを飲まないわけにはいかん、と思い、一番シンプルなカッフェをオーダー。案外、フツウ。甘党の女のコでなくとも、砂糖をまったく入れずに飲み干すのはなかなか辛いのかもしれない。

何はともあれ、初の自由行動@ローマはつつがなく終了。よかった。
りんの日本脱出記 〜ナポリ・ポンペイ編〜
異国の地で初・起床。

本日は、現地のオプショナル・ツアーに参加。行き先は、火山で埋もれた街・ポンペイと、海洋都市・ナポリ。

ローマのほぼ中心に位置するテルミニ駅に早朝集合、という、イタリアに着いた途端になんとも厳しいスケジュールだが、文句を言う前にとっとと寝てとっとと起きろ、という勢い。とっとと寝て、とっとと起きた(私はね)。

ローマの市内交通は、メトロとバスが主。切符はどちらも共通で、街のあちこちにある「タバッキ」と呼ばれる売店(?)で購入可。とはいっても、何しろ昨夜着いたばかりなので切符を購入する術も無く、ホテルからタクシーで集合場所へ向かうことに。到着早々、リッチな我ら。同室のミキティと共に定刻にロビー到着。タクシーが既に着いているというのに、Qooとまゆげがなかなか現れない。運転手を待たせる間もどんどんメーターが上がっていく。部屋割の問題は今後重要だな、こりゃ。

ようやく降りてきたまゆげとQooをタクシーに押し込んで、いざ出発。さてさて、本日、何事もなく過ぎればよいのだが、と一人祈った瞬間に、いきなり事件発生。「お尻が冷たい!」と叫ぶQoo。「一体何事!?」と訝る我らと、運転手。どうやらQooがペットボトルに詰めていたお茶が漏れて、助手席を濡らしてしまったようだ。「その液体は何だ!?」と怯える運転手。くんくんと匂いを嗅いでいるところを見ると、お漏らししたと思っているらしい。慌てて「アクア(イタリア語で「水」という意味)!」と叫ぶQoo。アクアじゃなくてお茶だろう…と私は突っ込みたかったけど、「なーんだ、アクアならオッケーさ!」という展開になったので、黙っておいた。ホッ。

色々ありつつも、ツアー客をいやっちゅうほど詰め込んだバスで、一路、ポンペイへ。

紀元79年、ヴェスヴィオ山の大噴火で埋没した古代都市がこのポンペイだ。18世紀半ばからの発掘調査で当時の姿が甦ったらしい。埋もれる前は、ローマ帝国の支配下で別荘地、商業地として栄えたため、住宅や商店街に当時の生活が窺えて興味深い。私が世界史を好きになったのは高校時代の世界史教師のおかげだが、当時、彼がものすごくこのポンペイについて熱く語っていて、それ以来来たいと思っていた。

突き抜けるような青空と、案外フツウなヴェスヴィオ山と、コリント式の円柱が立つアポロの神殿。北にはジュピターの神殿。「ううう…感動…。」と言いたいところだが、正直、そこまでの感動は無く。ほえー、よくここまで発掘したなあ、とキョロキョロしている間にツアーはどんどん進行していくので、慌てて後を追う。

特に驚いたことといえば、当時から既に娼婦がいたという確固たる証拠が残っていたこと。というのも、娼婦がこっちにいるよ、という矢印が石畳に彫られていて、その矢印が男性を象徴する例のもの(とても書けません。)の形で、うわー、みたいな。もう一つ驚いたことは、火山に埋もれた人間が石化してそのままの形で残っていたこと。表情がわからないのに、苦しそうな様子が伝わってきた。

お昼はポンペイのレストランで、ムール貝の入ったパスタと、イカをさっと揚げたものを。どうやらこのツアーに参加する日本人は皆ここに連れて来られるらしく、日本人しかいない店内。その後トイレ休憩を兼ねて連れていかれたカメオ(ギリシアから伝わり、イタリアで受け継がれている貝の装飾)工場も、見事に日本人観光客用にアレンジされたお土産屋が併設されており、こういう時、私は意味も無く「ケッ。」という気分になってしまう。ここで何か買ってしまったら思うツボじゃないか、と。我ながら、可愛くないな、とは思うが。

ポンペイから鉄道で約40分ほどの距離にあるナポリは、ギリシア人が紀元前7〜6世紀にネアポリス(=新都市)と名付けて建設された街。情感溢れるナポリ民謡、風光明媚なヴェスヴィオ山に象徴される"南"の情熱と混沌を凝縮した魅力的な港町(らしい)。名高いサンタ・ルチア港(ここにあったのか。。)で「サンタ〜〜ルチ〜ア〜〜♪」と歌ったり、ノルマン人が小島に建てたという卵城をバックに写真を撮ったりしているうちに、あっという間にナポリ観光終了。

お金が有り余っているわけではないので(タクシー乗っちゃったし)、夕飯は、テルミニ駅地下のスーパーマーケットで購入。ポテトコロッケかと思って買ったものが、実はオリーブの揚げものと知り、驚愕。一切手をつけようとしない三人に代わり、一人で全部平らげる羽目になる。

明日は、いよいよ、本命のローマ市内観光だ。

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